2015-05-12 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号
次、鈴木総理大臣の答弁ですけれども、我が国は、平和憲法の下に平和主義の上に立ちまして、平和国家の建設に向かって今日まで努力いたしてまいったところでございます。そのような精神の上に立ってというふうに言っていますね。 憲法の精神といったら、当然、平和主義が入るんですよ、憲法前文の平和主義が。
次、鈴木総理大臣の答弁ですけれども、我が国は、平和憲法の下に平和主義の上に立ちまして、平和国家の建設に向かって今日まで努力いたしてまいったところでございます。そのような精神の上に立ってというふうに言っていますね。 憲法の精神といったら、当然、平和主義が入るんですよ、憲法前文の平和主義が。
私、きょうは、一九八一年五月二十五日の参議院本会議での鈴木総理大臣の答弁を持ってまいりました。「わが国への核持ち込みは、いかなる場合であっても認める考えはありません。緊急避難のごとき場合にも非核三原則を堅持することに変わりはありません。」こう答弁しておられます。
なぜ、そういうことになるかと申しますと、実は、去る沖縄戦のときに、いよいよ沖縄が玉砕が間近に迫ったときに、当時の鈴木総理大臣が官民一体となって沖縄の人々とともに特攻精神を持って勝ち抜くというようなことをおっしゃったわけです。公言されたわけですが、そういうことは全く起こらなかったわけですね。
日米関係について、同盟だとはっきり言った伊東外務大臣、同盟ではないよと鈴木総理大臣、対立いたしまして、結局外務大臣がやめる羽目になった。これは、デタントから新冷戦へと国際社会の環境が大きく変わる中で起きた国際政治上の一事件として記憶にとどめられているわけであります。
○政府委員(竹内行夫君) いささか繰り返しになって恐縮でございますが、その大平外務大臣とライシャワー大使の当時の会談ということに関しまして、我々といたしまして、先ほど来申し述べておりますとおり、その会談の内容等が日本の国内でも大いに議論になりまして、我々外務省においても当時調査が行われました一九八一年のころでございますけれども、そのときに、鈴木総理大臣より、大平さんはそういうことを言っておらない、記録
○堀委員 実は、私が昭和五十六年三月二十五日に、鈴木総理大臣との間で当大蔵委員会でやりましたときの発想は、赤字法人の問題だったのですが、今主税局長が言われるように法人税というのは収益税でありますから、収益のないところに法人税がかけられるわけはありません。しかし、地方税である市民税なり県民税の均等割の問題は、これは応益負担の制度になっているわけですね。
これは、憲法上からいいますと、当時の総理大臣である鈴木総理大臣が自分の意見を、内閣の意見を述べないで天皇にどうお考えになるかを確かめまして、その上で内閣の決意をするために行った行為であります。輔弼責任を負う大臣が天皇の言葉だけで国政をとるということはありません。
まだほかに伺いたいことがありますが、もう時間がありませんので、割愛をいたしまして、最後に外務大臣にお尋ねしたいのでございますが、ことしは国連軍縮特別総会第三回ということでございまして、第二回のときに鈴木総理大臣が原子力問題について提案をされておるのでありますが、今回の軍縮特別総会において、原発を含めた核問題について竹下総理大臣から一つの提案なり見解が表明されるのかどうか。
この線に沿って、当時の鈴木総理大臣の御提言もあって、日本政府は広島と長崎の原爆の資料、被爆資料を国連に提供いたしました。御承知のように国連に常設展示場ができました。それからまた国連は、国連の広報局でございますか、この被爆資料を持って世界の主要都市で核の脅威展というのを巡回で開いたわけでございますね。
それに対しまして時の鈴木総理大臣が衆議院議長に対して答弁書を出しておるのですが、候補地としては、中国地方、九州の北部に数カ所を挙げている、こういう公式な答弁書が出ております。えびののこの国有林は九州の北部ではございません。総理大臣が衆議院議長に対しまして、候補地をちゃんとはっきり特定しておるわけですよ。それなのに防衛庁は、総理大臣の特定したその場所以外のところを適地として今作業を進めておる。
○馬場分科員 鈴木総理大臣はこういうことをはっきり答えているわけですよ。VLF送信所の候補地として、中国地方及び九州北部地区において数カ所を考えておるということをはっきり答弁書に書いておるわけです。宮崎のえびのは北部ではないのですよ。そういう点この食い違いについて問題を感じませんか、長官。
その言い続けてきた中曽根総理大臣でさえ、鈴木総理大臣以来北方の地を見ていないのです。これではこの小さな子供たちが現地に帰って、中曽根総理大臣がこういうことを言った、私たちも夢と希望を持って北方が帰ってくるまでこの一市四町で親の仕事を受け継いでしっかり仕事をしていこうという子供たちの夢を無残にも打ち砕いてしまうのではないかと私は思います。 最後に、御要望でございます。
東京における歓迎集会に先立ちまして鈴木総理大臣を表敬訪問いたしました。そのときの鈴木大臣の言葉について若干申し述べさせていただきます。 官邸へお伺いをいたし、写真を撮った後、隣室の会見場に入りました。鈴木総理から歓迎の意が表明され、セイシェル側からはルネ大統領からのメッセージが渡されました。
○楢崎弥之助君(続) 続いて五十六年一月二十六日、鈴木総理大臣の施政方針演説。次いで五十六年六月五日、核軍縮に関する決議、これは衆議院外務委員会であります。そうして五十七年五月二十七日、……
昭和五十六年の五月に鈴木総理大臣は訪米をしました。例の西側の一員として総合安全保障確保のため、日本にふさわしい役割を果たす決意があるということで、問題の日米同盟ということを声明で発表したいきさつが残っているわけであります。
これは、鈴木総理大臣がアメリカに行きまして例の日米同盟というものを確認してきて以来、自民党の中では随分勉強をされておりまして、逐次発展をしてこの公約になったと思うんです。この公約を安全保障の部分で読んでつなげてみますと、官房長官が言っているようにその心配はありませんというようなことは——心配があるんですよ、心配がないというふうに断言をしますと大変なことになるんです。
かつて伏見先生が会長をやっておりました昭和五十五年にも、鈴木総理大臣に対して具体的に一つ一つ問題を提案しているわけです。そのうち、今いみじくも説明がありましたが、やりやすい問題、つまみ食いと言っては語弊がありますけれども、そういう感じがしてならぬと思うんです。
もう一つ、これは五十七年二月二十三日衆議院の本会議、内閣総理大臣は鈴木総理大臣でございますが、「地方交付税は地方の固有財源であるとの御意見がありましたが、地方交付税につきましては、法により国税三税の一定割合をもって交付税とするものとされており、それが地方団体に法律上当然に帰属するという意味において、地方の固有財源であると言って差し支えないと存じます。」
そういう点で、この首都圏の直下型地震の問題は、我が党も例えば不破さんの五十六年の予算委員会総括質問なんかもありまして、そのときも、当時の鈴木総理大臣から非常に、閣僚も各省庁挙げてやらなければならないというようなお答えもあったわけでありますが、国土庁長官も新たに御就任なされたわけでありますから、この直下型地震についての御認識はどうお持ちになっていらっしゃるか、簡単で結構ですから、ひとつお答えいただければありがたいと
○田邊(誠)委員 そこが、前の鈴木総理大臣は、これは絶対悪である、こう言ってきたに比べて、あなたは必要悪と実は呼んでいるところに、中曽根さんという人の持っておる人間性、いわば政治家としての姿勢、これをうかがい知ることができるのですね。 あなたは抑止ということを言われたけれども、抑止とは何ですか。
鈴木総理大臣は、「五十五年の衆参同時選挙についてのお尋ねがございましたが、これは全く当時大平内閣としても意図してああいうことをやったわけではございませんで、たまたま不信任案が通過をした、わずか二週間足らずの間に二度も投票日に国民の皆さんに足を運ばさせる、煩わすというようなこともどうかというようなことでああいう結果になったわけでございます。