2011-11-29 第179回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
沖縄が復帰をして、そして初代の那覇防衛施設局の局長は銅崎局長さんでした。すごい円満で人格のある方でした。沖縄の痛み、苦しみを一緒に分かち合いながら、そういう局長からずっと見てきた私にとっては、今回の田中局長の発言を許すわけにはいかない。公務員としても私は失格であると思います。 私は、過ちを犯してはいかぬと思いましたから、田中局長が就任したときに表敬挨拶に参りました。
沖縄が復帰をして、そして初代の那覇防衛施設局の局長は銅崎局長さんでした。すごい円満で人格のある方でした。沖縄の痛み、苦しみを一緒に分かち合いながら、そういう局長からずっと見てきた私にとっては、今回の田中局長の発言を許すわけにはいかない。公務員としても私は失格であると思います。 私は、過ちを犯してはいかぬと思いましたから、田中局長が就任したときに表敬挨拶に参りました。
そこで、この涵養林には撃ち込まないという、以前から米軍との間の話をやってきているということでありますが、事実、昭和五十年十二月の十八日の衆議院の沖特委員会で我が党の正森議員の質問に対して、当時の施設庁銅崎施設部長は「そこに撃ち込まないようにしてくれ、アメリカ側はそういう措置をとるという約束をしております。」と答弁をしています。
この財団法人施設周辺整備協会、これは言うまでもなく防衛施設庁の所管の公益法人であって、そして二千万円、つくられるに当たってはお金が出されておりますし、何よりも、この役員の方々の名簿を見ますと、会長の高松氏は元防衛施設庁長官、理事長の銅崎氏は元防衛施設庁次長、専務理事の高嶋氏は元東京防衛施設局長。
防衛庁長官官房 防衛審議官 上野 隆史君 防衛庁防衛局長 原 徹君 防衛庁人事教育 局長 夏目 晴雄君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 渡邊 伊助君 防衛庁装備局長 倉部 行雄君 防衛施設庁長官 玉木 清司君 防衛施設庁次長 銅崎
防衛庁長官官房 防衛審議官 上野 隆史君 防衛庁防衛局長 原 徹君 防衛庁人事教育 局長 夏目 晴雄君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 渡邊 伊助君 防衛庁装備局長 倉部 行雄君 防衛施設庁長官 玉木 清司君 防衛施設庁次長 銅崎
○銅崎政府委員 大臣が申されたのは、恐らく政治的な御信念に基づいてのことだと思いますが、私どもそれを事務的にどういうふうにしたら出るのかというのは、これは十分関係の省庁とも相談した上でないと何とも言えないというのが現在の状況でございます。
○銅崎政府委員 出せるかどうかということについては、やはり関係機関とよく相談をして、協議してみないとわからぬと思いますが、まだそういうところまで行っていないということでございます。
○政府委員(銅崎富司君) そういう会合を持たれたかどうかというところも承知していないわけでございまして、なかったというのか、そういう会合があったのかどうかということも私は承知しておりません。 それから、こういう戸数、所要経費というものを概算要求しておるかというと、これはしておりません。
○政府委員(銅崎富司君) 当時の大平外務大臣の答弁でございますので、外務省からお答えするのが至当かと考えておりまして、まあそういう外務省の見解といいますか、解釈に沿って進められていくということになります。
国 務 大 臣 牛場 信彦君 政府委員 内閣法制局長官 真田 秀夫君 内閣法制局第一 部長 茂串 俊君 警察庁刑事局長 鈴木 貞敏君 警察庁警備局長 三井 脩君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁次長 銅崎
防衛庁長官官房 防衛審議官 上野 隆史君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁次長 銅崎
○銅崎政府委員 努力はいたしますが、当時どういう人が出席してどういうようなという点につきましては、早急にできるかどうか、ちょっといまお約束いたしかねるわけですが、施設、区域の主な使用条件につきましては検討しておりますので、御要望の資料をつくるようにいま検討しておるところでございます。
○銅崎政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、いまお示しになりました施設を含めまして現在検討いたしておりますので、早急に外務省の方と協議をいたしまして、御提出できるように努力したいと思います。
○銅崎政府委員 先に現在の状況を申し上げます。 ただいま施設庁の方でどういうふうに取り扱うか検討しております。これを早急にやりまして、外務省の方と十分協議したいと考えております。
竹岡 勝美君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
大坪健一郎君 川崎 秀二君 川田 正則君 佐野 嘉吉君 三池 信君 宮澤 喜一君 塚田 庄平君 松本 七郎君 渡部 一郎君 寺前 巖君 伊藤 公介君 出席国務大臣 外 務 大 臣 鳩山威一郎君 出席政府委員 防衛施設庁総務 部長 銅崎
○銅崎政府委員 今回の事故原因の究明に当たりまして、日米双方合同して調査をするというのは、合同委員会の下部機構の事故分科委員会の本来の目的もそういうことでございますが、その合同して当たる調査の中に、事故原因を究明し、安全対策を立てていく上におきまして、現在の事故分科委員会にはそういう専門的な知識を持った方がきわめて少ないということで、専門家を交えて調査をし、検討していくということで、現在政府部内の専門家
長 竹岡 勝美君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
○政府委員(銅崎富司君) 私どもが承知しております数字は、宿泊費、それから会議費で支出した分を含めまして、九月五日の分は二十二万三千五百十三円、六日の分は二十万九百四十六円ということでございます。
○政府委員(銅崎富司君) ただいまその点は調べておりますが、昼食を出したというふうなところはわかっておりますが、夜、会食したということは聞いておりません。
○銅崎政府委員 この点につきまして、少しく御説明申し上げたいと思います。 先生御存じのように、この特別調達資金設置令が昭和二十六年に、駐留米軍等の需要に応じて行う物及び役務の調達を円滑に処理するということで制定されまして、七十五億円の回転資金が設置されたわけでございます。ところが、その翌年の二十七年の講和条約発効時に駐留軍の従業員が特別職の国家公務員から国の雇用員に身分が切りかえられました。
行政管理庁行政 管理局長 辻 敬一君 防衛庁参事官 平井 啓一君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
長 竹岡 勝美君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
内閣総理大臣官 房総務審議官 大濱 忠志君 総理府人事局長 秋富 公正君 行政管理庁行政 管理局長 辻 敬一君 行政管理庁行政 監察局長 川島 鉄男君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
長 竹岡 勝美君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
人事院事務総局 給与局長 角野幸三郎君 内閣総理大臣官 房総務審議官 大濱 忠志君 総理府人事局長 秋富 公正君 防衛庁長官官房 長 竹岡 勝美君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
竹岡 勝美君 防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君 防衛庁人事教育 局長 渡邊 伊助君 防衛庁衛生局長 野津 聖君 防衛庁経理局長 原 徹君 防衛庁装備局長 間淵 直三君 防衛施設庁長官 亘理 彰君 防衛施設庁総務 部長 銅崎
○銅崎政府委員 その後は開いておりません。
○銅崎政府委員 時価で買い上げております。