1949-04-16 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号
これは明らかに共産党ではないし、それから長谷川大尉に至つては、これは四書五経などを語られたような軍人さんの頭を持つておる。実に証人の頭はまちますの人々であり、一應の判断ができる。ただ当該者だけが問題なんで、大体結論は出ておる筈だと思うのであります。
これは明らかに共産党ではないし、それから長谷川大尉に至つては、これは四書五経などを語られたような軍人さんの頭を持つておる。実に証人の頭はまちますの人々であり、一應の判断ができる。ただ当該者だけが問題なんで、大体結論は出ておる筈だと思うのであります。
その処分の例は、長谷川大尉が一週間の営倉を命ぜられたときに、蒙古の二人の営倉歩哨が付いて処分をしております。尚坂本三太郎という人が逃亡した場合にモチヨグが同じく歩哨に命じて、これを一日電柱に縛り付けた。その場合にも歩哨に監視を命じております。
ところが、彼は何かの拍子で……長谷川大尉殿がアマガランの監獄に行つておられる間に隊長になつてしまつた。南北の收容所が一つになつた。一つになる前に、リユツクサツクの内容檢査をやつております。そのときに、参謀肩章を持つておつた者は誰か、食糧を持つておつた者は誰かということを見まするに、持つておるらしいような形跡が疑われたのであります。そしてそれが……。
○証人(鎌谷参司君) これは吉村隊長が、長谷川大尉殿がアマガランの監獄に行かれて、いわゆる南北收容所を打つて一丸としての隊長になつてから始まつたことであります。夏冬引続いて行われておつたように思つておりますが、勤務その他の関係で明確に申上げることはできません。職場が非常に多かつた関係もあります。
稻見少佐と私との関係を吉村氏もよく知つておりますが、長谷川大尉殿が出られた後、吉村隊と、南の收容所と北の收容所が一緒になる前には、私は酒井先生と一緒に吉村隊に入つた。
○岡元義人君 簡單ですが、もう一点は、あなたは隊長、いわゆる長谷川隊長に対して、その隊長になる経緯に対して長谷川大尉と会つて話したことがありますか。
○証人(池田重善君) 長谷川大尉は一緒に事務室におりまして、監督所の事務室で、長谷川隊長にお願いしたいということを話しました。
○証人(原田春雄君) 長谷川大尉の率いられた人数が最大になりましたときで四百五十名と記憶しております。この人々は長谷川大尉が隊長でありまして、その部下に中尉が二名、少尉が一名、その他下士官、兵で、民間人の方は三名ばかりおられたと思います。