1992-04-22 第123回国会 衆議院 外務委員会 第7号
私は、もう大変これを素人でわかりませんが、一九五六年のあの鳩山総理の共同宣言が発表されたときも当時社会党の鈴木茂三郎委員長が、共同宣言をつくってきて当時自民党の中にも相当な反対があった、しかし批准行為をするようなときにもし自民党の内部が反対するのであれば社会党は挙げて賛成に回る、こういう激励もしながらいわばソ連の決断を求めてきた。
私は、もう大変これを素人でわかりませんが、一九五六年のあの鳩山総理の共同宣言が発表されたときも当時社会党の鈴木茂三郎委員長が、共同宣言をつくってきて当時自民党の中にも相当な反対があった、しかし批准行為をするようなときにもし自民党の内部が反対するのであれば社会党は挙げて賛成に回る、こういう激励もしながらいわばソ連の決断を求めてきた。
これはもちろん秘密だということで、当時の鈴木茂三郎委員長に電話で報告しました。そうしたら鈴木委員長は、そんな重大な問題を一野党議員にしゃべるはずがないと、もう一度確かめろと言う。しかしこの種の問題を、先ほどの話はうそか本当かなんと確かめられるはずのものではありません。 ところが、たまたま出発の直前に赤坂のプリンスホテルの旧館で私たち参議院外務委員は全権一行の壮行会を開きました。
だからその当時日本社会党は、その批准に当たっては、たしか鈴木茂三郎委員長の当時だったと思うのですが、野党といえどもあなたのその英断に対して協力を申し上げましょうということで、あの共同宣言が今日に生きておると思うのですね。私は、いまこそ鳩山外相は、お父さんにまさるとも劣らないそういう姿勢で平和友好条約にぜひ取り組んでもらいたい、これを強く要望しておきたいと思う。
社会党は鈴木茂三郎委員長、共産党は野坂参三議長がおいでになりました。そして全国民的にこの問題の解決のために一生懸命やろうということを、自民党の三木さんも言われました。非常にすばらしい集会でありました。
これの対応策を立てなければならなぬという話が出まして、野党鈴木茂三郎委員長にも話がありました。その命を受けて私は縁の下のかけ橋をいたしました。その結果、オキュパイド・ジャパン時代であったにもかかわらず、ソ連へ行って、ソ連の油六百万トンをスポットではありまするけれども買いましたことは、あなたもお古いですからよく御案内のとおりです。国策に沿うためです。
これも鈴木茂三郎委員長以来ずいぶん長い歴史がございます。国民の中でどの程度が賛成をし、どの程度が反対かというような点についてはしかとはわかりません。もちろん数多くの批判のあることも知らないわけではありません。また私どもの党でない他の党の中でも、等距離という立場の中立をお考えになっておるところもあります。
したがいまして、昭和三十二年に、当時は石田労働大臣でありましたが、石田労働大臣が積極的にこの裁定完全実施を唱えまして、当時の岸総理とわが党の鈴木茂三郎委員長が会談いたしました。そして、今年は完全に裁定を実施いたしますということで私はストライキを解除いたしました。
○藤田進君 その方針とは、繰り返すようですが、昭和三十二年以降は、岸総理と鈴木茂三郎委員長との会談で結末がついているのですね、記録を調べてみますと。これは御存じですか。
また同時に、私は、昭和三十一年、故鳩山総理が、与党内一部の反対を押し切ってモスクワにおもむき、宿望の日ソ国交回復を進めたとき、当時の社会党が、鈴木茂三郎委員長の指導のもとに、鳩山さんに協力をしてこれを成功に導き、やがて日本の国連加盟が実現するに至ったことを思い起こすのであります。
第一陣は鈴木茂三郎委員長だそうであります。これらに対する時間、順序等は、四日午前中の理事会、議運において確定したいと思います。それまでに各党で質疑者の届出を願います。 —————————————
その裏づけといたしまして、社会党の鈴木茂三郎委員長、和田博雄氏、あるいは勝間田氏、こういう全面講和を強く主張しておられる方々に対する最近の検察庁の干渉がある。あるいは民主党左派の人たちに対して、同じく検察庁の弾圧がある。