1959-03-27 第31回国会 参議院 大蔵委員会 第22号
○平林剛君 製塩方式が流下式に転換されて、将来国内需要が上回る、余剰ができる見通しが濃くなった昭和三十二年に、岡山の錦海湾塩田が許可された。また、幾つかの機械製塩工場の許可が相次いで行われたのであります。これは、私、まことに不可解なんであります。今日八十七億というたくさんの経費を国民が負担をして、塩田の整理を行わなければならぬということになったのでありまするが、錦海湾の塩田はまだ操業していない。
○平林剛君 製塩方式が流下式に転換されて、将来国内需要が上回る、余剰ができる見通しが濃くなった昭和三十二年に、岡山の錦海湾塩田が許可された。また、幾つかの機械製塩工場の許可が相次いで行われたのであります。これは、私、まことに不可解なんであります。今日八十七億というたくさんの経費を国民が負担をして、塩田の整理を行わなければならぬということになったのでありまするが、錦海湾の塩田はまだ操業していない。
しかも、あの錦海湾塩田が一般の塩業と比較して、全然別途な斬新な、将来飛躍的な発展性を期待できる新規の設備でありましたならば、これをどんどん進める意義は大きいのでありますが、すでに現在ある塩田そのものを今から新らしく作り出そうということは、何かおかしなことではないかというふうにも考えます。
三十四年には、その半分ぐらいですが、そういうことになりますと、市来の塩業者の負担が非常に重くなる、というのは、制限を受けることになるから、錦海湾塩田につきましては、何とかしてこれを食用塩を作ることをせずして、工業塩に向けるとか、あるいは他に方法を講じてもらいたいということを、大多数の塩業者は希望しておるのであります。こういう状態であります。
○大西委員 今おそらく錦海湾のことをさされたのであろうと思いますが、新規塩田の開発問題がございましたが、今日錦海湾塩田開発の許可をする理由、これはたしか公社からの文書だと思うのでありますが、そのうちの錦海湾の塩田の開発に伴って将来非能率的な塩田については廃止統合をはかるべきである。