2007-04-06 第166回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
東京上野の国立博物館が所蔵し、展示されております金銅透彫宝冠、金銅翼状冠飾、金製心葉形垂飾耳飾、ちょっと写真が小さくて恐縮なんですけれども、こういうようなものなんですね。宝飾とか冠とか耳飾り等々でございますけれども、など八点が国指定の重要文化財となっております。 これらはもともとどこの国あるいはどの地域からのものなのか、これは大臣からお答えいただければと思います。
東京上野の国立博物館が所蔵し、展示されております金銅透彫宝冠、金銅翼状冠飾、金製心葉形垂飾耳飾、ちょっと写真が小さくて恐縮なんですけれども、こういうようなものなんですね。宝飾とか冠とか耳飾り等々でございますけれども、など八点が国指定の重要文化財となっております。 これらはもともとどこの国あるいはどの地域からのものなのか、これは大臣からお答えいただければと思います。
調査により出土した副葬品の中に金銅製の馬具やミニチュアの炊飯具など特徴的な遺物が多く、渡来系の氏族、特に百済、漢人系の氏族との関係が推測されております。また、当地は蘇我氏の本拠地でもあることから、蘇我氏との関連を推測する考えもございます。 なお、その北の方には大型の円墳や前方後円墳などがあります磯長谷古墳群がございますが、これとの関係も推定されるという古墳だというふうに考えております。
いつか私が質問したときに、大臣は記憶に残っているということで、七十円の法隆寺の金銅小幡の切手を私は取り上げました。これはもう、切手にしますとほとんど何がデザインになっているのかわからない。そこへ消印を押されますとますます読めないということで取り上げたわけでありますけれども、どうも日本の通常切手に対する気配りというのは非常に薄いように思うのです。
ところが、国道バイパス工事着工に先立つ発掘調査の結果、遺跡の周囲を画する深くて大規模な堀跡、多くの建物群、井戸、塀、さらには池跡などの多数の遺構が発見され、また輸入磁器類のほか、たくさんのかわらけや金銅製品、木製品などの歴史的考証学上重要な遺物が次々と発掘されてきております。
しかも、東大寺の本尊は金銅の盧舎那仏で、いわゆる奈良の大仏といわれております。これは「要録大仏殿碑文」によれば、鋳造に費やされた銅は実に十三万三千百十貫、すずが二千二百七十一貫、錬金百十七貫、水銀六百六十貫、炭が一万六千七百六十五石、日本の当時のあらゆる銅を集めて、途中塑造の段階においてその銅の不足が憂慮ざれたおりに、たまたま陸奥の国から銅の産出が伝えられて、これが完成をいたしたのであります。
それから最後のパカードという名前をあげてどうするかという問題でありますが、北魏金銅仏の事件におきましては、警察の調べによりましても、パカードが国外にこれを持ち出したという確証はなかったのでありますし、それから京都の九品寺の場合ですと、これはたしか指定以前の行為にかかる問題でありまして、文化財保護法違反として追及するには若干要件が欠ける問題もありましたし、売買行為それ自体としては、警察の調べでは、パカード
北魏の金銅仏を持ち出して所有したということは明らかだ。そうしてその間において、あなたたちの関係者の間でだましたり、すかしたりしてパカードをどうしたなんということを言っているやつもほかの記録には残っているということになれば、パカードをどうするか、どうしたらいいか。
○小林武君 それでは、その先ほどの北魏の金銅仏はあれですか、どこから返ってきたかわけがわからぬけれども、何かどこかへ行ったらしいのが日本へ戻ってきたと、こういうことですか。
○政府委員(村山松雄君) 北魏金銅仏の件でありますが、流出当時の文化財保護委員会事務局の関係者のいろいろな動きの御指摘がございますが、正確に私記憶しておりませんが、当時、事務局の関係者が、金銅仏がフリアーにあるということがわかっておって、その返還に努力したのは事実でありまして、その努力のいろんな形が、御指摘のような岡田事務局長あるいは西森課長の談として、いま御指摘になったようなことになったのだと思います
その北魏の金銅仏のほうは、そういう富田さんから問い合わせが持ち出されない。
金剛頂寺には木造阿弥陀如来の坐像、銅造観音菩薩の立像ほか一点の彫刻、工芸品としては銅鐘一躯と金銅の密教法具、同じく金銅の旅壇具、これはまあ旅に出たときに旅先で修法、勤行するための法具だそうでございます。いずれも重要文化財に指定しているものであります。
これらのほこりは、金銅仏ならば洗い去ることもできましようが、木造仏や乾漆仏の場合には洗うわけにも参らず、その保存上大へんな支障となるわけであります。最近この収蔵庫の入口付近へは観光バスを乗り入れさせないこととした由であり、適切な措置であると思いましたが、収納ケースや収塵器の設置を考えるなど、これら収蔵庫の運営方法については、今後さらに検討の余地があると考えます。
そういう点があるので、例をあげれば幾つもありまして、これは有形文化財のことでございますが、一九五八年に、アメリカ人のハリー・パッカードが日本の骨董商の何がしと組んで、北魏の金銅仏座像あるいは保元平治物語屏風あるいは等伯の烏鷺屏風という重要美術が、法をくぐってアメリカに流れた。