2018-03-28 第196回国会 衆議院 内閣委員会 第5号
私もいろいろ調べておりまして、帝国議会の開設というものが、ちょうど今回の森友学園事案のように、明治十四年、北海道開拓使長官の黒田清隆が、千五百万円とも二千万円とも言われる土地や鉱山、船などの官有物を、当時お友達であった政友、五代友厚らに三十九万円程度で譲渡するという、払い下げようといたしまして、そんなことは許されないと猛批判が吹き荒れる中で売却が取りやめとなり、政府は国会開設の勅諭を出したということであります
私もいろいろ調べておりまして、帝国議会の開設というものが、ちょうど今回の森友学園事案のように、明治十四年、北海道開拓使長官の黒田清隆が、千五百万円とも二千万円とも言われる土地や鉱山、船などの官有物を、当時お友達であった政友、五代友厚らに三十九万円程度で譲渡するという、払い下げようといたしまして、そんなことは許されないと猛批判が吹き荒れる中で売却が取りやめとなり、政府は国会開設の勅諭を出したということであります
○玉木委員 当時、北海道開拓使の長官であった黒田清隆、彼が、同郷薩摩の政商五代友厚らがつくった関西貿易商会に安値、無利子でさまざまな官有物を払い下げて、世論の大きな批判を浴びて、これが中止となります。そのことがまた明治十四年の政変につながっていくという事件でありますけれども、当時、千四百万円の官有物を三十九万円で払い下げる……(発言する者あり)
今からおよそ百三十年前に起きた開拓使官有物払下げ事件、これは、北海道の官営事業を大幅に安い価格で関西の政商に払い下げようとしたものの、大きな批判が巻き起こり、結果として中止されました。この事件は、かねてより高まっていた民主主義の機運と併せ、その後の国会の開設にもつながりました。言わば日本の議会制度の一つの契機であり、税の使い方と民主主義とは密接な関係がある、その証拠でもあります。
まず、北海道は、一八六九年の開拓使の設置以来、品種改良や基盤整備などが計画的に行われておりまして、開墾以来百四十年という短い期間で、経営規模が大きく、高い技術力を持つ主業的な農業経営体が多数形成されております。
開発の歴史も、明治の開拓使に始まり戦後六十年と浅く、気候は積雪寒冷という特徴もあります。 このような中で、北海道の建設業は、広大な道路や河川などの社会基盤の整備、管理や冬季の除雪活動、災害、緊急時の技術者や資材の派遣と復旧活動などを支えており、寒冷地開発における独自の技術力と人的資源も有しております。また、地域経済と地域雇用を支える重要な基幹産業ともなっているわけでございます。
ちなみに、明治の初めに、高等教育機関、昔の、札幌農学校の前身の開拓使仮学校でありますとか、東大の前身の工部大学校、それから一橋の前身の商法講習所、こういうところへ五百人のお雇い外国人教師を呼んだわけですね、先生がいないと。そのうち三百五十人が英国から来ましたが、そのほとんどに、当時の伊藤博文首相よりも高い給料を払っているわけです。それをやっただけに物すごい一流の人が来た。
北海道農業は、明治二年の開拓使の設置以来、積雪寒冷な気候や火山灰地や泥炭地という悪条件を、近代的な農業技術の導入や、また国の支援策によって、生産基盤の整備によって克服し、わずか百三十年余りの間で我が国最大の食料基地に発展してまいっております。
それで約十年ぐらい、北海道開拓使というところができて、有名な黒田清隆さんが次官から長官代理になって長官まで行って、最後はあの方は総理大臣にもなるわけですが、一生懸命取り組んだ。
それから、先ほど先生が御指摘になりました北海道の施設でございますが、これは北海道の特殊性から見まして、例えば、現在函館に少年刑務所というのがございますが、これは開拓便函館出張所に設けられた徒刑場というのを起源にしておりますし、それから札幌刑務所でございますが、これは、開拓使所属の牢屋を起源とする、それから今は……(吉川委員「北海道のはいいですよ」と呼ぶ)結構ですか。
もう一点は、産業の面からも当然必要ではないかというふうに、特に北海道は明治二年に開拓使が置かれてから、農業の中でもとにかく酪農は大変な状況の中で我が国最大の食料供給基地として今まで発展してきたわけでありますけれども、それが炭鉱も含めた、あるいは鉱工業それから水産業が厳しい状況の中で、酪農も大変厳しい。
アイヌ民族は、古来より自然と一体化した独自の宗教二言語、文化、生活習慣をもち主に狩猟・漁労採取によって生活していた北方民族であり、この自然生活時代より脱皮させ、一般和人と同一線上に競争させようとした、開拓使の対策は、あまりにも理想主義に失した政策であったと言える。
後段の、北海道に過去三県の時代があったことを承知しておるかというお尋ねですが、明治十五年二月の開拓使廃止から明治十九年一月の北海道庁設置までの間、北海道に函館、札幌、根室の三県が設置されておったということを承知をいたしております。
最後に、視察先について簡単に紹介いたしますと、まずサッポロビールは、明治九年に開拓使麦酒醸造所として創業以来、百十五年の歴史を誇る我が国最古のビール会社であり、最近では東京恵比寿工場跡地に大規模再開発計画を進めるなど、業務の多様化に努めております。
○山東国務大臣 私事にわたって恐縮でございますけれども、私の曾祖父は実は明治の初めに北海道開拓使判官という立場で北海道に渡りまして、北海道の開拓に力を注いだ人間でございますの、大変北海道には親近感を持っている次第でございます。
同社の創業は、北海道開拓使が始めたビール事業に始まり、これは明治九年九月のことでありました。それを受け継いだ形で明治二十一年に札幌麦酒株式会社が発足し、以来、幾度かの変遷を経て、昭和三十九年一月にサッポロビール株式会社に社名を変更し、現在に至っております。
さらに、サッポロビールは、明治九年の開拓使麦酒醸造所を原点とし、百十年に及ぶ歴史を誇る企業で、最近では近代的な北海道工場を新設するなど、健康で文化的な国民生活に貢献しております。 以上、概略を申し述べましたが、今回の派遣におきまして調査に御協力いただきました関係行政機関、団体、事業場の方々に対し、この席をかりまして厚く御礼を申し上げ、派遣報告を終わります。
それで鉄道だって、北海道は要するに開拓使が行って、そして明治時代は大変開発したのですけれども、それも日本が大陸に進出するようになってもう北海道は余り見向きもされなかったのです。終戦後、領土が狭くなったというので、また北海道だというのでしょう。それで、経済が太平洋ベルト地帯にずっと延びてきたから、また北海道は、おまえのところは石油備蓄基地でもやっておけと、こう言うのでしょう。もう踏んだりけったり。
そして、その急成長した原動力はいわゆる北海道開拓使、あるいは一級町村制、二級町村制というような全国にもまれな特別な制度をしきまして、国が特別の助成をしてきておる。
これは北海道開拓使でありますとか、あるいは北海道一級町村制、二級町村制でありますとか、こういったものを眺めてみますと、まさに公共投資等による先導があり、そして北海道としてのフロンティアとしての性格から現在の発展がもたらされておると思います。