2019-03-12 第198回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
で、日本にアプローチをしてきて、金丸訪朝団が行って、ある程度行くかと思いましたけれども失敗してしまったと。その後、小泉さんのときにまた、それはブッシュ・ジュニアの大統領のときに、悪の枢軸という指名で非常に危機感が強まったときに、また日本にアプローチしたわけですよね。
で、日本にアプローチをしてきて、金丸訪朝団が行って、ある程度行くかと思いましたけれども失敗してしまったと。その後、小泉さんのときにまた、それはブッシュ・ジュニアの大統領のときに、悪の枢軸という指名で非常に危機感が強まったときに、また日本にアプローチしたわけですよね。
調べてまいりましたところ、今、現状では、アントニオ猪木議員が約三十二回の渡航をしているということでありますし、また、過去の訪朝団を見ますと、金丸訪朝が一九九〇年、村山訪朝団が一九九九年ということで、それ以外のいわゆる議員外交というものはほとんど行われていないということでございます。
と同時に、この問題はやっぱり、総理だけの問題ではない、政府だけの問題ではない、国挙げての大きなこれは課題でありますから、私は、かつて金丸訪朝団だとか野中訪朝団が行かれましたが、これは、今北朝鮮に行くことはどうかという問題もありますが、北朝鮮の今経済的や生活的な状況はかつてないほど厳しいものがある、深刻だと、来年の春までもたないかもしれないという情報も現実にあるわけですね。
金丸訪朝がありました。しかし、そこでは核問題も議論しませんでした。拉致問題も議論しませんでした。そして、その後八回、日朝国交正常化交渉がありましたが、核問題はアメリカの圧力で一定程度議論がありましたが、拉致問題は正式の協議では第三回交渉で一回だけ、それも田口八重子さんのことだけが取り上げられただけでありました。
一九九〇年の金丸訪朝団もありました。そして、小泉当時の総理の突然の訪朝ということもありました。これまでも、多くの制裁をやったり制裁緩和をやってきました。しかし、結果は出ていないと私は思うんですよね。 そういう中で、我が国が主体的に制裁をやったり制裁の緩和をやったりという対話路線、二国間の対話路線がこれからも成果を及ぼすというようにお考えなのかどうか、まずそのことを一点お伺いしたいと思います。
今まで、金丸訪朝のとき、小泉訪朝のとき、二回チャンスがあったんですが、そのときは対策本部がなかった。だから、井上先生などが秘書官の立場でいろいろやっていらっしゃったんですけど、今は対策本部があるんです、担当大臣があるんです。それでも解決できないんだったら、今まで、二〇〇六年以降何をやってきたのかと、逆に私はそう思っています。
○参考人(野中廣務君) 北朝鮮は、私は、最初の田辺・金丸訪朝団の際に、通信手段やそういうものを整備するために随員の一員として参加をいたしまして以来九回、北朝鮮に入りましていろんな方と話合いをしましたが、残念ながら、私の本当の信頼できる人は既に亡くなっていきましたし、今日、写真で見ると、ただ一人残っておった国際部長も顔を見ることができませんので、もう時代がこれだけ変わってしまった状態で果たして北朝鮮との
一回目は金丸訪朝のときです、金丸、田辺訪朝のとき。世界じゅうの社会主義国が韓国を承認した。彼らは困っていたんです。しかし、日本側で体制がなくて、拉致を脱しませんでした、動きませんでした。 二度目が小泉訪朝です。ブッシュ政権が強い圧力をかけた。悪の枢軸と言って、軍事制裁のことさえ議論されていた。そして、日本に接近してきた。
金丸訪朝のときにもなかったんです。先生たちの責任だというふうに強く思っております。我々民間でもできる限りのことはしなきゃならないと思っています。
しかし、これはやはり、一九九〇年ですか、金丸訪朝以降、戦後補償ということから一つ始まってきていますので、そういう意味を考えますと、福島原発ではありませんが、今の日本の外交がここに来てメルトダウンを始めてしまっていると、そういう状況をちょっとお考えいただきたいなと思います。
例えば、金丸訪朝の際、梶山答弁を受け、恐らく時の海部総理は警察から拉致事件についてのレクチャーを受けていたと思います。ただ、当時は世論が余り多くなかったということで、訪朝の際に拉致事件という言葉を口にしなかったという点では、この点をもって私は、政治、行政の不作為によって拉致事件が今日まで放置されたというふうに御指摘をさせていただきたいと思っています。
当時はまだこの問題が余りしっかりと表に出る前でありましたけれども、そういう中でも北朝鮮に対して、当時さきがけでありましたけれども、私は、いわゆる自民党と社会党がかつて金丸訪朝団で訪朝されたときの償いという文書についていろいろな議論がありましたが、私は、絶対にそういうものを入れるべきでない、さきがけはそういうことは一切かかわっていないからと、そういう主張をしたこともありまして、あの国がどれだけ相手として
議員外交というと、どうも金丸訪朝団の悪いイメージが残っていて、悪であるかのような印象を受けますけれども、私どもGLOBEという地球環境国際議員連盟の活動とか、あるいはWTOにおける農林関係議員の活躍とか、そういうことを見ますと、今や、外交問題は外務省の専管であるなんというような発想ではなくて、もうちょっといろいろな人の協力を得るという姿勢が必要だと思うんですが、この点についてだけ一つ、河村大臣、今後
○岩屋副大臣 何で北朝鮮が外れたのかということですけれども、これは、たしか金丸訪朝のとき以降、北朝鮮にも行けるようにしたということでございますが、現在は、御承知のように、制裁等で渡航制限をある程度しているわけでございます。
それは皆さん御存じのように、金丸訪朝団から、さらに、小泉訪朝は一見総理がやられているように見えますし、現に総理が行かれたのでありますけれども、それに至る系譜のところは、必ずしもそういう意味では、外交の一元化の下で精緻に進められたのかどうかというところについては今後なお多くの検証が必要だと思います。 近くのケースでいうと、山崎安全保障調査会長の訪朝がそれに当たります。
しかし、全体としましては、例えば金丸訪朝以来、そこのところを明らかに北朝鮮側は正に与党自民党を動かすために正に党の側に手を入れてくるのでありますし、そして、ここはだから外務省がやれなどということを私少しも言っておりませんで、実は、当時金丸訪朝に付いていったアジア局の幹部も含めて、当時金丸さんという人が絶大な党内で権力を持っておりましたので、やっぱり本来の筋を正に外して金丸訪朝に付き合い、しかし一番重要
金正日独裁政権に対してこれまで日本の外交は、金丸訪朝以降、国交正常化というカードを使って、つまりあめだけを使って、あるいは一方的な米支援とか、あるいは例えばこの間の小泉総理が朝鮮総連のパーティーにメッセージを出されるとか、こちら側が誠意を示す、そうすると向こうからの誠意も出てくるのではないかという立場の外交をされてきたというふうに認識していますけれども、それは、冷戦時代のソ連に対してレーガン政権がやったような
例えば、私が聞いた話では、曽我さんが、金丸訪朝団が来たときに、私たちのことを話しているのかしらと思っていた、私たち拉致された人間のことを話しているのかしらと彼女は思っていたという話を私はどこかで聞きました。そういう一人一人の思いというものをいたしたときに、その人道をまず解決しろ、これが順番だと私は思うわけであります。
そして十二年前、金丸訪朝がなされました。私もその一員として北朝鮮、ピョンヤンへ行っております。そのときの会談の場でも向こう側からは、拉致事件はないと明言があったわけでございます。そして九月十七日、小泉総理が行かれて、この拉致事件が明らかになり、謝罪をされたということでございます。
そこで、初の訪朝団というのは、一九九〇年のいわゆる金丸訪朝団だった。正常化の暁には北朝鮮、金丸議員双方にそれぞれいろいろな約束があった。その直後から国交正常化交渉が七回行われてきたのでありますが、九二年の東京佐川急便事件で金丸議員が失脚をいたしました。その直後に第八回の本交渉が始まったわけですね、十一月に。
例えば、最近でいえば、一九九〇年に金丸訪朝団というのが北朝鮮に行くわけですけれども、なぜ拉致の問題がこのときにうやむやになったのか。拉致の問題を今我々がこんなに言っているように、国交正常化のためには、当然のことながらこういう問題は解決して正常化しなきゃいけない。なぜうやむやになったのか。このことに関しては、外務大臣、どのような見解をお持ちでしょうか。
○川口国務大臣 金丸訪朝団は、これは政党として訪問をしたということでございまして、政府として、この訪朝団に関連してコメントをする立場にはないと考えております。
これは活字になっているんですけれども、文芸春秋の九八年六月号で、警視庁関係者の言葉として、「金丸訪朝で潰された」というふうに活字になっています。そして、昨年の十二月十六日付の産経新聞を見ると、金丸さんから圧力がかかって、朝鮮総連に対する外国人登録法違反の捜査が中止になった、そのことが明らかになったと産経新聞も書きました。それは同じものなんです。これは活字になったことだけ私は申し上げています。
○西岡参考人 個人の名前を挙げておりますので、大変慎重に申し上げますけれども、先ほども申し上げましたように、これは文芸春秋に、警視庁関係者と銘打って、「金丸訪朝で潰された」ということが活字で書いてあるわけです。そして、産経新聞の十二月十六日で、やはり金丸という固有名詞が出ていて、朝鮮総連に対する捜査がつぶされたことが明らかになったという記事が出ております。この二つが一致するわけです。
これは金丸訪朝団の問題に絡んだことである、金丸信、自民党の親分がこれをつぶしたのではないかということでございますが、そのときは自民・社会連合訪朝団でございましたが、これについては、いかなる解明が先生によってなされておりますか。