1954-10-20 第19回国会 参議院 農林委員会 閉会後第14号
翌日は浜松を出て再び天龍川左岸に戻り、磐田郡今井村、周智郡山梨町を経て二俣線沿いに天龍川を横切り、浜名湖北辺の引佐郡気賀町に行き、三方が原を南下し、浜松市長上地区を経て浜松に戻つたのでありまして、静岡県西部の穀倉地帯を海岸から山麓までつぶさに視察して参つたのであります。
翌日は浜松を出て再び天龍川左岸に戻り、磐田郡今井村、周智郡山梨町を経て二俣線沿いに天龍川を横切り、浜名湖北辺の引佐郡気賀町に行き、三方が原を南下し、浜松市長上地区を経て浜松に戻つたのでありまして、静岡県西部の穀倉地帯を海岸から山麓までつぶさに視察して参つたのであります。
最後に浜名郡赤佐村、浜名町及び積志村を経て浜松市の長上地区におもむきましたが、数千町歩にわたる一望の美田が無惨に白穂と化し、農民は落胆失望の極にある状況を目のあたりに見たのでありまして、言うべき言葉を知らなかつたのであります。この地区は秋落地帯でありますために晩稲に偏して作付けされ、それが白穂化の直接原因となつているように見受けたのであります。