1986-08-08 第106回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号
○太田淳夫君 今回の場合は、今お話がありましたように、計画雨量の三日分が一日で降ったということでやむを得ないというような御答弁でございましたけれども、昭和五十一年九月十二日ですか、一級河川の長良川堤防が決壊をしたわけですね。
○太田淳夫君 今回の場合は、今お話がありましたように、計画雨量の三日分が一日で降ったということでやむを得ないというような御答弁でございましたけれども、昭和五十一年九月十二日ですか、一級河川の長良川堤防が決壊をしたわけですね。
この破堤現場は東海道新幹線橋梁下流約三百メートルのところであり、破堤時には長さ約五十メートルであったのが、最大八十メートルの破堤に達し、森部輪中内約四平方キロメートルの湛水に続き、北川は旧国道二十一号線から犀川の右岸堤まで、南側は安八町と輪之内町の境界、東側は長良川堤防、西側は牧輪中堤にまで湛水し、その被害状況は床上浸水三千六百四十三戸、床下浸水四百六十六戸にも達したのであります。
それから四十五年度から五カ年計画の長良川堤防補強工事がおくれていた。それから決壊現場には建設省の職員がいたにもかかわらず適切な指示がなかった。それから以前から指摘をいたしてまいったが、ガマの問題が放置したままであったと。
三点は、先ほど申し上げたように、長良川堤防にA、B、Cの区別がありますが、建設省が誇る最も強靭な堤防Cが今回決壊したわけであります。最も強靱を誇るCが決壊したのですから、A、Bはなお危険だということはもう論ずるまでもない。しかも、長良川と揖斐川の堤防は、省の発表によっても、危険個所が数十カ所以上ある、こういう発表を新聞でいたしております。
特に、長良川堤防決壊による岐阜県安八町や、地すべりが起きた兵庫県一宮町及び香川県小豆島などの被害は最も甚大でありました。被災地においては、被災者の疲労や衛生状態の悪化など、第二、第三の被害の起こることが憂慮されるのであり、被災地の救済対策と復旧工事に政府は全力を挙げ、万全の措置を講じて一日も早い生活安定と再起を図らせることが急務であろうと思います。
私どもは岐阜市芥見の長良川堤防決壊現場、並びに本県最大の被害地である養老町多芸輪中の水没地帯について詳細に実情を見て参った次第であります。 以上簡単でありますが、概要を述べた次第であります。これが応急、恒久の対策については、現地の県並びに市町村等から各般の事項にわたり要望を伺って参ったのでありますが、その詳細につきましては、別途陳情書等で御承知いただきたいと思います。
水課長 小川 孝君 最高裁判所長官 代理者 (事務総長) 五鬼上堅磐君 最高裁判所長官 代理者 (事務総局総務 局第二課長) 磯崎 良譽君 最高裁判所長官 代理者 (事務総局人事 局給與課長) 守田 直君 ————————————— 本日の会議に付した事件 ○検察及び裁判の運営等に関する調査 の件 (長良川堤防工事事件
本日は先ず長良川堤防工事事件を議題に供します。 なお本日政府委員として只今御出席のかたは、農林政務次官小川原君、法務府検務局長岡原君、民事訟務局長石井君の各位が御出席になつております。 本件に関しまして質疑の通告がございます。この際許可いたします。伊藤君。
○委員長(小野義夫君) 他に御発言もなければ、本件に関してはこの程度にいたしまして、午前中に引続きまして長良川堤防事件を議題に供します。午前中の伊藤委員の質問に対して、答弁を留保されております点につきまして、先ず当局の答弁を願います。
水稲保温折衷苗代設置費国庫補助継 続に関する請願(第三一九二号) ○国営家畜取引所設置に関する請願 (第三一九三号) ○再建整備農業協同組合の欠損金繰越 控除に関する請願(第三二五〇号) ○岡山県い車種苗場等の国営移管に関 する請願(第三二六三号) ○積雪寒冷単作地帯振興臨時措置法に 基く国庫補助増額等に関する請願 (第三二九二号) ○自作農維持資金制度実施に関する陳 情(第一二六〇号) ○長良川堤防工事究明
それから法務委員長小野義夫君からの議員派遣要求書でありますが、派遣の目的は、検察及び裁判の運営等に関する調査の一項目として、長良川堤防不正工事事件及び呉市における外国軍人の犯罪の調査。 派遣議員伊藤修君、岡部常君、左藤義詮君、内村清次君。派遣期間は今期国会開会中九日間。派遣地岐阜県、廣島県。費用概算六万六千円、これも予算の範囲内であります。
元来この長良川堤防というものは、御承知の通り奈良朝時代以来の水利問題のやかましい所でありまして、殊に宝暦年間におきましては、薩摩義士が多くの犠牲を払つて築き上げた三大河川の堤防であつて、その後明治維新以来今日に至るまでこの三大河川の治水工事というものは国家事業として成し遂げられて、このほど漸く完成したものであつて、これによつて濃尾平野におけるあの米穀産地というものは築き上げられた。
その第二は長良川堤防決壊事件についてであります。(「廣川はどうして来ないのだ」と呼ぶ者あり)岐阜県海津郡海西村堤防決壊は六カ町村に亘って三千七百町が被害を受けた事件であります。
長良川堤防の決壊は、昭和二十五年度農林省施工の勘定事業であります長良川国営農業水利改良事業の取入口から決壊いたしております。この事業は、昭和二十二年度農地開発営団の事業として農林省の認可を受けた仕事でありますが、農地開発営団が閉鎖機関となりましたので、そのまま農林省に引継ぎまして、農林省の国営事業ということで仕事を継続して、今申上げましたように、二十五年度完了、こういう仕事になつております。