1960-05-11 第34回国会 衆議院 社会労働委員会 第35号
ところで、中村、吉次両執行吏の同年四月一八日付作成にかかる執行調書(甲第四号証)には「大牟田市三池鉱業所三川鉱正門及病院裏門等を看るに、被申立人組合に於て、ピケを張り、右ピケは、警察上の援助を求むるにあらざれば、之を解くこと不可能と認めたるにより云々」なる旨の記載がなされていること、吉次、半田両執行吏の同月二〇日付作成にかかる執行調書(甲第五考証)には、「大牟田市三池鉱業所宮浦鉱正門附近に臨み、申請人主張
ところで、中村、吉次両執行吏の同年四月一八日付作成にかかる執行調書(甲第四号証)には「大牟田市三池鉱業所三川鉱正門及病院裏門等を看るに、被申立人組合に於て、ピケを張り、右ピケは、警察上の援助を求むるにあらざれば、之を解くこと不可能と認めたるにより云々」なる旨の記載がなされていること、吉次、半田両執行吏の同月二〇日付作成にかかる執行調書(甲第五考証)には、「大牟田市三池鉱業所宮浦鉱正門附近に臨み、申請人主張
「同鉱正門には第一組合側がピケを張っていたが、第一組合ではこの強行入構を全く予想していなかったためピケも手薄で、正門前から約二十メートル離れた三井病院三川分院通用門前にバス三台で乗りつけた第二組合員は約三千人の警官隊の人がきに守られ、わずか二分間で全員構内に入った。」こういうふうに言っております。そのときにピケを張っておった人数はわずか十数人であります。
すなわち四月二十日午前九時、宮浦鉱正門横通称薪門前においてピケを張っていた約四十名に対し、いきなり約三百名の警官隊が襲いかかり、こん棒を振り上げてなぐるなどの暴行を加えた上で、二名の組合員を公務執行妨害の名のもとに逮捕するなどの暴挙を行なってピケ隊を排除し、第二組合員を入構せしめる事件が発生したのであります。この際も、また数十名の組合員が負傷をいたしたのであります。
午前三時五十五分五十台の出動車」これは警察の車でありますが、「出動車やパトカーに分乗した警官隊千五百人が三川鉱前四つ角に到着したと思う間もなく労組約五十人のピケ隊ががんばっている三川鉱正門の東側約三十メートル付近に護送車のバリケードをきずき、その後逆に警官隊がピケを張り、正門東側の非常門を機動隊員が固めた。あたりは暗く深い眠りに閉ざされたまま。
○政府委員(江口俊男君) その日の午前三時五十分ごろ、三川鉱正門付近の実情視察中の警察官に対しまして、同正門付近において福岡地裁の吉次、中村両執行吏から、先に要請していた妨害排除の件について警察官の援助をお願いするという口頭の要請を受けたのであります。
(拍手) すなわち、事件の直前、四山鉱正門から約十メートル離れたへいの上から、構内より新品のつるはしの柄、カシの棒、四束、百二十本、その他鉄棒を暴力団に渡した事実があるのであります。
○江口政府委員 四山鉱正門前におきまする山代組のなぐり込み状態につきましては、私の受けている報告も、事案そのものは大体それに似ておるのでありますが、その間警察のとりました措置については、あるいは現地における説明も不十分であったと見つえまして、何もそれまでやらなかったというふうに御解釈になっておるようでございますが、私の受けております報告によりますと、それまでにやはり署の弊一中備課長等が山向岸向いて、
○江口政府委員 ただいまお話のありましたうちで、金銭がどこからどう動いているということについては存じておりませんが、最後の山代組一派が四山鉱正門前の第一組合ピケに突入したというか、そこで乱闘を起こしました際に、ただいまおっしゃるような者が武器を提供したといううわさは聞いておりますので、そのうわさの真偽については、目下荒尾署において捜査中であります。
○江口政府委員 三井三池の問題につきましては、二十七日夜及び二十八日の事態が大体おさまったという時期におきまして、また昨日不測の事態が四山鉱におきましてできましたことは、まことに遺憾でありまするが、私の手元に参っておりまするだけの報告を、二十八日と二十九日に分けまして、主として三川鉱内における乱闘事件及び昨日の四山鉱正門におきまする事件を中心に御報告を申し上げたい、かように思います。
そうして、「四山鉱正門付近から警官隊を引き揚げたのが失敗だった。というのも熊本県警は人手が少なく、みな徹夜続きで疲れていたので休養させようと思ったのだ。これはいいわけになるが、ともかく情報不足、認識不足、判断の甘さ、など、われわれの全面的な手落ちだ。」こういうふうに認めておられます。これも率直な態度でいいと思う。