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23件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2020-02-21 第201回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

そして、九七年の十一月に銀行危機が起きた後、何段階かに分けてですが政府金融危機対応策ができて、そしてようやくマーケットが鎮静化した。二〇〇五年に不良債権問題がようやく終息を見た。その段階では、こちらにいらっしゃる伊藤先生始め先生方の御尽力で危機対応策ができたわけであって、それによってマーケットの不安が払拭されたということだと思います。  

小林慶一郎

2018-04-03 第196回国会 衆議院 財務金融委員会 第11号

今、潰れそうなんて申し上げるような、銀行危機をあおっているつもりは全くありませんから。大体、こういう話をすると、すぐそういう話をつくっちゃう人が世の中にいっぱいいますので、うかつなことは言えぬのですけれども。  もし仮にそうなったときは、公取は責任をとってはくれませんから。地元が一番、困る人たちがそこに、地元から出ますので、私どもとしてはそれが一番困るわけです。

麻生太郎

2016-11-24 第192回国会 参議院 財政金融委員会 第6号

参考人中曽宏君) 今回の難しさというのは、これ世界的にもそうなのですけれども、特に日本は先行してそういう問題に直面したと思いますけれども銀行危機そしてデフレ、そして人口問題ですね、その下で趨勢的に潜在成長率が下がってきた中、その中でどうやって一定程度経済成長を促してインフレ率を上げていくか、そういう極めて難しい問題を他の先進諸国に比べても先行して直面をしているというのが、現在の大きな、一九四五年当時

中曽宏

2016-11-24 第192回国会 参議院 財政金融委員会 第6号

参考人中曽宏君) これは先ほど申し上げましたように、日本経済というのは、九〇年代の銀行危機そしてデフレ危機を通しまして大変難しい状況にありますので、私どもが今やっている金融政策というのは過去には類例のない極めて大規模金融緩和でございまして、日本銀行としては、物価安定の目標をできるだけ早期に実現することを目指して強力な金融緩和を推進した結果としてこの規模の拡大というのが生じていると、このように

中曽宏

2016-05-10 第190回国会 衆議院 財務金融委員会 第17号

それゆえということになっちゃうんですけれども、私ども、九〇年代の銀行危機あるいはリーマンの後の金融危機、このときにも、仲介機能、これだけは守るのだ、そういう全力を挙げてきたところであります。これが損なわれてはいかぬ、そういう考え方は今も全く変わっておりません。  いずれにしても私どもとしては、さまざまな御意見、御批判に真摯に耳を傾ける、よい聞き手でありたいというふうに思います。  

中曽宏

2013-03-12 第183回国会 参議院 議院運営委員会 第13号

参考人中曽宏君) いろんな循環要因構造要因があると思いますが、最初の九〇年代の後半以降の十年間くらいというのは、これは、銀行危機の結果、金融機関信用仲介能力というのは大きく損傷を受けましたので、ここが景気を支える力を失ってしまったということが一つあるというふうに思います。そういう中で、人々ですね、家計とか企業成長期待も落ちていってしまったことが一つの背景かというふうに思います。  

中曽宏

2012-02-01 第180回国会 衆議院 予算委員会 第3号

特に、ヨーロッパ政府債務危機国家債務危機と言われるものは、実態がだんだん見えてきますと、ヨーロッパ金融危機銀行危機でもあるということがはっきりしてまいったと思います。  これは、当然のことながら、ヨーロッパ銀行がいろいろなマーケットでドルをとって、これをアジア、中国、そしてラテンアメリカに貸し付けておる部分というのが、きょうは数字を持ってまいりませんでしたが、相当大きい。

仙谷由人

2011-10-27 第179回国会 参議院 財政金融委員会 第2号

この銀行危機通貨危機と、アジア経済への波及のルートとしてはこのツインクライシス二つクライシスというものをいかにそれぞれ囲い込んでいかなければいけないかというところに問題が集約されてくると思います。  銀行危機は、御案内のとおり、今申しましたように、イギリス、フランス、ドイツ等、まあそれに限りませんが、欧州系銀行がかなりアジアに対して貸付けをしていると。

佐藤ゆかり

2010-09-08 第175回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号

し渋り、貸しはがしが起こりますから、日本は十年前に金融ショックというのを、本当に苦しい目に遭いながら経験したわけでございますから、むしろ今は、世界のバーゼルの二十七カ国、主にG20の国がございますが、アメリカイギリスは、こういうひどい目に遭ったから、民主主義の国ですから、より自己資本を強くすべきだというような意見もございますが、日本という国は、十年前にそういう目に遭っていますから、非常に苦しい銀行危機

自見庄三郎

2009-04-23 第171回国会 参議院 財政金融委員会 第16号

これは、増えた分として、普通国債追加発行十・九兆円、財政投融資特別会計国債が六・一兆円、日本政策投資銀行危機対応業務国債発行一・四兆円。補正後の見込みは、九百六兆円に今申し上げた数字がプラスになって、補正後の見込みは九百二十四兆になります。これに地方の債務残高を足し、百九十七兆、これから重複分を引きますと一千八十七兆円になり、当初見込み一千六十九兆を二十兆近く上回るということになります。

与謝野馨

2003-06-13 第156回国会 参議院 本会議 第33号

銀行危機の収束に一役買ってくれた生保に御褒美としての延命措置を与え、銀行の救済も図るという一石二鳥をねらって、政府・与党は法案提出を強行したとしか思えません。これは明らかに護送船団行政の復活ではありませんか。竹中大臣、本法案提出の真の目的をお聞かせ願います。  以下、本法律案の具体的問題について伺います。  

円より子

2002-11-21 第155回国会 参議院 財政金融委員会 第6号

不良債権外国企業が買い取ることで銀行危機が回避できるなら有り難いと官僚の一部からも支持されていると。外資が誘致されて、海外からの直接投資が増えている。中でもリップルウッドによる長銀の買収、新生銀行ですね、今の。必要に迫られての選択だったというふうなことをいろいろ書いていまして、日本政府海外からの直接投資の受入れの環境の改善、金融市場の改革を求めるように提言していると。  

大門実紀史

2001-02-27 第151回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

事実、アメリカが非常に苦しかった一九八〇年代後半から九〇年にかけまして、アメリカにおきましても銀行危機というのは起こっておりましたけれども、このとき、六%以上から一〇%の不良債権比率というのは相当危険であるというふうにみなされておったことを考え合わせれば、現状の日本金融実態が軽々に楽観視できるものではないということは明らかなように思われるわけでございます。  

木村剛

2001-02-27 第151回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

残念ながら、銀行危機あるいは不良債権問題に直面した国というのはたくさんございます。世界の三分の二の国が経験しているわけでございます。この三分の二の国は三年から五年で問題の発見から処理まで終わっておるわけでございますけれども、その方法は二つしかございません。一つは、抜本的な処理、すなわちハードランディングをやった後にV字形回復をする。

木村剛

1998-10-01 第143回国会 衆議院 予算委員会 第5号

その高橋是清翁は、一九二七年の銀行危機の際にはモラトリアムや銀行の一斉休業で恐慌を鎮静化させて、あっという間に四十二日間で引退をされたわけでございます。  宮澤大蔵大臣は就任から二カ月を超えられました。その間に、宮澤大蔵大臣初め総理が提出をされた政府金融再生計画案は廃案となり、そして野党の私どもがつくらせていただいた法案が軸となって協議がまとめられていった。

鳩山由紀夫

1998-02-25 第142回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

というのは、今回のアジアの問題を経済危機ということでくくってはいけないんだ、それは通貨銀行危機、通貨金融危機、その両方ですね、通貨の問題と銀行金融危機だと。実体経済貯蓄率が低過ぎるとか財政がパンクしたとか、そういうあれじゃなくて、実体的なところ、いわゆるファンダメンタルズというのは必ずしも脱線し切っちゃったわけじゃなくて、やっぱり通貨金融危機。  

小島明

1997-11-27 第141回国会 衆議院 消費者問題等に関する特別委員会 第5号

これは、今後、銀行危機から保険危機証券危機に入る。全面的金融危機に入る。ちょうど昭和四年、一九二九年に似ております。  そこで、今回は金余り恐慌だ。今度は産業用に貸し渋りというのが金融機関に出てきます。例えば、きのう出ました徳陽シティ徳陽シティが宮城県の何々銀行に行く。

佐藤剛男

1997-05-07 第140回国会 衆議院 大蔵委員会 第18号

○佐々木(憲)委員 日銀総裁としてはそういうふうにお答えになると思っておりましたが、今のお答えの中にも、独立して判断をするよう努力をされてきたということを言われましたし、それから、最終的には政策委員会で決めた、こういうわけでありますから、その過程でいろいろなことがあったということは既にいろいろな形で指摘されておりますし、例えばこの「中央銀行 危機の時代」、最近幾つか本が出ております。

佐々木憲昭

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