2020-11-24 第203回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号
つまり、国際競争力を持つ巨大企業はどんどん減少して、製造業、メーカー系は自動車ばかりの三社に今なってしまっていまして、九五年にはいっぱいあった電機産業や重電関係は姿を消してしまっております。 このような技術力の衰退を象徴しているのが、私は、一兆円の巨費を投じながら米国での型式認証すら受けられないまま事実上凍結して、撤退もうわさされておりますMSJ、旧MRJです。
つまり、国際競争力を持つ巨大企業はどんどん減少して、製造業、メーカー系は自動車ばかりの三社に今なってしまっていまして、九五年にはいっぱいあった電機産業や重電関係は姿を消してしまっております。 このような技術力の衰退を象徴しているのが、私は、一兆円の巨費を投じながら米国での型式認証すら受けられないまま事実上凍結して、撤退もうわさされておりますMSJ、旧MRJです。
概して言いますと、重電関係はいいんですよ。重電はやはりほかでできませんので、どうしても市内で仕事をするところが多いものですから、その辺は取引先も多分わかっているんだろうと思うんですね。問題は、量産の家電とか自動車部品とか、そういうところが厳しいですね。競争が激しいので、この辺がどういうような話し合いができるか、私も頭を痛めているところです。
○国務大臣(額賀福志郎君) 先ほども言ったように、重電関係の疑惑の対象になったのは八〇・三%という案件もあったわけですね。そういうのは、だから、どこで競争原理が働いてなかったのかということを今後チェックしていくような仕組みをつくっていかなければならない。
私自身は、このインタビューでは、今回の重電関係の談合についてどういう影響があったんだというかなり詳しいやりとりの中でございまして、その中で一部こういう表現もさせていただいたということでございます。
あるいはまた、重電関係については、積算根拠をはじき出す能力がないものですから、業界からストレートに情報を得た上でその算定をしているから、若干僅差になっているということがあります。
元々、建設分野においては、これは国土交通省の積算基準というのがあるわけですから、それに基づいて根拠がまあ積み上げられていくものと思っておりますけれども、重電関係の場合はほとんどそういう積算能力がなくて、業界の皆さん方からむしろデータをもらってその予定価格を作り上げているという実態でありますから、そういう能力をどうやって高めていくかということと、チェック体制をどういうふうにしていくかということ等についても
○国務大臣(額賀福志郎君) 公共工事に関する場合は、積算根拠が素材等の基準価格がはっきりしているので、ある程度専門家の立場からすると一定の方向性は出されるものと思いますが、重電関係の場合はそういう積算能力がないものですから、業者から話を聞いているということだと思いますので、そこが非常に問題点がありますし、そこで予定価格をあらかじめ談合的に教えているようなことがあるのかどうかについては、これは我々は関知
例えば、成田空港事件があって重電関係で施設庁にも波及をするかという新聞報道を見ました。そして、再びこういう、調本事件と同じように不祥事が起こるということがあったのでは、これは大変だという問題意識を持ちました。したがって、施設庁というのはどういう組織なのかなということで、内々に施設庁の戦後の経緯だとか、そういうのを問題意識として調べたりしたことはあります。
そういうことで、先ほども申し上げましたが、五十三年度の計画としてまだ追加が四十億ぐらい考えられるという中には重電関係も入っておりまして、状況のいかんを見ましては投資を続けていきたいというのが現状でございます。 以上でございます。
○草川委員 そこで、高額な医療機器を製造しておるメーカーは、日本の国内ではどうしても電機関係の重電関係の会社が中心になると思うのです。コンピューターを使いますから、どうしてもそういう傾向になると思うのです。ところが、私はあるエンジニアの方とお話をしたら、だんだん家電というのは一定の限界が来るだろう。設備投資というものが余り伸びないから重電も余り伸びないだろう。
これは電機関係から、鉄鋼関係から、重電関係から、車両から、鉄骨の橋のメーカーから、建設会社から、全部ジャーツに会員で入っていてそれぞれ分担金を払っておられます。しかも六十名ばかりおいでになるのです。
重電関係につきましては、三月時点で七〇%の所在を確認しておりまして、必ずしもいまの時点で一〇〇%いっていないわけでございますけれども、さらに完璧を期していくためにこの調査を継続したいというふうに考えているわけでございます。
大体具体的にわけますれば、重電関係、軽電関係、機器関係、通信関係というふうにわかれている、その全部にわたつて東芝は能力を持つている。その一つ一つにおいて非常に強大であるというものはそれほど多くありません。しかしそういつた全部にわたつての能力をつ持ていることは、これをある一種の仕事に集中しようと思えば、集中できる潜在能力があるわけであります。