1956-09-25 第24回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第5号
このたびの事件につきましては、私らの方には申告はなかったのでございますが、外部の方にさような請願書と題するものが配られて、それをこういうことがあるがどうかということの注意を受けまして、私の方でさっそくその調査に乗り出したのでございますが、ちょうどその際に金光院長から、少年院の監督官庁でございます矯正管区というのが東京にございますが、その管区長のところに、ただいま御指摘になりました八月十七日の事件について
このたびの事件につきましては、私らの方には申告はなかったのでございますが、外部の方にさような請願書と題するものが配られて、それをこういうことがあるがどうかということの注意を受けまして、私の方でさっそくその調査に乗り出したのでございますが、ちょうどその際に金光院長から、少年院の監督官庁でございます矯正管区というのが東京にございますが、その管区長のところに、ただいま御指摘になりました八月十七日の事件について
金光院長は大谷大学の文科を卒業いたしたのでございますが、その後朝鮮に参りまして朝鮮の刑務所、少年刑務所等に勤務をいたしておったのであります。昭和十三年に応召いたしまして軍務に服したのであります。その後昭和十八年に召集解除になりまして、十八年に少年刑務所をやめまして内地に帰って参りました。昭和十九年には、これは会社でございますが、富山県下の不二越と申します鋼材の工業株式会社に就職いたしております。
昨年九月十五日の職員の朝礼において金光院長は、新聞記者らの院外の者が来て諸君に何か聞いても、われわれは何も知らないから院長、次長に聞くようにと、一切何も言ってはならない云々という籍口令をしいた。