1983-03-05 第98回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第2号
それから、時間も少ないのであわせて関連して質問をしておきますけれども、酒田住軽アルミが製錬をやめて、といいますか、酒田住軽アルミが会社を解散し、撤退し、ただしアルミの製錬については二年後の再開を目指して現在油だきから石炭だきということで共同火力の転換を行っているわけでありますが、いまのアルミの製錬の状況ですね、七十万トン体制とは言うけれども、実質上は三十五万トンぐらいじゃないでしょうか。
それから、時間も少ないのであわせて関連して質問をしておきますけれども、酒田住軽アルミが製錬をやめて、といいますか、酒田住軽アルミが会社を解散し、撤退し、ただしアルミの製錬については二年後の再開を目指して現在油だきから石炭だきということで共同火力の転換を行っているわけでありますが、いまのアルミの製錬の状況ですね、七十万トン体制とは言うけれども、実質上は三十五万トンぐらいじゃないでしょうか。
私は、減産されてきているいまの体制がどこで歯どめがかかるかというのは、重要な今日的な課題であろうと思いますが、その中で、いまも答弁がありましたけれども、酒田住軽アルミの経緯をずっと見ますと、私は出発からかなり無理な状況の中でアルミ製錬が行われてきたのじゃなかろうかというふうに考えるわけです。 そこで、私なりに言いますと、この住軽アルミが設立されたのは昭和四十八年の二月なのです。