1959-11-17 第33回国会 衆議院 災害地対策特別委員会建設等小委員会 第2号
これは例の笹子有料道路なんかできて、今非常に利用価値があるわけでありますが、この甲府から諏訪に至る釜無川沿いが災害復旧が完成せずに、ほかのバイパスと申しますか、迂回線を回っておるわけでありますが、この迂回線が非常に道が悪いために、最近に至って非常に事故が多いわけなんです。
これは例の笹子有料道路なんかできて、今非常に利用価値があるわけでありますが、この甲府から諏訪に至る釜無川沿いが災害復旧が完成せずに、ほかのバイパスと申しますか、迂回線を回っておるわけでありますが、この迂回線が非常に道が悪いために、最近に至って非常に事故が多いわけなんです。
われわれは特にそのうち、釜無川沿いの一の谷、祖母石を視察したのですが、被害直前まで品質で県随一の米を産していた美田も巨石のころがる河床同様の荒涼たる砂礫の原と化し、流失した民家の跡、土砂に埋った破れた家、わずかに流失を免れた建物もほとんど半壊同様であります。
釜無川沿いでは、堤防の決壊数キロに及び、付近の住宅、水田等を流失、埋没し、見渡す限り河床と化し、住宅地と耕地と旧河床はいまだ区別がつかない現状に置かれ、わずかに流失を免れた家屋も、天井に届くほどの土砂に埋まっていたのでありまして、このような家屋、宅地等の土砂の排除については思い切った国の援助がとらるべきであると痛感いたしたのであります。