2021-03-30 第204回国会 参議院 総務委員会 第9号
○芳賀道也君 次に、小渕内閣で官房長官を務めた野中広務氏は、かつてテレビなどで意見を述べるジャーナリストなどに官房機密費から資金提供を行っていたと自ら明らかにしています。 そこで、前田会長に伺いますが、NHKでは今でも記者や論説委員など、官邸の官房機密費から資金提供を受けているのか、受けているかいないかというのは調査も行っているのか、いかがでしょう。
○芳賀道也君 次に、小渕内閣で官房長官を務めた野中広務氏は、かつてテレビなどで意見を述べるジャーナリストなどに官房機密費から資金提供を行っていたと自ら明らかにしています。 そこで、前田会長に伺いますが、NHKでは今でも記者や論説委員など、官邸の官房機密費から資金提供を受けているのか、受けているかいないかというのは調査も行っているのか、いかがでしょう。
現在とは大分違うんですけれども、平成八年の法制審の提起が一つ、それから、平成十四年には野田聖子先生や野中広務先生が裁判所に届け出る形の法案を整えたこともございましたし、平成二十二年の民主党政権の取組もあり、それからまた、最高裁、平成二十七年には多くの国民の知られるところになるような、合憲判決ではありましたが話題となるような議論もあって、世論調査で賛成が増えてきているというのは、先日、他の委員の方も紹介
そして、その小渕内閣で官房長官兼沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都の園部町長時代に占領下の沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身の戦没者の慰霊碑を建てるためであります。そのとき、空港から乗ったタクシーの運転手が、宜野湾市に入るところで車を停車させ、この場所で妹が殺された、アメリカ軍人ではない、暗に日本兵にということを言っていたそうであります。泣き続けていたと。
私は、梶山静六当時官房長官でした、先生や、後藤田正晴先生や野中広務先生がいらっしゃったら、総理、この任命拒否、人事はおやめになった方がいいととめていたんじゃないかと思いますよ。それが保守の懐の深さだったんじゃないですか。 学術会議の、河野大臣が行革の対象にする、十億円でしょう、予算。私、少ないなという印象を受けたんですよ、見たとき。アベノマスクに二百六十億円使ったんでしょう。
でも、官房長官、ちょっと若げの至りで申し上げさせていただきたいんですが、御党の後藤田正晴先生とか、野中広務先生とか、梶山静六先生とか、まさに異彩を放った官房長官、歴代いらっしゃいますね。政権運営においても巧みだったと思う。しかし、もうちょっと、何というんですか、どこかに、政権の都合と社会の規範との間でもっともがき苦しんでいる先輩方だったんじゃないですか。
○国務大臣(武田良太君) 早いもので二十五年の歳月がたったわけでありますけれども、当時、私は亀井静香運輸大臣に仕えておりまして、村山内閣だったと思うんですけれども、亀井運輸大臣とお亡くなりになられた野中広務自治大臣との間でこの対策について熱心に相談、また会議等々を通じて熱心に対応されていたことを思い出します。
二十年前のジェー・シー・オーの臨界事故のときに、当時の野中広務官房長官が小渕総理に、やはり住民の安全を考えたときに万全の体制をとるべきだといって小渕総理に進言し、四日間内閣改造を延期しました。今、そのことを評価する方がたくさんいらっしゃいます。
そこで、私は思い出すんですが、私は京都に住んでいますから、小渕内閣で官房長官を務められた野中広務氏は、二〇〇九年の新聞インタビューに答えて、次のように語っています。 子供のころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとむちでぱちっとたたかれ、血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。
先週土曜日、四月十四日、梶山大臣とも御一緒でしたが、野中広務先生のお別れの会が京都でございました。自民党からも二階幹事長あるいは安倍総理も御出席でありましたけれども、野中元官房長官が四年ほど前に国会に来られて、参議院で御発言の折に、最も気にしておられたのは、内閣と国会との関係、すなわち行政と立法との関係でありました。
しかしながら、二〇一二年暮れに始まる安倍政権の政治姿勢は、そうした原点からははるかに遠く、立法府のあり方そのものをゆがめるものであることを、本年一月二十六日にお亡くなりになった元自民党幹事長の野中広務さんが厳しく指摘をされております。 平成二十六年二月の十九日に参議院で開かれた国の統治機構に関する調査会で、議院内閣制における内閣のあり方について、野中広務先生は渾身の御発言をなさいました。
梶山静六先生や、また先週御逝去されました野中広務先生や、沖縄振興に心血を注がれた多くの先生方は、今でも沖縄県民の心の中に残っております。 そこで、総理に質問です。 沖縄振興は、一地域の振興にとどまらず、歴史においても外交関係においても重要な位置づけを占めております。総理の沖縄振興にかける思い、お考えをお聞かせください。
過去、物すごく昔の議事録でございますが、自民党が野党だったころですか、石井自治大臣のところに同じ党に所属する議員の方が、ちょうどそのころも選挙区が、区割りが変わるというようなことで、相談に行かれたんじゃないかというようなことを自民党の野中広務先生が追及されていたような議事録を見た記憶がございましたので、私自身も、例えば国会議員の方々からそういう相談の申し込みがあったような場合には絶対に受けない、会わないし
二〇一〇年四月には、野中広務元官房長官がテレビで、総理のところに一千万円、国対委員長、参議院幹事長に五百万円、毎月渡していたと証言をしました。 もちろん、この機密費を受け取った政治家の中に我が党の国会議員がいなかったことは、周知の事実です。 二〇一〇年八月には、鈴木宗男官房副長官が、九八年沖縄県知事選挙に機密費三億円を投入したと証言をしました。 官房長官の見解をお伺いします。
おまえらみたいな若手を総理に会わせるわけにはいかないとはじかれたんですが、鈴木宗男官房副長官、野中広務官房長官が、そんなことはない、官邸に来い、総理に会わせてあげるからということで、会わせていただきました。 台中で撮ってきた写真を私が小渕総理に見せましたら、こんなひどい状況なのか、政府として何ができるんだと言われたんですが、外国にある日本人学校に政府が直接援助というのは当時できませんでした。
私自身も、まだ通商産業省の職員として働いていた二〇〇〇年の秋、自民党の行政改革本部、このとき野中広務本部長でありました、そこで茂木大臣や林大臣が議論するのをサポートさせていただいておりました。それ以来、十三年以上にわたり、この公務員制度改革には取り組んでまいりました。 今回、この法案成立にこぎつけることができたのは、本当に胸に迫るものがあります。
(資料提示)自民党では村上誠一郎さん、古賀誠、野中広務元幹事長、公明党の漆原良夫国対委員長、そして阪田雅裕元法制局長官、憲法を変えるという立場の小林節慶応大教授も疑問の声を上げています。 首相、今の答弁に照らして言えば、この今の状況は、閣議決定で言うような誰もが受け入れる状況の変化なんですか。意見の対立、見解の対立がない状況だと総理はおっしゃるんですか。
また、野中広務元官房長官は盆暮れに総理経験者に配ったと証言しています。国民から見たら、こんな使い方が許されるのか、余りにもでたらめではないかという思いですが、これを検証不能にしているのが機密費の記録のあり方です。 先ほど記録はあるとおっしゃいましたけれども、こういう使い方、当事者が証言している使い方についても記録はちゃんと残っているということでよろしいでしょうか。
この私がいただいている会長というのは、実は前職は自民党の野中広務先生でございまして、本当に、福山君頑張れ、とにかく一生懸命この条約に向けて頑張れという励ましもいただいておりますし、地元も含めて多くの障害者の方が期待をしているものでございますので、今日は少し細かい審議をさせていただきたいと思います。
○藤田幸久君 たまたま私、これを質問しようと思って昨日テレビを見ておりましたらば、野中広務元官房長官と古賀誠元自民党幹事長が出ておられました、「時事放談」。野中元官房長官、こんなことをおっしゃっておられました。この特定秘密法案に関して、戦争の足音が聞こえる、恐ろしい方向へ一歩一歩進んでいくようだ、秘密の扱いを狭くして罪人をつくっていく、善良な人が罰せられる危険性がある。
当時の野中広務官房長官は海上警備行動の発令に反対をしたという事実があります。 この事件の後、海上自衛隊に、強行臨検を任務とする特殊部隊、特別警備隊、SBUと、護衛艦ごとに臨検を任務とする立入検査隊、立検隊が編成されました。