1990-05-29 第118回国会 参議院 内閣委員会 第4号
○山口哲夫君 先ほども例にとりましたように、野田参議院議員の質問に対して高鳥元長官が、最終的には政治折衝で決まったということですというふうに答えているものですから、少なくとも生活の糧である恩給金額を政治折衝で決めるなんというのは、これはちょっと不見識だなと思ったものですからそこにちょっとこだわったわけです。
○山口哲夫君 先ほども例にとりましたように、野田参議院議員の質問に対して高鳥元長官が、最終的には政治折衝で決まったということですというふうに答えているものですから、少なくとも生活の糧である恩給金額を政治折衝で決めるなんというのは、これはちょっと不見識だなと思ったものですからそこにちょっとこだわったわけです。
昭和六十三年四月十九日の参議院のこの内閣委員会で、きょうこちらの方にいらっしゃる野田参議院議員が当時の高鳥長官に対していろいろと質問をされている議事録を読ませていただきました。その中で高鳥長官は野田議員の質問に対してこう答えているんですね。
質問に入りますが、まず最初に、きょうの新聞によりますと、わが党の野田参議院議員がアメリカへ参りまして金炯旭氏に会いました。私もこの出発前の打ち合わせに参加をした人間なんでありますが、金炯旭氏が「五月十三日に米下院国際関係委員会国際機関小委員会による私に対する最後の聴問会が終わった後、訪日してすべてのことを発表するつもりである」、その中にはいわゆる金大中事件も含まれておるわけであります。
被爆者の皆さんや野田参議院議員からの報告を受けたわけでありますが、安倍官房長官は、とにかく長年の懸案の問題であるから、政府としても、この国会中に何らかの対策を講じたいと、表現は、申し上げましたようにテープレコーダーがありませんから明確には申し上げかねるのでありますけれども、大要その趣旨の発言をしていらっしゃるわけでございます。