2014-04-04 第186回国会 衆議院 文部科学委員会 第10号
○下村国務大臣 先日、日曜日に、私は醍醐寺に行きまして、醍醐寺が今度、国宝が七万点近く認められたんですね。それまで東大寺の国宝が一万点近くで最高でしたから、圧倒的な数でありますが、それは文化庁が助成して倉庫をつくって、そして七万点の国宝をそこに保管するということですが、保管をすることだけで精いっぱいで、それを一般国民にオープンにするというだけの余力が醍醐寺の今の体制ではほとんど不可能に近い。
○下村国務大臣 先日、日曜日に、私は醍醐寺に行きまして、醍醐寺が今度、国宝が七万点近く認められたんですね。それまで東大寺の国宝が一万点近くで最高でしたから、圧倒的な数でありますが、それは文化庁が助成して倉庫をつくって、そして七万点の国宝をそこに保管するということですが、保管をすることだけで精いっぱいで、それを一般国民にオープンにするというだけの余力が醍醐寺の今の体制ではほとんど不可能に近い。
今、先生は奈良の例をおっしゃいましたけれども、例えば京都でも同じようなことでございまして、歴史上の重要な建造物が残っている地域につきましては、古都における歴史的な風土の保存に関する保存地区というものも、対象地域が御存じのとおり、醍醐寺だとか東山の清水寺、あるいは泉涌寺、大原の三千院、金閣寺などの神社仏閣と一体になった自然の豊かな地域は、これが歴史的な風土特別保存地区として指定されているわけでございまして
それから、三年坂という京都の清水さんから醍醐寺の方へ歩く、あの辺の歴史風土、ああ、ここはいいところだな、一遍行ってみようかなという感じで見ておりましたのでございます。 先生おっしゃるように、それぞれの、これから、地域には、幕末にお城をつぶしてしまったようなところもございます。
これは大臣の選挙地盤でもあろうかと思ってわれわれも一応やむを得ないと考えたわけでありますが、さらにその次は京都の醍醐寺の五重塔の改修復元の落成式があるからこれに出させてもらいたいということで、再び文教委員会が流れた。さらに本日はアメリカの何とかさんと飯を食わなくちゃならぬから中座させてもらいたい、こういうことなんです。
京都府では、黄檗山宝蔵院、平等院、醍醐寺を見ました。宝蔵院は、今から約三百年前鉄眼禅師が十八年を費して作りました世界にただ一つという一切経原版である版木六万余枚を納めた寺でありますが、現在の版庫は、本堂とは離れた山の上にあって、相当老朽しており、床などもその重さのために著しく落ち込んでおります。管理人もおりません。従って、火災、盗難等に対しては、全く施すすべがない状態であります。
醍醐寺では五重塔が昭和二十五年ジエ—ン台風の被害を受け、根本修理を必要とするものでありますが、風害復旧費では素屋根建設にとどまつていたものであります。素屋根の間から傾斜した九輪の望まれまする光景は全くあわれな状況でありました。本年度より解体修理の予算措置ができたようでありますが、早急なる改修か期待されるわけであります。
私が住職をしております醍醐寺三宝院の庭園でありますが、今度国宝に指定替えをなさつて、第一回の特別史蹟名勝になつたわけであります。相当面積の広い大きな庭であります。それは豊太閤とその当時の義演准三宮がお作りになつた庭であります。史蹟としては、而もその当時の記録も存置されております。広くもあるし、立派な名園である。
○横川政府委員 私が会長をいたしておりまして、委員は、寺側の代表が醍醐寺の管長であります。神社側の代表は香取神宮の宮司、それ以外の方は学識経験者でありまして、比較的公正な御意見を吐かれる方ばかりであります。
但したとえば醍醐の花見に使つたときの、醍醐寺や何かにあるりつぱな秀吉の使つた屏風が、今でも何十双とかあるように聞いておりますが、こういうふうな同じ種類の物がたくさんあるというふうなものでありますれば、——これは一例で、決してそれをと言う意味ではございませんけれども、日本に同じような物がたくさんある場合におきましては、そしてまた当事者が出したいというような希望でもありましたら、そういう場合に委員会等がそれを
翌日三日に三十三間堂や醍醐寺、黄蘖山平等院、東寺、西本願寺というような社寺を建造物を見て廻つたわけであります。そうして四日、最後の日に大阪に参りまして、大阪の文部省大阪出張所に寄りまして、大阪の大学の幹部諸君ともいろいろ懇談を重ね、府縣において教育委員諸君と、府会議員の諸君と教育事情について、いろいろ聽取したのであります。