1971-12-02 第67回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号
そして重患者にも接したのでございますが、その後二年の経過もたっておりますので、近くまたもう一度最近の状態を視察いたしたい、かように思って、おります。その結果、ただいまおっしゃいました事柄なども十分胸にたたみまして視察をさらにいたしたい、かように思っております。
そして重患者にも接したのでございますが、その後二年の経過もたっておりますので、近くまたもう一度最近の状態を視察いたしたい、かように思って、おります。その結果、ただいまおっしゃいました事柄なども十分胸にたたみまして視察をさらにいたしたい、かように思っております。
それから、中国エックス線の問題につきましては、これは相当な重患者も出して、最近は快方に向かっておるようでありますが、非常に重大なケースとわれわれは考えて、これは障害防止法違反でありますので、きょう、ちょうど午前十時から法律による聴聞をやって、利害関係人を集めて相当な制裁、行政処分を行なう方針で聴聞を行なっております。
あらゆるところに中小企業がばたばたと倒れていかなければいかぬというのは、やはりそういうところの問題があるのであって、極端な言い方をしますと、特恵暫定措置法というのは、重患者になってしまって葬式を出すときの葬式代を出してやるというような文章にも見えるわけであって、それよりも患者の病気の程度がもっともっと改善のできるときに、先に先に政府が政策の中にそういうものを先行投資していく、そういう形に政策を転換していかなければいかぬ
日本では、十五年くらい前からこの病気が顕著にあらわれてきて、ここ四、五年前というのは、ちょうど認定しようかすまいかということでいろいろ議論されてきて、特に重患者は廃人にひとしいものになるわけですが、そういうことが社会的な問題になって、わが国の医学界からも関心を持たれるようになったということだけなんです。
その結果によりますと、三名の重患者がおりまして、二名は死亡、一名は現存しているということでございますが、この患者になった方の出た井戸を調査した結果は、非常に多量のカドミウムが出ている。一人の方は〇・〇三五PPMですが、長瀬さんのほうは、長い間飲用した水が〇・二二五PPM、もう一軒は〇・一五〇PPM、このように多く井戸水が汚染されておる、こういう事実があるわけです。
次は施設の問題でありますが、たとえば冒頭で私が質問しましたローマ会議におきましても、ジョホールのゼネラル・ホスピタルの院長さんから、行かれた野島さんが質問されて、参ったと言っておるのですが、それは何かといいますと、向うでは精神病なり重患者はそれぞれの専門の病院に入院できるような態勢にある。
東京新聞の十二月二十日の記事にも、大きく「すべてが演出だった」「訪ソ議員見学の抑留所」「重患者は二階に押込む」「外務省筋調査」「偽装の日本人墓地作る」というふうにあって、こういう点が相当演出的にやられておるということは、われわれも行くからには、よほど裏の裏まで見通してこなければ、ただ顔色を見て、興奮して、赤いからといって、あれは血色がいいというようなことだけに断定できないと思うのであります。
刑務所の病監といえども、その設備、またお医者さんの配置その他等において、重患者の治療に十分でないこともまたお話を待つまでもありません。従いまして、被疑者が重態に陥ったり一命に危険のあるような病状である場合には、すみやかに拘禁を解いて病院に入れるなりその他適当な方法を講じて、まずもってその一命の保全を期した上にしかるべきお取り調べを進めるということが人道上当然のことと考えます。
それからまた素朴な考え方と言い方をすれば、一番国民の貧窮層に追い込まれた、弱いところの患者の重患者のそばからつき添い婦をもぎ取ってしまうというような結果にもなるのでありますからして、少くとも三十年度という切りかえ期、あるいは三十年度、三十一年度というような時期でもけっこうですが、長いほどこれはけっこうと思いますけれども、この新しい制度に切りかえていくというために、患者及び国民の弱い階層にその赤字だとか
あるいはまた赤痢の重患者の措置のごときは、これはまつたく聞いてあきれる。一体どこにそういうような措置を平気でやり得るような人間が今日の時代に発見されるか、私はおそらくこういう恐るべき、憎むべき病者に対する不当な措置をなし得るような人は見つからないと思う。
現在東大に重患者が四、五人入院しておりますが、白血球がだんだん下つて行く、それに対する輸血の実は金がなくて困つているということを東大の先生が言つております。
なお、以上のうち船中で百二十名が診察を受けた結果、伝染病患者はなく、入室患者が二十名、そのうち担送患者は六名、独歩患者八名、護送患者六名でありまして、入室患者のうち入院を要する者が十一名あり、うち一名は胃癌末期の重患者でありました。 さて、諸般の説明を引揚援護当局から聞いた派遣委員一行は、折しも上陸開始間近しとの報に接しまして、さん橋に出迎えに参りました。
それから、応急医療の問題ですが、前に申しましたように、一応患者は援護局内の三十ベツドがありますところに応急に入れまして処置することをやりまして、さらに重患者は国立病院の方に移送するわけであります。 次いで荷物の託送ですが、荷物は無制限でございます。
この法案の根本は身体障害者とは申せ、さように重患者のようなものとして作られたものではないと、こう思うのでございます。そのために職業補導などが種々具体的に教えられてあるのでございます。
で、ここでは実際の重患者を追出す、強制退所されるという措置をとつたのであります。当時はともかくも輿論の圧力の下にそれが一時中止されまして、今後はこの法案に基いてそれが堂々と行われて行くことになります、こういうことであります。更に看護婦或いは医療の質的な低下、いろいろのことが起つて來まして、終戰以來これは中川君が言われております。
それが手続を貰いましてから收容所長の許可を得て次に衛兵司令の許可を得て、約三百メートル離れました工場の用度課から「らくだ」の車を一台借りて來て、それに重患者を乘せ、そして日本人が一名と、蒙古の歩哨が一名ついて北方の病院に運ぶわけでありますが、その間の手続が殆んど私一人走り廻つてやつたのでありますけれども非常にスムースに行く場合と、不在であつたり、或いは向うの衞兵司令とか或いは用度課長がおつてもなかなかその