2009-03-27 第171回国会 衆議院 国土交通委員会 第8号
日本は、戦前は鉄道中心、戦後は道路、自動車中心ということで、道路整備、当然それ以外の社会基盤も含めて、それによって世界第二位の経済大国になったわけであります。その道路整備には、道路特定財源という大変な制度が貢献をしたということであります。
日本は、戦前は鉄道中心、戦後は道路、自動車中心ということで、道路整備、当然それ以外の社会基盤も含めて、それによって世界第二位の経済大国になったわけであります。その道路整備には、道路特定財源という大変な制度が貢献をしたということであります。
明治、大正、昭和から鉄道中心の社会が世界の経済の移行やまた交通体系の変化によりまして鋭意道路整備を進めなければならぬ、このことが昭和二十九年に第一次道路整備五カ年計画の策定ということにつながりまして、本格的な道路整備が始まったわけでございます。
また、このバックグラウンドとしては、よく言われることですけれども、鉄道が中心の物流から自動車中心の物流にという大きな変化が背景にあるわけでありまして、そういう点では国鉄といういわゆる鉄道中心の事業体がある、そういうバックグラウンドが変化したことによって就業構造が変わってくる、あるいは就業している人の数が減ってくるということは、これは産業においてはいろいろとあり得るわけですね。
○政府委員(早田利雄君) 御指摘ございましたように、五十九年の二月に従来の鉄道中心の考え方から自動車それから航空便に変えたところでございまして、その理由につきましては時間の関係もございますのでお話し申し上げませんけれども、しかし最近におきまして、今御指摘ございましたように著しい交通渋滞であるとか、あるいは大気汚染の問題、そしてまた運転手不足というようなものも私どもも当然そういう形になっておりますので
特に大都市交通の現状と問題点というものに対する今後の考え方が、言ってみますと今後の東京圏の鉄道中心とした輸送網の整備というものを決めていくものだ、こういう中身になろうかと考えているところでございます。
○田代政府委員 郵便小包につきましてはいろいろなサービス改善を実施いたしましたが、まずスピードアップの面でございますが、従来の鉄道中心の輸送から自動車及び航空機に切りかえました。これが五十九年から六十一年にかけましてはぼ全面的に鉄道から自動車及び航空機にかわりました。
まず、私どもの考え方は、国鉄を民営化し、活力ある経営、効率ある経営を行わせ、今まで公社形態であった公共企業体という形の中で幾つかの制約がございました、それを除いて鉄道中心の多角経営を行える事業体にすべきだと考えております。この点について総理の認識はいかがでありますか。
自家用で市内に入られるならば二人、三人一緒に入ってもらいたいと、こんなことを市条例として試みにやったのも日本にもあるわけなんですから、ですからそういうような問題について、やっぱり運輸省が音頭を取って、関係省との間に大胆な打ち合わせをやるということがないと、私は鉄道中心に大都市圏の交通をかなり賄っていくということは賛成ですよ。賛成ですが、どうしてもそれだけではだめなんですね。
経営改善計画の中にもうたってございますし、私たちもそれを前提にして承認したのでございますが、国鉄が過去百十年の間に進めてまいりましたのはいわば鉄道中心の輸送であって、しかも富国強兵政策、その当時の国是にのっとりまして、貨物輸送中心に国鉄の線路が伸びてきたという歴史がございまして、これが全国に数多くのヤードを持ち、貨物取扱駅は、どの駅でも貨物取り扱いをやってきた。これが事実でございます。
しかし、そこを今度再開発してりっぱな町につくり直すという場合に、鉄道中心でなければならぬのか、道路が四通八達しておりまして、道路を中心とした面開発を考えておられるのか、そこらは私たちもよく承りたいと。
また、この鉄道がその地域における重要な交通機関であるということも、あるいは町づくりが鉄道中心になされてきたということも十分承知いたしております。 しかしながら、現在産業構造は変わってまいりましたし、また、それに伴いまして交通のあり方も変わってまいりました。
私は、地理的な条件、それから平地面積当たりの人口密度の問題、それからすぐれた高度の日本の工業水準の問題等から考えますと、鉄道中心の輸送体系というものにもう少し踏み込んだ議論をすべきではないかというふうに考えております。そういう角度から意見を言わしていただきたいと思っております。
たとえば、私は、本四架橋の問題についていろいろ勉強しまして、本四架橋がもし鉄道中心の輸送体系だったら海底トンネルに切りかえることができるわけです。海底トンネルでやりますとコストが三分の一に下がります。輸送力は上で車で運ぶやっと同じぐらいなやつが皆下で運べます。というのは、レールは二本しか入らないのだけれども、一本の右側のレールを二本にしまして、新幹線と在来線と両方通すわけです。
一つは、国鉄というものをどうするかという点で、私は総合的な見地から鉄道中心主義をとるべきだという観点に立っておりますので、国民経済の血脈として――国民経済を一つのからだに考えますと、国鉄を血管としての機能をさせるという点から第一点は必要である。 それから第二点は、大都市はもちろんでありますけれども、特に通勤、通学輸送体系という点を考えますと、これはすでに都市施設としての機能を持たせるべきである。
こういうふうな形の、建設計画も鉄道中心に切りかえますというと、たとえば本四架橋についての考え方も変わってきます。 本四架橋は、いまは自動車道路をつくるために架橋になっております。ところが、架橋というのは非常にコストがかかるわけです。暴風のときにアメリカで橋がばさっといったことがありますけれども、非常にこれはむずかしくて、コストはかかるわけです。
○八田薫君 具体的に申しますと、従来わが国は鉄道中心時代ということになっていたわけなんです。そこで鉄道の駅をあっちこっちに増大された。そして駅と駅との間隔が非常に短いということなども、いわゆるこの鉄道にあまりに国民の依頼心が強いというところからそういう現象が起こってきた。そのことがこの赤字にも影響しているんじゃないかということ。
しかも明治時代は鉄道中心主義。しかも明治維新の時期におきましては、資本の前期的蓄積が非常に低い段階で資本主義の体制に入った。しかも交通が鉄道中心主義で発達をした。いわば日本の明治以降の経済の発展は、極端に申しますと、交通の側面から見ますと国鉄をにない手として形成され、発展を遂げてきた。このことは都市の構造一つ見ましても、鉄道型の都市として発展をしてきている。道路は人間の歩く道路として支配的である。