2017-02-08 第193回国会 衆議院 予算委員会 第9号
土佐藩の方の野中兼山さんですかね、江戸から持ち帰ったハマグリを、そのまま食べずに、食べることを楽しみにしていた人々の目の前で海に投げ入れて、産業としてのハマグリ養殖を根づかせたという逸話を紹介されていましたけれども、総理のお言葉をおかりすれば、こういった未来を開くための取り組みをこれから日本各地で起こしていく必要がある。
土佐藩の方の野中兼山さんですかね、江戸から持ち帰ったハマグリを、そのまま食べずに、食べることを楽しみにしていた人々の目の前で海に投げ入れて、産業としてのハマグリ養殖を根づかせたという逸話を紹介されていましたけれども、総理のお言葉をおかりすれば、こういった未来を開くための取り組みをこれから日本各地で起こしていく必要がある。
土佐湾でハマグリの養殖を始めたのは、江戸時代、土佐藩の重臣、野中兼山だったと言われています。こうした言い伝えがあります。おいしいハマグリを江戸から土産に持ち帰る。兼山の知らせを受け、港では大勢の人が待ち構えていました。しかし、到着するや否や、兼山は船いっぱいのハマグリを全部海に投げ入れてしまった。ハマグリを口にできず文句を言う人たちを前に、兼山はこう語ったと言います。
土佐湾でハマグリの養殖を始めたのは、江戸時代、土佐藩の重臣、野中兼山だったと言われています。こうした言い伝えがあります。 おいしいハマグリを、江戸から土産に持ち帰る。兼山の知らせを受け、港では大勢の人が待ち構えていました。しかし、到着するや否や、兼山は、船いっぱいのハマグリを全部海に投げ入れてしまった。ハマグリを口にできず、文句を言う人たちを前に、兼山はこう語ったといいます。
○平野貞夫君 理屈としては分かりますが、申し上げておきたいことは、例えば高知大学教育学部、それから附属のいろいろな機関、これ高知師範の伝統、ここは野中兼山が創設した土佐南学の伝統でやっておるんですよ。それで、四国で統一されて、例えば愛媛大学の教育学部に持っていって、なもしなもしの教育じゃいい先生育たぬ。これは夏目漱石の坊ちゃんにあるでしょう。
○山原委員 土佐の国有林というのは、藩政時代に野中兼山という有名な学者であり土木事業をやった人がおいでるわけですが、波は、八尺回り、百八十年生以下の木は切ってはいけないということを教えているのです。そして二百五十年間山を守ってきた。そういう土佐藩の家老の歴史があるわけでございますけれども、そういう意味では、非常に安易に原生林を切っていくとかいうようなことが行われておると思うのです。
もちろん地方的には、高知の野中兼山とか加藤清正というような非常な政治家であり、また大土木学者であった人もおりますけれども、どうも日本の政治家といいますか、為政者の中には、ただ戦争を盛んにやって非常に勇名をとどろかせ、遂に破壊にすばらしい力を発揮したが、建設的な後世に残したものが少いことを非常に遺憾に存じておるのであります。
私が野中兼山のあほう堀の例まで引いて、そのときに、徳川時代からやっておる水路を埋めるべきではないということまで懇々と申したのでございまするが、そういうことはさせない、そういうことはしない、こういうことであったのでございまするが、今日私が心配をした通りのものになりかわっておるのであります。その間の経過を、一つ簡単に御説明願いたいと存じます。
これは野中兼山が高知において実例を示しておるのであります。自然をはばんで人間ががいろいろのことをやつても、あるいは二十年に一ぺんか三十年に一ぺんか、どういう大事件、大豪雨が起るかわからないのでありまして、簡単にこれを埋め立ててよいというような計算は、ただちに出るものではない、十日や二十日で出るものではないと思うのであります。
高知に野中兼山という、学者もあり建築家でもあつた人ですが、これが兼山のあほう堀というので有名でありましたが、後世の人がこんなものはとつておくのはばからしいというので、埋めてしまつて、畑にして作物をつくりますと、爾来大雨があるたびに、とんでもないところが山くずれがいたし、氾濫をし、ひどい目にあつたのであります。
ただいま稻浦次官から、大きな一つのからの貯水池をつくる構想を述べられましたが、これは高知に野中兼山という大儒学者がありまして、兼山のあほうぼりというのがあるのであります。
今より三百年ほど前、野中兼山のすでに手を加えた所でありまして、現在港の形は残りまして、ただその出入の口が少しく閉鎖されたような形になつておるのであります。高知縣はたい、かつお、まぐろというような魚族のきわめて豊富にとれているところでありますが、この地点もまたこれらの魚族の基点として大いに尊重さるべきものでありますが、遺憾ながらこの附近に適当なる船だまり、漁港がないのであります。