1988-03-28 第112回国会 参議院 内閣委員会 第3号
防衛施設庁労務 部長 山崎 博司君 外務省アジア局 長 藤田 公郎君 事務局側 事 務 総 長 加藤木理勝君 常任委員会専門 員 原 度君 衆議院事務局側 事 務 総 長 弥富啓之助君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
防衛施設庁労務 部長 山崎 博司君 外務省アジア局 長 藤田 公郎君 事務局側 事 務 総 長 加藤木理勝君 常任委員会専門 員 原 度君 衆議院事務局側 事 務 総 長 弥富啓之助君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
○裁判官弾劾裁判所参事(金村博晴君) 昭和六十三年度裁判官弾劾裁判所関係歳出予算について御説明申し上げます。 昭和六十三年度国会所管裁判官弾劾裁判所関係の歳出予算要求額は八千九百五十八万五千円でありまして、これを前年度予算額八千八百八十三万四千円に比較いたしますと、七十五万一千円の増加となっております。
松井 隆君 沖縄開発庁総務 局会計課長 五郎丸日出昇君 外務大臣官房外 務参事官 時野谷 敦君 外務省北米局長 有馬 龍夫君 分科員外の出席者 衆議院事務総長 弥富啓之助君 参議院事務総長 加藤木理勝君 裁判官弾劾裁判 所事務局長 金村 博晴
抜山 映子君 国務大臣 大 蔵 大 臣 宮澤 喜一君 ――――― 会計検査院長 辻 敬一君 ――――― 事務局側 事 務 総 長 加藤木理勝君 常任委員会専門 員 小島 和夫君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
橋本 敦君 関 嘉彦君 抜山 映子君 国務大臣 大 蔵 大 臣 宮澤 喜一君 事務局側 事 務 総 長 加藤木理勝君 常任委員会専門 員 小島 和夫君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
外務大臣官房審 議官 福田 博君 大蔵省主計局次 長 角谷 正彦君 事務局側 事 務 総 長 加藤木理勝君 常任委員会専門 員 林 利雄君 衆議院事務局側 事 務 総 長 弥富啓之助君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
○裁判官弾劾裁判所参事(金村博晴君) 昭和六十一年度裁判官弾劾裁判所関係歳出予算について御説明申し上げます。 昭和六十一年度国会所管裁判官弾劾裁判所関係の歳出予算要求額は八千七百二十万五千円でありまして、これを前年度予算額八千六百三万六千円に比較いたしますと百十六万九千円の増加となっております。
外務大臣官房審 議官 都甲 岳洋君 外務省条約局長 小和田 恒君 大蔵政務次官 熊川 次男君 大蔵省主計局次 長 角谷 正彦君 分科員外の出席者 衆議院事務総長 弥富啓之助君 参議院事務総長 加藤木理勝君 裁判官弾劾裁判 所事務局長 金村 博晴
総務庁恩給局長 藤江 弘一君 総務庁統計局長 時田 政之君 防衛庁防衛局長 矢崎 新二君 事務局側 事 務 総 長 指宿 清秀君 常任委員会専門 員 林 利雄君 衆議院事務局側 事 務 次 長 星野 秀夫君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
○裁判官弾劾裁判所参事(金村博晴君) 昭和六十年度裁判官弾劾裁判所関係歳出予算について御説明申し上げます。 昭和六十年度国会所管裁判官弾劾裁判所関係の歳出予算要求額は、八千六百三万六千円でありまして、これを前年度予算額八千五百四万五千円に比較いたしますと、九十九万一千円の増加となっております。
谷田 正躬君 外務省アジア局 長 後藤 利雄君 外務省北米局長 栗山 尚一君 外務省国際連合 局長 山田 中正君 分科員外の出席者 衆議院事務総長 弥富啓之助君 参議院事務総長 指宿 清秀君 裁判官弾劾裁判 所事務局長 金村 博晴
大蔵省理財局長 宮本 保孝君 大蔵省銀行局長 吉田 正輝君 国税庁直税部長 冨尾 一郎君 国税庁調査査察 部長 村本 久夫君 事務局側 事 務 総 長 指宿 清秀君 常任委員会専門 員 小島 和夫君 裁判官弾劾裁判所事務局側 事 務 局 長 金村 博晴
国務大臣 労 働 大 臣 福永 健司君 政府委員 通商産業省鉱山 保安局長 八谷 芳裕君 運輸省船員局長 若狭 得治君 労働省労働基準 局長 大島 靖君 労働省職業安定 局長 三治 重信君 事務局側 常任委員会専門 員 増本 甲吉君 説明員 厚生省社会局厚 生課長補佐 金村 博晴
○説明員(金村博晴君) 盲人に対する適職をどのようにやっていくかという問題につきましては、大体来年度予算等で考えております措置といたしましては、現在国立の神戸光明寮において、農芸科というものを新たに設置いたしまして、養鶏あるいはマッシュルウムというものの経営というものを考えていきたい、こういうふうに考えております。
○説明員(金村博晴君) 身体障害者に対する援護措置が十分でないというお説でありますが、その点に関しまして、私どもとしても、現在のままで十分であるというふうには考えておらないわけであります。