1998-03-19 第142回国会 衆議院 環境委員会 第4号
私は一九三〇年生まれですので、戦前は軍事教練というのがありまして、教練が終わると配属将校が講評をするのです。そのとき必ず配属将校は、本日の教練はおおむね良好、こう言ったものでありますが、私も、今回の京都会議はおおむね良好であった。
私は一九三〇年生まれですので、戦前は軍事教練というのがありまして、教練が終わると配属将校が講評をするのです。そのとき必ず配属将校は、本日の教練はおおむね良好、こう言ったものでありますが、私も、今回の京都会議はおおむね良好であった。
学校長と並んで陸軍の配属将校が座っていました。学校長の権力の及ばない人が学校にいたわけであります。そして私は旧制中学四年でしたか五年を終わった時点で海軍に行った、こういう思い出を持っています。こういうことを歴史の反省として見た場合に、この場合教育というものをだれがどのような意図をもってだれに働きかけるのかということをきちんと整理しておかないと、民主教育は守れないと思うのです。
当時の先生は、軍事教練の時間には何度となく配属将校らに搾られたというほど大変なわんぱく少年であったようであります。また、スポーツは万能で、柔剣道から水泳、相撲に至るまで、学校で行われるあらゆるスポーツをこなし、勉学の面においても大変すぐれ、特に理科系を得意とされ、昭和十九年、難関中の難関と言われた海軍兵学校に合格されたのであります。
体育の先生としてそのころは学校にみんな配属将校がおったが、すっ飛んできて、三メートルぐらい足払いで吹っ飛ばしおった。それでも我慢して、鬼畜米英とか言っていた。毎朝学校に行くと、ちりを拾わされて宮城遥拝、束の方向に向かって、天皇陛下は向こうに住んでいるから全部最敬礼です。今度教室に行ったら、天皇の写真が飾ってあるから御真影に向かってまた最敬礼、これが戦前の教育じゃないですか。
○清水分科員 局長からそういうお話なんでありますが、この市川さんの負傷というのは、時間がありませんからくどくど申しませんが、負傷のとき及びその後の処置をめぐって明らかに当時の金沢師団が介在をしていることは、当時の学校長であるとか軍事教練を行っていた配属将校、これも確認をされて私どもにも意見を述べておられる。
だから、その三年間の訓練期間の内容を見ましても、いわゆる訓練所には配属将校がおって一週間に五時間以上の軍事教練がなされておる。一年間に二百時間以上の軍事教練が、実地演習が行われ、そして現実に小銃とか機関銃、軽機ですね。それに実弾も渡されて完全に武装をした、軍隊と何ら変わらないわけです。
○石井説明員 これは昭和十年かと思いますが、同志社の高等商業学校の柔剣道場でございましょうか、これが新築される際に、学生が学校当局に無断で神だなを設置した、これに対しまして学校当局が撤去をさせたとして配属将校が異を唱えまして、このことがやがて学校当局と軍部との対立にまで発展して、結局は先ほどのような事柄と一緒で、学校当局が軍部の圧力に屈して終局を見たということであろうと思います。
○正森委員 これは当該学生が処分されただけではなしに、法務大臣にぜひ聞いていただきたいと思いますが、当時の軍部が、神社に参拝しないというような学生はけしからぬということで、それを意見として言うだけでなしに、カトリック系の学校から配属将校を引き揚げる、こう言っておどしたのですね。
この人は配属将校だから、この人は配属軍人だから、この人は軍属だから、この人は徴用工だから、この援護法の適用が受けられる。同じ職場で働いておっても、おまえは会社の従業員だから公務性がない。身分上の差があるからといって、身分の差によって何ら援護が受けられておらないというのが現状ですよ。
○政府委員(矢倉一郎君) 営内居住という制限が従来かぶっておったわけでございますが、この点の改正措置をとりましたのは、当時たとえば、いわゆる配属将校あるいは軍の関係の技術方面に従事した方、そういう人たちの救済が必要である。こういうところから本件についての営内居住の制限を撤廃することが必要であろう、かように考えまして措置をいたしたわけでございます。
○矢倉政府委員 特例扶助料というこのことばのとおり、実は公務に基づいて恩給公務員がなくなられたような場合には、御承知のように公務扶助料という形で厚い保護がなされておりますが、一方、そこまでまいらない、たとえば内地におられた配属将校のような場合、つまり営内居住をしなければならぬとかいう条件、三つの条件を書いて一つの制限を加えておったわけでございますが、この条件を緩和することによって大半の方々が救済されることになろうかと
曾つて学校の中に陸軍から配属将校というものが入つて来て、身分は陸軍が持つて学校長はこれに対する身分権は持たない。これがために学校の教育上非常な紛争を来たし、面白からざることを来たしたことがある。今度の地方自治体の中に高級の人だけは国家公務員にして入れるということになぜか割り切れないものを感ずるわけでありますが、この理論の矛盾を感じなさらんのかということをお尋ねいたします。
「かつて配属将校を置いたように、大学高等学校に配属警官でも置かなければ安心できないのであるか。」というように切言をしておられる。同時に又日本タイムスも同日社説を以ちましてこの問題を取扱つて、そしてその結語として、我々は思想警察又特高警察の復活を決して許さないというように痛論しておられる。これらの点も法務総裁は十分考慮しておられることだろうと思うのであります。
で、御承知の通りに戦争中には大学においてさえも配属将校が権力をほしいままにしていたのであります。総長といえどもそれに対して一指も触れることができない。そういう状態になつたのは決して一朝一夕ではございません。明日からそうすると言うのならあなたも妨げることができるでしよう。併し数年に亘つてそうした情勢ができたことに対しては何びとといえども阻止することはできない。
配属将校が校長に命令を下すというようなことが、決してそういうことが復活しないと言うことができるか、我々は安心するわけに行かない。そういう国家の止むなくてし、一言で言えば必要止むを得ずして置いてあるような悪、学者によつてはそれをネセサリー・イーヴルというふうにも言う。
なお市警当局から各警察署に渡しました指令には、最後に括弧して、かつての配属将校にならないようにという注意書がございましたけれども、その注意書があること自身、そういうおそれがあるということを十分示しているわけでございます。