2021-03-12 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第3号
だから、切り替わる瞬間はほぼ鉄道時代と同額といっても、バス転換を果たして、それが当たり前になってしまうと倍額と。これでは、余りにも負担が大きいのではないでしょうか。 今回の法案で、JR北海道は、年約百五十億円の助成金を受ける。これを対象とする事業には護岸壁の新設や改築が例示されておりますが、これが日高線を指すと聞いております。
だから、切り替わる瞬間はほぼ鉄道時代と同額といっても、バス転換を果たして、それが当たり前になってしまうと倍額と。これでは、余りにも負担が大きいのではないでしょうか。 今回の法案で、JR北海道は、年約百五十億円の助成金を受ける。これを対象とする事業には護岸壁の新設や改築が例示されておりますが、これが日高線を指すと聞いております。
しかし、日本の交通形態を歴史的に見ると、馬車時代がなかったということがあって、しかも明治以来は鉄道時代でありますから、本格的な車のための道路、車交通を前提にした道路ができ始めたのはまさしくここ数十年のことであります。したがって、物すごくおくれているわけですね。
高速艇等を検討されて、運賃について今お話あったできるだけ低廉ということはあるのですが、本当にそうでなくても深刻であるのに、島原鉄道時代よりもうんと上がるとこれはやはりいよいよ問題は大変だと思うのです。
そして、本四架橋もただの橋ではございませんで、道路と同時に鉄道が走るということでありまして、これによって四つの島が完全に結ばれたわけでございますし、三万キロ近い鉄道が張りめぐらされたということでありますが、同時に、やはり高速鉄道時代、高速道路時代が来ているわけでありまして、それに対応する施策を講じなくちゃならないんですが、青函にしましても本四架橋に しましても、できたものは非常に立派で、また広軌で、
この上野保線区は、特に安全衛生委員会は、従来国有鉄道時代から非常に大きな役割を果たしてきたところなんです。同区では職員の殉職死亡事故が昭和五年から四十一年まで四十九人でした。しかし四十二年から六十二年まではゼロなんですね、職員の死亡事故ゼロ。業務上災害認定の問題だとか安全設備の要求で非常に大きな役割を果たしてきたと思うんです。
特に、安全に関係する事柄には、今言ったような鉄道時代のその考え方が根強く残っている、こういうふうに言われているわけですね。 そして、その中の「安全性評価についての研究の視点」という中の(2)にこう書いてあるわけです。
明治五年九月十二日、新橋−横浜間の汽笛一声に始まった国民と日本経済、文化に多大の貢献をしてきた国鉄でありますが、財政的には、昭和三十九年、新しい鉄道時代の幕あげとも言える東海道新幹線が開通しましたその年に赤字に転落をいたしました。以来、一貫して赤字が続き、昭和六十年度末の累積赤字は実に十四兆円にも達し、長期債務は二十四兆円と巨額なものとなっております。
その中で私が幾つかの点を強調しているわけでございますけれども、一つ鉄道経営について私が申し上げたいのは、これからは何といっても高速鉄道時代の幕あけである、こういうことは申し上げておいた方がいいかと思います。もちろん新幹線鉄道を敷く、これは私どもの表現ではハードな新幹線と言いますが、もう少し建設コストの安いソフトな新幹線を敷くことを考えられないか。
この原因は既にいろいろ議論されておりますけれども、既に鉄道時代は終わりつつあるというようなことであります。御案内のとおり、旅客の輸送では二十四分の一になりましたし、貨物輸送ではたった数%でございます。ですから、この鉄道を国家的な事業としてやるような段階ではもはやなくなったというようなことではなかろうかと思われます。
○関山委員 衰退産業でありますとか鉄道時代は終わりつつあるというお言葉がありましたものですから、国鉄独占の事態でなくなりつつあるということは、それは私ども承知をいたしておりますが、必ずしもその前段の御発言の趣旨だけではないというふうに承っておきたいと思います。
言うならば、鉄道時代は終わりつつある、衰退産業だ、そして、もはや国家事業としてやるべきでもないし、シビルミニマムでもないという御発言の趣旨なんですけれども、そういう延長線上でいきますと、つまり、今国鉄はもう自然死をさせるほかない。とりわけ、私どもそういう論理からいけば、地方交通線などというものはもうまさに死してやむを得ざるものだというように受けとめられるのです。
私も鉄道時代に大分苦労していますから知っています。そういう気持ちで、大分もう若い青年部も年配もOBも家族も含めてやってきておるこの運動に対して、この前随分私は礼を尽くして、協議会も否定しないし、協議会の活用についても、あるいは団体交渉という問題じゃなくてもいい、やはり職員の苦労したことを聞け、聞いてくれと。
一般論で申しまして、バスでそういうラッシュができるかという御指摘でございますけれども、私ども過去に、戦前に鉄道外しておりましたものを戦後鉄道の専用バス道路にしてやっている白棚線というような線がございますが、こういうところの様子を、実態を見ますと、やはり朝集中的に通学輸送をやり、しかも昼間に鉄道時代よりも頻繁なフリクエンシーを増してサービスをしていると。
もうすたれゆくままに、むしろ国鉄再建法が論議される以前から、便利性がどうだとか、そんなことは言ってはおれぬ、昔の軽便鉄道時代の小さなレールでもしようがない、乗り手のないところだからほっておけ、保安施設から何からさびだらけ、そういう放置されたままの状況で、乗らない君たちの方が悪いんじゃないか、こういった考え方は私は逆立ちした論理だと思うのです。
徳島県の鍛冶屋原線、四十七年、これは営業係数二百九十二で赤字が三百万円、鉄道時代が赤字か四千二百万円。——ずっと列記しております。次に福井県の三国線、これも四十七年、これは係数が二百十七、赤字が千八百万円、鉄道時代の赤字が七千九百万円でございます。次に丘庫県の篠山線、これは国鉄バスだけでやっております。これは営業係数が三百三十九でございます。赤字が三千二百万円、鉄道時代の赤字が七千七百万円。
自主性が国鉄にあるからということは、昔一緒におったのだから、国鉄という昔の国有鉄道時代には運輸省は一緒だったんだから、ツーカーで、おい、おまえ、何だ、というような話の仲間だからというので、ひもが長くしてあるのではないか。
○国務大臣(佐藤榮作君) 簡単に申し上げますが、軽便鉄道時代、中央政府が補助しており、ずいぶん私もその鉄道には困りました。なかなかもうからない。今度幹線電気鉄道をつくったらこれが役立つんではないか、こういう御指摘でございますが、そういう点を先ほど来申し上げますように、その要否から考えてかからないと、十分の結論は出てこない。
先ほどから道路の開発効果その他がございましたけれども、とにかく東京だけを見ておりますと公害が発生しておりますけれども、全国を見ますと、中小都市、地下鉄も何にもないところを見ますと、自動車時代になって受けた便益、鉄道時代から自動車時代になった過去五十年間に受けた便益というようなものもまた評価していただきたいと思います。
在来は国鉄にいままでの鉄道時代からの関係がございまして、国鉄と建設省との間でこういう高架化をいたします場合の費用負担の方式が、建国協定と申しまして、協定書ができておりまして、大体フィフティフィフティで鉄道側と道路管理者側で持とうじゃないかという協定になっておるわけでございます。
○参考人(綾部健太郎君) 政府に全部まかなってもらおうとは思っておりませんが、政府が日本国有鉄道時代に建設に対して何したよりも、漸次国がよけいしておることは事実であります。
しかし、現在の国鉄が公共企業体であり、公共の福祉を目的としており、しかもその公共性を多分に持ってきた国有鉄道時代からの一つの経路というものも、やはり今日の、そこに何らか独立採算制と公共性との間に矛盾を感ずるような感覚を生ずる点だと思うのでありまして、やはり公共性と独立採算制で、公共企業体としてやっていくというそのたてまえの調和をとりながら、運輸当局としてはやっておるわけでございまして、そこがすっきり
これはいままでの国有鉄道時代の一つの考え方というものがそのまま残っておりまして、公共企業体としての国鉄の重圧になっておるということだろうと思います。しかしいまこれを一気にこの問題を解決するということは非常にむずかしいのでございまして、できるだけ国鉄の負担をこの線からは何らかの処置でカバーしていくということを考えていかなければならぬと、この点は考えておるところでございます。
○中村(寅)国務大臣 私も、先ほどから言いますように、原則的には認めるのでございますが、やはり国家財政等との関連もございますし、さらに通勤通学等の非常な大きな割引率を制定して、しかもそれを国鉄だけの負担にしておりますというのは、これは国有鉄道時代からの一つのしきたりといいますか、型といいますか、そういうものがあって、その国有鉄道時代のあり方と、公共企業体になって独立採算制というような形に変わりましたその