1971-05-18 第65回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第17号
これは初め野沢石綿セメントが経営しておりましたが、昭和四十一年に住友セメントに譲渡されたものでありまして、大型キルンを二基持ちまして、月産大体十六万トンの生産能力を有しております。工場の敷地面積は約二十万平方メートルでございます。従業員は二百七十名でございます。
これは初め野沢石綿セメントが経営しておりましたが、昭和四十一年に住友セメントに譲渡されたものでありまして、大型キルンを二基持ちまして、月産大体十六万トンの生産能力を有しております。工場の敷地面積は約二十万平方メートルでございます。従業員は二百七十名でございます。
住友セメントの前身の野沢石綿セメントの時代に、若干そのような事実があったということを聞いております。
あるいは住友セメントと野沢石綿セメントとやった場合には、やはり彦根工場、これを獲得をし、そうして生産力の拡充をはかる、こういうようなことで、大体既存の工場部門を拡充をしたり、あるいは新規の部門に進出をしたり、さらに経営の多角化のために合併をするというようなことで、こういう合併の場合には、確かに規模は大規模になりますけれども、そのなった企業が価格を管理するという力量まではまだ持たないです、こういう場合
○内田説明員 私どもの方へ提出されました製品は、ジヨンス・マンビルの製品と、浅野スレート株式会社のものと、野沢石綿セメント株式会社のものと、この三箇でありまして、何分こういうふうな製品の性能試験というのは非常にむずかしいものでございます。
上磯から札幌に参りましてここで仙台・秋田と同じく関係各業界の方々と懇談会を行い、次いで山川さんの会社の砂川炭抗に参上してから、最後に山部にございます野沢石綿セメント・山部石綿の石綿採掘所及びその附属工場を視察して十日間にわたる日程を終了したわけでございます。 視察の全日程を通じて関係業界の方々には、非常に熱心に、意見を開陳せられ、又論議されたのであります。