運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1986-04-14 第104回国会 衆議院 建設委員会地方行政委員会大蔵委員会運輸委員会連合審査会 第1号

当時の道路公団の総裁が御答弁になっているわけですけれども、鈴鹿トンネル災害にかんがみて道路上の防災基準ができております、日本坂トンネルはそれをはるかに上回っておりますという委員会での答弁がございます。今ここに示したように、こういう基準があるから大丈夫だろうと思っていますけれども、何がだめかということをきょう具体的に言っておきますから、東京湾横断道路のときに私の指摘を思い起こしていただきたい。  

薮仲義彦

1986-04-14 第104回国会 衆議院 建設委員会地方行政委員会大蔵委員会運輸委員会連合審査会 第1号

建設省道路公団は、日本坂トンネルについて、昭和四十二年の鈴鹿トンネル事故を上回る防災をやりましたということを言っておられました。A級防災日本坂トンネルにやったと言ってああいう事故になったのです。だから私は、計画と実態というものは開きがありますよということを言いたい。先日の建設委員会のときからずっと言っているのです。

薮仲義彦

1981-11-12 第95回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号

先ほども御説明ございましたように、日本トンネルの中で大きな火災事故が起きましたのが国道一号線に設置してございます鈴鹿トンネルでございまして、これは大型貨物車多重事故火災を発生したというような大きな事故でございますが、それにかんがみまして、国で昭和四十二年四月十四日付で「道路トンネルにおける非常用施設設置基準について」という通達が出されたわけでございます。  

持田三郎

1979-08-09 第87回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第11号

高橋参考人 国の基準と申しますのは、昭和四十二年の鈴鹿トンネルにおきます火災事故を契機にしましてつくられたものでございまして、道路公団もそれをもとにしましてつくられておるわけでございますが、先ほど申しましたように日本坂トンネルにつきましては国の基準を上回った設備をしておることは事実でございます。  

高橋国一郎

1979-08-09 第87回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第11号

渡海国務大臣 基準検討でございますが、四十二年の鈴鹿トンネルによって基準をつくられた、事実でございますが、その後も私は、四十九年ですか再検討をして、一部基準を引き上げておるということも聞いておりますが、今回の事故にかんがみまして、さらに御指摘のように万全を期すために検討をさせていただきたい、このように考えております。

渡海元三郎

1979-08-08 第87回国会 衆議院 建設委員会 第11号

渡海国務大臣 こういった施設に対しては、この前、鈴鹿トンネルによる教訓によりまして防災対策その他の施設を行ったというふうに、考えられる万全を期しておりましても思わざる事故が起きたことによりまして、次の対策をまた考えていく。これで万全であるというふうな限界は、絶えず、これらの実績に基づいて前進していかなければならないのが常態ではないか、こう思います。

渡海元三郎

1979-08-08 第87回国会 衆議院 建設委員会 第11号

高橋参考人 昭和四十二年の鈴鹿トンネル火災事故に基づきまして、建設省におきましては道路トンネルにおける防災設備設置基準というものを制定いたしまして、わが道路公団におきましては、それをもと技術基準を定めております。その後さらに四十九年に道路トンネル技術基準が、これは建設省基準でございますが制定されましたので、それを受けまして、さらに改定しております。

高橋国一郎

1979-08-08 第87回国会 衆議院 建設委員会 第11号

瀬崎委員 いま言われた十二年前の鈴鹿トンネル火災の後、いわゆるトンネル技術基準を改正しておりますが、その建設省の解説の中でも、万一火災トンネル内で発生した場合には、ホランドトンネル鈴鹿トンネル等の過去の事例にもあるように、後継車対向車火災が拡大し、大きな災害になる可能性がある。規模が大きくなり、重大な事故になるのは延焼から起こるのだという指摘がちゃんとあるわけなんです。

瀬崎博義

1979-07-13 第87回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号

鈴鹿トンネルの四十二年度の災害によりまして、その教訓からいろいろな防災施設がつくられておるわけです。三百四十四個の自動火災感知器。十二メートルごとにこれがつけられている。また、四メートル間隔で千二十四個のスプリンクラーがつけられておる。二百メートル間隔に十一台のテレビカメラが設置されている。

山原健二郎

1979-07-13 第87回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号

先生御指摘にございましたように、鈴鹿トンネルの四十二年の事故がございました後、こういうトンネル内における車両の火災可能性というものがあるということでございますので、トンネル延長であるとか交通量に応じましてその危険性等も変わるわけでございますが、そういったものを勘案しながら、最善と考えられる非常用施設をつくってきたわけでございます。

渡辺修自

1969-07-31 第61回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第25号

そこで伺いますが、四十二年三月六日、鈴鹿トンネル内におけるトラック火災事故で、自動車メーカーに対して運輸省設計変更をその後指示したのであります。これは鈴鹿トンネル内でトラックがエンジンの下から燃え上がって火災を起こし、トンネル内を損傷した。そのほかの車にも類焼して、大きな火事になったことは御承知のとおりですが、その後、運輸省自動車メーカーに対して設計変更を指示した事実があります。

板川正吾

1968-07-31 第58回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第13号

お話のございましたように、鈴鹿トンネル自動車火災等がございまして、非常に大きな事故でございましたので、当時総理府の交通対策本部各省集まりましてこれが対策検討いたしたわけでございますが、その検討に基づきまして対策本部からこれに対する具体的な対策をとれという指示が各省に出ました。

多治見高雄

1967-07-04 第55回国会 参議院 地方行政委員会 第20号

国務大臣藤枝泉介君) 鈴鹿トンネル事故トンネル内で自動車火災にあいましたあの事故にかんがみまして、その後、全国の各隧道等の調査をいたし、そうして関係各省、消防庁も含めまして、関係各省でいろいろ相談しました結果につきましては、事務当局から申し上げますが、それによりますと、いろいろ施設をしなければならない個所も相当多いようでございます。

藤枝泉介

1967-07-04 第55回国会 参議院 地方行政委員会 第20号

だけれども、今後はっきりやっておかなければ、この際はっきりやっておかなければ、また第二、第三の鈴鹿トンネル事件ないとは限りません。人間が今度は百人も二百人も蒸し焼きになったらたいへんな問題です。それで研究なさるのもけっこう。じゃあ、いつごろどういうふうになっていくのかということですね。これははっきりしなければいけないと思うんですよ。

原田立

1967-06-29 第55回国会 参議院 地方行政委員会 第19号

ただ、今回予想をいたしておりまするところは、たとえば具体的な例を申し上げますと、先般鈴鹿トンネルで御承知のような事故がございましたが、そのときに救急車を持っている市がどこかといいますと、滋賀県側は大津でございます。これは四十キロか五十キロかでございましょうし、三重県側は四日市でございまして、これも二十キロ以上離れておる。

佐久間彊

1967-06-21 第55回国会 参議院 産業公害及び交通対策特別委員会 第10号

しかしながら、御指摘のように、鈴鹿トンネルのような事故が起こりますと非常に問題でございますので、とのような事故の再発を防止いたしますために、去る四月の十七日に、交通対策本部におきまして、トンネル等における自動車火災事故防止に関する具体的対策を決定いたしております。現在各省庁がこれを実施中でございます。内容を大ざっぱに申しますと、三つの点を決定いたしております。  

宮崎清文

1967-06-06 第55回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第8号

 四、関西本線、紀西本線及び近鉄などの踏切数は千六百カ所の多きを数え、市街地の踏切のほとんどが平面交差人身事故が多発していることにかんがみ、跨線橋、鉄道高架化について促進をはかること  五、国道一号線及び名四国道交通渋滞の緩和、交通事故対策について、次のような措置を講ずること    追分バイパス及び名四国道延長早期完成中央分離帯横断歩道橋照明灯設置並び東名阪国道早期着工鈴鹿トンネル

登坂重次郎

1967-04-20 第55回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

現場の視察に行かれましたのも、トンネルの問題なり国道一号線等の視察だと思いますが、あの鈴鹿トンネルの問題、さらに国道一号線が幅が非常に狭い。しかもどんどんと交通量はふえつつある今日、三重県の関町から滋賀県の栗東方面国道一号線に対して、建設省としてはどういうふうにこれを事故の起こらない方向へ前進させる考え方を持っておられるか。予算の面については一体どうお考えになっておるか。

後藤俊男

1959-12-09 第33回国会 衆議院 運輸委員会 第7号

何となれば、新東海道線を建設するにあたって、いろいろ調査なさったことも事実でございましょう、またいろいろな案のあったことも事実でございましょうが、帰するところはだれが考えても現在の米原回り東海道線をやるか、あるいはさらに鈴鹿トンネルを越えて最短距離を走らせるかということが重要な路線であることは鉄道に志す人はだれでも知っていらっしゃる。

早稻田柳右エ門

  • 1