1965-05-27 第48回国会 参議院 本会議 第22号
私はここで重政副議長の問題について一言言わなければなりませんが、重政副議長は、先ほど占部議員もその経歴の中で言われましたように、旧東京帝国大学の農業経済科を卒業され、その後、農林省開墾課長、岡山県農地事務局長を経て、昭和二十八年退官され、その後、参議院選挙に当選後は、自民党政策審議会委員、政務調査会副会長をされ、農林水産常任委員長をされまして、その後……
私はここで重政副議長の問題について一言言わなければなりませんが、重政副議長は、先ほど占部議員もその経歴の中で言われましたように、旧東京帝国大学の農業経済科を卒業され、その後、農林省開墾課長、岡山県農地事務局長を経て、昭和二十八年退官され、その後、参議院選挙に当選後は、自民党政策審議会委員、政務調査会副会長をされ、農林水産常任委員長をされまして、その後……
論者いわく、庸徳さんが開墾課長のときに誠之さんは局長、農林事務次官をやっておったではないか、だから庸徳さんのほうが弟じゃないかという考え方でありますが、これは法学部と農学部の差であって、その能力と才能には差異はないということを、私は常に説明して参ったことでありますが、今日、重政庸徳さんが参議院の副議長、重政誠之さんが農林大臣、このような関係にありますところの重政さんに対しまして、この壇上から重政副議長
重政副議長は、参議院要覧の丙にありまするように、五高、東大を経まして、農林省に勤務し、農林省開墾課長、同岡山県農地事務局長を歴任せられまして、昭和三十五年八月からアメリカ、イギリスその他に回って、非常にうんちくの深い方でございまするが、また、参議院の農林水産常任委員長を勤められております。私も同じ農林関係に勤めて参りました大先輩でございます。
東大を出て、開墾課長とかあるいは農地事務局長というのをしておられます。この人は技術屋でしょうから、五十七才でやめられておりますが、それまで次官にもなっておられません。こういう点も、技術者に対する今の政府のやり方の軽視だと私は思っております。 そういう面で、先ほどから再々問題になっていますように、やはり副議長というものは野党第一党に渡すのが、いわゆる国会正常化の要因だと思っているのです。
課長) 伊東 正義君 農林事務官 (総務局長) 平川 守君 農林事務官 (畜産局畜政課 長) 伊藤 嘉彦君 食糧管理局長官 安孫子藤吉君 林野局長官 三浦 辰男君 委員外の出席者 農 林 技 官 (開拓局指導部 開墾課長
主管課長たる開墾課長が目下出張中でありまして、十分その點につきましての御答辯を申し上げ得ないことをはなはだ遺憾とする次第でございます。
○説明員(伊藤茂松君) 私開墾課長の伊藤でございます。今度の関東水害におきまして被害を受けました現状を調査いたしましたが、最近漸く纒まりましたので、そのことを簡單に御報告申げます。これは東京農地事務局が調査したわけでありまして、調査圏は茨城、栃木、埼玉、千葉の四縣になつております。