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16件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2000-04-21 第147回国会 衆議院 決算行政監視委員会第三分科会 第2号

第一次大戦後、こうした亜鉛精錬所は日本のあちこちでできましたが、その多くは数年たたずして操業中止になったところが多いようですが、三島市の北沢地区でも、大正七年、鉱毒被害と思われる事件が発生して、当時の新聞は、鉱毒問題紛糾錦田村、当時そういったのですが、大恐慌と見出しをつけ、蚕児続々斃死と伝えているわけであります。  

菊地董

1984-04-03 第101回国会 参議院 予算委員会 第16号

○佐藤三吾君 ここまで十五年に制定した法の趣旨からいって、やはり鉱毒被害が次々出てくるというそういう情勢を受けて私は立法したと思うんです。そういった法の精神から照らして、私はやっぱり公害が出ないように、人に被害が加わらないように監督指導するのが通産省の立場じゃないかと思うんですが、通産省、この問題についてどういう指導をやってきたのか。

佐藤三吾

1975-02-19 第75回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第2号

また、渡良瀬川沿岸における鉱毒被害事件は、足尾銅山から排出される廃棄物鉱滓水田等に流入したことにより農作物被害をこうむった渡良瀬川沿岸農民古河鉱業株式会社との間における補償をめぐる事件でございまして、八十年にわたる紛争の歴史的な重みに加え、被害加害行為との間の因果関係立証損害額算定等が非常に困難な事件でございましたが、鋭意調停手続を進めた結果、被害が最も広範囲であった群馬毛里田地区の

小澤文雄

1975-02-19 第75回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第2号

小平芳平君 まあそう苦しい御答弁はされますけれども、私が先ほど来申し上げていることは、被害者鉱毒被害を訴え始めてすでに百年近くなる。それから鉱毒ため池をつくって少しでも鉱毒たんぼへ入るのを防ごうとして県がつくったのが昭和二十七年、二十八年のことです。農林省試験田をつくってやったのが四十六年、七年、八年のことです。被害者としては市へ行っても町へ行ってもけりはつかない。

小平芳平

1975-02-18 第75回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第4号

また、渡良瀬川沿岸における鉱毒被害事件は、足尾銅山から排出される廃棄物鉱滓水田等に流入したことにより農作物被害をこうむった沿岸農民古河鉱業株式会社との間における補償をめぐる事件でございまして、八十年にわたる紛争の歴史的な重みに加えて、被害加害行為因果関係立証損害額算定等が非常に困難な事件でありましたが、鋭意調停手続を進めた結果、被害が最も広範囲であった群馬毛里田地区の農民九百七十一名

小澤文雄

1973-08-29 第71回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第13号

小平芳平君 では、水俣病のことについてはまだ数多くの問題点がありますが、きょうはこのくらいにいたしまして、別の問題で通産省に伺いますが、休廃鉱につきまして、私たちは各委員会休廃止鉱山による鉱毒被害についての各地の問題点を取り上げて、そうして政府が対策を強力に進めるべきだということできたわけですが、国が三分の二、県が二分の一、そういうようなことで防止工事をやるということから一歩も進んでいないわけですか

小平芳平

1972-05-12 第68回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第6号

それでは環境庁の政務次官に担当の官庁だからお伺いしますが、先ほどの渡良瀬川鉱毒による農業被害の問題は、これは明治にさかのぼろうと大正にさかのぼろうと、それが足尾銅山による鉱毒被害損害だということは、とっくにはっきりしているのだけれども、いろんな論争があるわけですが、その補償の責任は当然古河にあるわけでしょう。土呂久と同じだというけれども、土呂久の場合はすでに鉱業権を放棄しちゃっている。

小平芳平

1972-04-10 第68回国会 参議院 予算委員会 第9号

小平芳平君 農林省では、こうしたたんぼ鉱毒被害に対して、日原という町とそれから津和野町という町なんですが、この両町に被害を及ぼすのですが、島根県ではすでに昭和二十八年あるいは昭和二十七年に農業試験場において研究ができているわけですよ。いまから十年前のこの島根農業試験場における結果報告によりますと、いまのままでは米はできないと報告しているんです。

小平芳平

1967-12-15 第57回国会 参議院 産業公害及び交通対策特別委員会 第2号

それで、この稲の被害状況とイタイイタイ病とが完全に場所が一致するかどうかということは、萩野先生と私とが共同しまして調べたのでありますが、患者の分布は萩野博士が調べ、そして稲の鉱毒被害地は私がよく知っておりましたので、二つのこの被害場所を調べましたところ、完全に一致しておったということがわかりまして、一人の患者としてこの稲の鉱毒被害の起きなかった場所から発生したような患者はなかったのであります。

小林純

1967-12-14 第57回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第2号

そうすると、これは鉱毒被害によって四千町歩あるいは顕著なものは九百六十四町二反の地域に被害を及ぼしているのですから、普通水害たんぼへ冠水をしたというようなものと違うわけですね、鉱毒だから。それは先ほど重松先生がおっしゃったように、土壌に沈でんしているわけですから……。こういうものが出ておるにもかかわらず、その後何ら対策をやっておらない。しかもここにはさらに詳しく分析の結果も出ているわけです。

古川喜一

1958-10-29 第30回国会 衆議院 商工委員会 第10号

恩田参考人 私は群馬県の東部の農民でございますが、かねがね足尾鉱山からの鉱毒被害に何十年来悩まされておる農民といたしまして、本日この委員会に出席できまして委員先生方に意見を申し上げる機会を得られましたことを深く喜びとし、感謝する次第でございまして、何とぞわれわれ農民被害から免れるような法律を十分作って、対策を立てていただきたいと考える次第でございます。  

恩田正一

1955-07-30 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第54号

、この栃木県の南部の稻作地帯ではこの水をみな使うわけですが、今でもその水を一度田に流します——とちょうど女のお乳のような色をして流れてくる水ですけれども、その鉱毒を、どうしても旱天が続いた場合には、やはり農民としては、ちょうど子供がお乳をほしがるように、田の稲が水をほしがっているときですから、少しぐらいいいだろうというので、今でも長い経験を持っていながらやるのですけれども、それがやはりものすごい鉱毒被害

山田長司

1952-04-17 第13回国会 参議院 農林委員会 第23号

少しく場合が違いますが、例えば鉱毒被害のようなこともあるし、又大きな漁師が濫獲をして、そうしてそうした方面は非常に利益を得ている。ところがそうした弊害の結果小さい漁民は食えなくなつている。一つの失業状態である。それでやむを得ずそれじや他に道があるかといえばないので、そうした段々畑のほうに頼つて行かなければならないという事情がこの問題に存しているのではないか。

松永義雄

1952-02-21 第13回国会 参議院 農林委員会 第7号

その内訳を申上げますと、一般災害鉱毒被害とございまして、一般災害で申しますならば、例えば二十二年に発生しました災害が二百六十五億五千万円ありまして、それが二十六年度まで、本年度までに二百五十三億の工事が完成されることになるわけでございます。従いまして二十七年度以降になお残ります災害というものは十一億七千万円、全体のうち五%だけ残つている。こういう数字になります。

櫻井志郎

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