1953-08-03 第16回国会 衆議院 本会議 第35号
(拍手)なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を申し上げたいと存じます。
(拍手)なおまた、この悲願達成の陰に、筆舌に尽しがたい苦難の道を乗り越えて、献身的な努力を続けられましたモンテインルパの聖者加賀尾秀忍師、マニラ在外事務所の金山参事官、復員局の植木事務官に対しましても、厚くお礼を申し上げたいと存じます。
何の様子もございませんで、これは放つておいちやいかんというので、金山参事官と相談いたしまして、中川事務所長と話をいたしまして、これは一つ本格的に釈放運動に移ろうというので、釈放運動に入つたのでございますが、実際手を着けてみますというと、マラカニアンの状態が次々とわかつて参りまして、釈放の釈の字も実は何の準備もしてございませんということがわかりますし、写真のことにつきましてもだんだんわかつて参りましてそこでいろいろ
○廣瀬政府委員 もう新聞等の報道で十分御承知のことと存じますが、今回のフイリピンの戦犯に対する恩赦、これは、六月二十六日に加賀尾教誨師が大統領に呼ばれまして、これには在外事務所の金山参事官が同道して参りまして、その席で大統領から、七月四日の独立記念日を期して恩赦を行いたい、さきに自分が申請に対して署名を了した五名の釈放以外に、まだ釈放希望があるかというようなことで、加賀尾教誨師から、さらに二十一名の
我々としましては、もつと更に大なる期待をもつて待つておりましたところが、この二十六日に大統領が、当時モンテインルパにおります加賀尾教誨師にマラカニアンの宮殿に来てくれということでありまして、わが外務省の金山参事官が随行しまして大統領に謁見しました。