2016-05-27 第190回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
復興道路といたしまして今進めております三陸沿岸道路、これにつきましては、百四十八キロで事業を推進、そして現在まで六十五キロが開通しておりまして、特に用地買収あるいは工事がかなり進捗している区間、例えば山田—宮古南、田老—岩泉、宮古中央—田老といったようなところが二十九年度まで、そして唐桑北—陸前高田、吉浜—釜石間、釜石山田道路の一部、久慈北といったようなところが平成三十年度まで、宮古中央—田老間が三十二年度
復興道路といたしまして今進めております三陸沿岸道路、これにつきましては、百四十八キロで事業を推進、そして現在まで六十五キロが開通しておりまして、特に用地買収あるいは工事がかなり進捗している区間、例えば山田—宮古南、田老—岩泉、宮古中央—田老といったようなところが二十九年度まで、そして唐桑北—陸前高田、吉浜—釜石間、釜石山田道路の一部、久慈北といったようなところが平成三十年度まで、宮古中央—田老間が三十二年度
事実、宮城県の釜石山田道路は、震災のわずか数日前に供用開始された道路であり、あの道路がなければ助からなかったという声を、私は、現地で、この耳で伺いました。 防災、減災のためのインフラの重要性と、長寿命化による中長期的なコスト削減の取り組みを正当に評価するならば、ごく一部ながらいまだに見られる、ばらまき、無駄遣いなどとの心ない批判がいかに的外れなものであるか、申し上げるまでもありません。
最後に、車中から、三陸縦貫自動車道釜石山田道路の釜石両石—釜石北間を視察いたしました。釜石両石—釜石北間は地震発生六日前の三月五日に供用開始された区間であり、地震直後、釜石山田道路に避難してきた児童生徒たちが孤立することなく避難所まで移動できたことや、地震後において避難所までの救援物資を運ぶ道路となったことなど、まさに命をつなぐ道としての機能を果たしたとのことでございます。
もう一つは、大震災直前の三月五日に一部開通した三陸縦貫自動車道・釜石山田道路の効果であります。先ほど述べましたとおり、当市の鵜住居小学校、釜石東中学校の児童生徒たちは、高台への避難場所に逃げた後、瓦れきで埋まり、また津波で破壊された国道四十五号で立ち往生することなく、この自動車道を歩いて市内の避難施設までたどり着くことができました。この地域の住民も同様であります。
実は、釜石から大槌に入るのに、つながっている国道が寸断をされておりましたが、この震災の六日前、三月五日に釜石山田道路というのが供用開始になっておりまして、この道路があって助かったという声がとても大きかったですね。
そのうち、桃生登米道路十二キロ及び釜石山田道路二十三キロについては、平成五年度中に環境アセス及び都市計画決定を図るべく今調整を進めております。平成五年度には新規事業化する予定でございます。