1966-06-09 第51回国会 参議院 内閣委員会 第29号
だがしかし、これは満鉄創立の当初、諸外国に対する、いま繰り返し申し上げた外交政策から、故意に政府がそういう政府直営という形を避けたわけですね。したがって、民間会社でなければならないという、そういう民間会社の形をとったということは当然のことであるわけです。民間会社の形をとった趣旨から見て、人事交流についても制度的に常時交流という形はとらなかったわけですね。この点は御理解いただけると思うのです。
だがしかし、これは満鉄創立の当初、諸外国に対する、いま繰り返し申し上げた外交政策から、故意に政府がそういう政府直営という形を避けたわけですね。したがって、民間会社でなければならないという、そういう民間会社の形をとったということは当然のことであるわけです。民間会社の形をとった趣旨から見て、人事交流についても制度的に常時交流という形はとらなかったわけですね。この点は御理解いただけると思うのです。
しかしながら、これは満鉄創立の当初諸外国に対するいわゆる外交政策から故意に、政府直営でなくして株式会社という名称を付したということは、これはもうここで私があえて指摘申し上げるまでもないわけで、よく御理解いただけると思うのです。そこで政府は、朝鮮総督府と満鉄、満洲国と満鉄との間に、国の命令によって一時に大量の人事交流を行なっているわけです。
それから私が現地調査をいたしますというと、武蔵野市あたりでは、当初のころの武鉄創立事務所の説明は、市議会の総務委員会などに対する説明は、モノレールでやるのだという説明だったのです。ですから、地元の者は、普通の電車が走るのじゃなくて、モノレールが通るのだとばかり思い込んでおったわけですね。