1956-04-02 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号
去る二月の二十三日の当委員会で、大きな問題のありました社会党の訪ソ議員団がハバロフスクの収容所を訪問せられた際に、いろいろ国民の間に疑惑を持たれるようなことがございましたので、当委員会においてそれを究明することになり、野溝団長を参考人とし、並びに社会党の穗積代議士を委員外発言者としてここにおいでを願いまして、いろいろその真相を究明せられたのであります。
去る二月の二十三日の当委員会で、大きな問題のありました社会党の訪ソ議員団がハバロフスクの収容所を訪問せられた際に、いろいろ国民の間に疑惑を持たれるようなことがございましたので、当委員会においてそれを究明することになり、野溝団長を参考人とし、並びに社会党の穗積代議士を委員外発言者としてここにおいでを願いまして、いろいろその真相を究明せられたのであります。
ただ私この際非常に遺憾に思うのは、ハバロフスクへ行かれたとき、手紙以外に、大堀泰さんの傷害事件に関連して、請願書が野溝団長に渡された。ところがその請願書を昨年の暮れに手紙と一緒にこの委員会にお出しにならなかった。
さて、私大事な点をここで報告したいのでございますけれども、お約束でございますから省きまして、これは先般野溝団長が帰ってきましたときにも報告しておりましたし、新聞にもはっきり出ていたのでございますからここで申し上げるのでございますが、あなたのおっしゃったことは、民主運動に携わっている者以外の者は、帰還を延期されても、日本の外交を確固として維持してほしいと言っている。坂間さんもそう言っています。
ですからソビエトのその説に対して、社会党の諸君はソビエトの主張を支持しますとはっきりそのとき野溝団長が声明している。私たちもそれが話し合いに応じていく道であるというふうに考えて帰ったので、あなたからそういう文句を言われる立場には私はないと思うのであるが、要するに戦争に負けた国の日本がですね、そういう今とっておる態度が正しいのであるかどうか。
そのときの野溝団長の御報告、あるいは戸叶里子さんのハバロフスクの報告は、決して今日見るようなああいう切々たる悲惨なものは全然発表にならなかった。全部いいような話ばかりでした。もう一つは、大田区の区民の留守家族の報告会に私と野溝さんがおいでになったはずです。そのときの野溝さんの御報告も、今日われわれが初めて知ったこういう手紙に現われたような悲惨な事実は、全然報告されませんでした。
そこで私は第一に、捕虜というものはどういう基礎的な条約なり規定なりによって取り扱われているか、それをおわかりになっていて昨日穗積代議士が発言をせられたのであるか、また、きょう野溝団長が発言したのであるか、この点について承わりたい。
実はこの書類は私が保管すべきではないから、野溝団長の参議院会館に置いておくから、電話をかけていただけばいつでも参りますし、書類が必要であれば、いつでもお取り寄せ願いたいといっておいたわけでございます。
なお、訪ソ議員団の幹事として、野溝団長と同行せられた穗積七郎君を衆議院規則第四十六条により、委員外の発言として本委員会において事情を聴取することに御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原委員長 それでは、これより訪ソ議員団の野溝団長より、本委員会に関係のあるハバロフスク収容所の抑留同胞の実情等について事情を聴取することといたし、穗積七郎君よりは、委員の質問に応じて、当時の状況を補足的に説明を願うことにいたします。
○原委員長 ただいま臼井君から、本委員会に提出された野溝団長に委託された手紙でありますがそれを委員会に提出されたのをもとにして印刷にしてありますから、読み上げる煩を省いて一つごらんいただきます。
○戸叶委員 先ほどのお話の中で、野溝団長がみんなを紹介しまして、そのあとで日ソ交渉のお話を穂積さんがなさいました。最後の国連加盟のことは、ソ連から確約を得ておるということはおっしゃらなかったと思うのです。私、一生懸命聞いていたのですが、このことは、ぜひ国連に加盟できるように頼んできたというふうにおっしゃったと思います。私はそう聞きましたが、その辺のことをどうお聞きになりましたか。