2010-11-11 第176回国会 衆議院 本会議 第7号
政府には、昭和五十七年、当時の鈴木首相が、財政非常事態を宣言し、人事院勧告凍結に踏み切った前例があります。この部分だけでも勧告を深掘りし、回復措置を先送りすれば、菅総理の当初の発言に多少とも沿うこともできるのではないかとも思います。 回復措置の先送りは検討されなかったのか、この措置を実施しなければならない理由とあわせて、総務大臣に伺います。
政府には、昭和五十七年、当時の鈴木首相が、財政非常事態を宣言し、人事院勧告凍結に踏み切った前例があります。この部分だけでも勧告を深掘りし、回復措置を先送りすれば、菅総理の当初の発言に多少とも沿うこともできるのではないかとも思います。 回復措置の先送りは検討されなかったのか、この措置を実施しなければならない理由とあわせて、総務大臣に伺います。
よく見えまして、非常に有意義な視察であったというふうに思っておりますけれども、今まで小泉さんの前に、小泉首相の前に鈴木首相あるいは森首相がやはり視察に行かれたということでありますけれども、現地の方にお聞きしますと、やはり今まで行ったというだけで、その後のほとんど解決に結び付いていないということで、小泉首相の視察が二度あることは三度あるにならないように是非頑張っていただきたいというような話があったわけなんですけれども
一番多いのは鈴木首相のときの一兆六千五百億円ですよ。 そうなりますと、戦後たくさん首相がいらっしゃるけれども、例えば吉田首相、アメリカべったりの仕組みを日本につくった。岸首相、警官導入で安保条約を通した。田中角栄首相、ロッキード、信濃川河川敷、すごい金脈でしょう。あなたはそういう首相に並べられるような、戦後国民に対して最大の前例のない負担増を押しつける首相、そういうことになりつつあるんです。
この訪米は、そのときに日米共同声明が出されて、そこで日米は同盟関係にあるということを政治声明に言ったということで、その後、伊東正義外務大臣が辞任に至るという大変ドラマチックなことになった訪米でございますが、そのとき私は随行議員としてつきまして、それから、水町氏が随行医として、鈴木首相の主治医として同行されました。それが初めての出会いでございます。
私、これは八一年の五月のときの鈴木首相とレーガン大統領の共同声明、今持ってきたのです。ここでは、八項の場合にこの安保条約の関係について言っているのです。 どう言っているかというと、「日米相互協力及び安全保障条約は、日本の防衛並びに極東における平和及び安定の基礎であるとの信念を再確認した。」極東の平和と安定の基礎であるということを再確認した。
例えば、フィリピンはアメリカやスペインともやってきたし、サント・トーマス大学は一六一一年に建てられているんです、それを琉球大学につくるということであれば我々の教えを請うのが当然ではないですかというような発言がすべての国から出ましたので、鈴木首相に対する英語の報告書にはやはりそれは書かざるを得なくなりました。
この問題の経緯をちょっと簡単に申し上げておきませんと、お聞きになっておる皆さんは事情がわからないと思いますので、これのそもそものもとになりますのは、実はミッテラン大統領が一九八二年、日本に公式訪問されまして、「迎賓館におけるミッテラン大統領と鈴木善幸首相との会談後にミッテラン大統領が記者団に行った言明 一九八二年四月十五日し、こういうことで実は文書がございます、 本日は、まず鈴木首相と私との間で
○宮澤内閣総理大臣 ただいま堀委員の御指摘になりました問題は、仰せのごとく、この発端の鈴木内閣の時点で、鈴木首相とミッテラン大統領との話に出た問題でございましたので、私も当時のいきさつを記憶をいたしております。
○草川委員 この平成二年四月ごろ、鈴木首相の事務所のあるビルの入り口で阿部氏は森口氏から一億円を受け取り、ビルに入ったということまで言われているわけであります。しかも、それが紙包みに二つに入った。二つに入った紙包みの上にはガムテープでそれが張ってあったというような描写まで今報道をされておるわけでございますが、内澤氏に確認をして、いま一度国会にそういうことはないという御報告がお願いできるでしょうか。
そして、防衛計画大綱には書かれていない、一言も書かれていない千海里シーレーンなんというのが鈴木内閣のときに、アメリカのプレスクラブでの鈴木首相の演説から始まって千海里シーレーンというのは加えられ、その後、加藤防衛庁長官のときは経空脅威ということを新たに言い出して、洋上防空ということでイージス艦の導入につながっていくわけでして、総理おっしゃるように、できたときは非常に立派なそれなりのものだったというふうに
ライシャワー発言のときだって、当時の鈴木首相は、すぐにこれは調査すると最初言ったではありませんか。その後、今言ったような私人扱いでもう調査しない、こういうふうになりましたよね。ところが今度は公文書です。したがって、性格が全然違いますから、公文書を至急取り寄せて、そして外務省のこれに対するコメントというものを当然やるべきではありませんか。それまでしなければいかぬと私は思いますけれども。
そこで、 本日は、まず鈴木首相と私との間で約一時間の首脳会談を行い、次いで閣僚を含めた拡大会議を同じく約一時間行った。 会談は主として日仏間の二国間交流について、その現状や内容を検討し、その発展の見通しや、発展させるべき方向を話し合い、両国の利害関係が一致しているか、一致していない場合にはいかにすれば一致させられるかなどを討議した。この次が問題なんであります。
一九八一年、時の鈴木首相は日米共同声明で「世界の平和と安定の維持のために重要な地域に 対する援助を強化していく」と約束しましたが、これ以後、アメリカの肩がわり要求は露骨となり、アメリカが戦略重点国とするジャマイカ、タイ、パキスタン、トルコ、スーダン、エジプト、ペルシャ湾岸諸国など国名を挙げて援助をふやすよう要求するに至ったのであります。政府は、これに唯々諾々と従ったのであります。
ところが、また八一年ですか、鈴木首相が向こうへ行かれて、レーガン大統領の言葉に乗せられたという言葉は悪いですけれども、ひょっこり洋上防空などという、これまたできもしないものを約束してきた。それで、以後ずっとこうなって、GNP一%突破の要因をつくった。 私は、ちょっと前置きが長いですけれども、太平洋、特に北西太平洋が核の海になった。
鈴木首相になりまして動きがとれないから、外国ではもう三、四年前に廃れちゃったビッグガバメント反対論を日本は遅まきながら導入する。昭和五十六年三月十八日第二臨調発足である。三木さんに政府を大きくしろと言った土光さんが臨調の責任者でしょう。土光さんはそのとき何か言いましたか。政府を大きくしたのは私の責任である、だから私は今回鈴木内閣の要請に応じて罪滅ぼしのために政府を小さくするんですと言いましたか。
不破委員長は六年後に、では平時には提供するのかと聞いたら、当時の塩田防衛局長、防衛庁長官、鈴木首相は、全部答えを控えさしていただきますと言って答えなかったんですよ。平時にP3Cの得た情報を米軍に提供すると集団的自衛権に触れることになるんですよ。このOTHレーダーも同じですよ。日本は平時てどこからも攻められていない。ところがアメリカは有事、極東有事とか中東有事で。
結局鈴木総理の時代に、中東等で問題が起こった場合のシーレーン防衛、これは日米首脳会談で鈴木首相の発言の中でも、いわゆるアジア・太平洋における米艦隊が留守になった場合のその機能を代替するというふうなことがその後の国会の議論の中でも問題になっているわけですから、この日米安保条約によって事実上アメリカが始めた戦争に国民の知らぬ間に日本が巻き込まれる危険性があるということは明白だろうと思うのです。
これが新しい変化であることは、竹田前統幕議長も、防衛計画大綱作成当時は一千海里シーレーンには関心はなかった、そういう構想はなかったと述べておられることからも明らかでありまして、ガイドライン以後新たに鈴木首相の言明、中曽根現首相の対米誓約によってアメリカによって強く押しつけられているものであります。
それで、安倍さんにしっかり聞いていていただきたいわけですけれども、八一年に前の鈴木首相がフィリピンに行かれたときに、大変な抗議集会に遭い、抗議文をもらった。そして、売春窟に鈴木首相が入っていく姿を漫画にして出されるというようなことがありました。これは、買春ツアーの問題で大きな反撃を食ったようです。
○土井委員 これは国会決議を何回やったって、そして国会決議を受けた形で、当委員会ではそれを遵守する努力をいたしますということをはっきり今まで宮澤外務大臣当時も答えられておりますし、鈴木首相は第二回軍縮国連総会に出向かれるに当たりまして、国会決議に対してはこれを誠実に遵守する旨というのをるる述べておられるわけです。口先で幾ら言ったってだめなんですよね。
しかし、実態はそこが拘束しておるのでありまして、それに基づいて八一年の五月佐は鈴木首相のもとでいわゆる日米同盟の確認が行われます。そして、それが中曽根首相のもとでさらに日米運命共同体とか、シーレーンあるいは日本列島不沈空母というようなさまざまの言葉を使いながらエスカレートしてきておるということは御存じのとおりであります。