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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1991-02-20 第120回国会 衆議院 文教委員会 第4号

学校長と並んで陸軍配属将校が座っていました。学校長権力の及ばない人が学校にいたわけであります。そして私は旧制中学四年でしたか五年を終わった時点で海軍に行った、こういう思い出を持っています。こういうことを歴史の反省として見た場合に、この場合教育というものをだれがどのような意図をもってだれに働きかけるのかということをきちんと整理しておかないと、民主教育は守れないと思うのです。  

沢藤礼次郎

1988-10-13 第113回国会 衆議院 本会議 第12号

当時の先生は、軍事教練の時間には何度となく配属将校らに搾られたというほど大変なわんぱく少年であったようであります。また、スポーツは万能で、柔剣道から水泳、相撲に至るまで、学校で行われるあらゆるスポーツをこなし、勉学の面においても大変すぐれ、特に理科系を得意とされ、昭和十九年、難関中の難関と言われた海軍兵学校に合格されたのであります。  

上原康助

1984-06-28 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

体育の先生としてそのころは学校にみんな配属将校がおったが、すっ飛んできて、三メートルぐらい足払いで吹っ飛ばしおった。それでも我慢して、鬼畜米英とか言っていた。毎朝学校に行くと、ちりを拾わされて宮城遥拝、束の方向に向かって、天皇陛下は向こうに住んでいるから全部最敬礼です。今度教室に行ったら、天皇の写真が飾ってあるから御真影に向かってまた最敬礼、これが戦前教育じゃないですか。

上原康助

1981-03-03 第94回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第4号

清水分科員 局長からそういうお話なんでありますが、この市川さんの負傷というのは、時間がありませんからくどくど申しませんが、負傷のとき及びその後の処置をめぐって明らかに当時の金沢師団が介在をしていることは、当時の学校長であるとか軍事教練を行っていた配属将校これも確認をされて私どもにも意見を述べておられる。

清水勇

1978-03-17 第84回国会 衆議院 社会労働委員会 第5号

だから、その三年間の訓練期間の内容を見ましても、いわゆる訓練所には配属将校がおって一週間に五時間以上の軍事教練がなされておる。一年間に二百時間以上の軍事教練が、実地演習が行われ、そして現実に小銃とか機関銃軽機ですね。それに実弾も渡されて完全に武装をした、軍隊と何ら変わらないわけです。

川本敏美

1976-10-27 第78回国会 衆議院 法務委員会 第4号

石井説明員 これは昭和十年かと思いますが、同志社の高等商業学校柔剣道場でございましょうか、これが新築される際に、学生学校当局に無断で神だなを設置した、これに対しまして学校当局が撤去をさせたとして配属将校が異を唱えまして、このことがやがて学校当局軍部との対立にまで発展して、結局は先ほどのような事柄と一緒で、学校当局軍部の圧力に屈して終局を見たということであろうと思います。

石井久夫

1973-07-03 第71回国会 参議院 社会労働委員会 第16号

この人は配属将校だから、この人は配属軍人だから、この人は軍属だから、この人は徴用工だから、この援護法の適用が受けられる。同じ職場で働いておっても、おまえは会社の従業員だから公務性がない。身分上の差があるからといって、身分の差によって何ら援護が受けられておらないというのが現状ですよ。

須原昭二

1966-05-31 第51回国会 参議院 内閣委員会 第26号

政府委員矢倉一郎君) 営内居住という制限が従来かぶっておったわけでございますが、この点の改正措置をとりましたのは、当時たとえば、いわゆる配属将校あるいは軍の関係の技術方面に従事した方、そういう人たちの救済が必要である。こういうところから本件についての営内居住制限を撤廃することが必要であろう、かように考えまして措置をいたしたわけでございます。  

矢倉一郎

1966-04-22 第51回国会 衆議院 内閣委員会 第29号

矢倉政府委員 特例扶助料というこのことばのとおり、実は公務に基づいて恩給公務員がなくなられたような場合には、御承知のように公務扶助料という形で厚い保護がなされておりますが、一方、そこまでまいらない、たとえば内地におられた配属将校のような場合、つまり営内居住をしなければならぬとかいう条件、三つの条件を書いて一つの制限を加えておったわけでございますが、この条件を緩和することによって大半の方々が救済されることになろうかと

矢倉一郎

1954-05-25 第19回国会 参議院 地方行政委員会 第44号

曾つて学校の中に陸軍から配属将校というものが入つて来て、身分陸軍が持つて学校長はこれに対する身分権は持たない。これがために学校教育上非常な紛争を来たし、面白からざることを来たしたことがある。今度の地方自治体の中に高級の人だけは国家公務員にして入れるということになぜか割り切れないものを感ずるわけでありますが、この理論の矛盾を感じなさらんのかということをお尋ねいたします。

笹森順造

1952-03-12 第13回国会 参議院 法務委員会 第12号

「かつて配属将校を置いたように、大学高等学校配属警官でも置かなければ安心できないのであるか。」というように切言をしておられる。同時に又日本タイムスも同日社説を以ちましてこの問題を取扱つて、そしてその結語として、我々は思想警察又特高警察の復活を決して許さないというように痛論しておられる。これらの点も法務総裁は十分考慮しておられることだろうと思うのであります。  

羽仁五郎

1952-02-25 第13回国会 参議院 法務委員会 第8号

で、御承知の通りに戦争中には大学においてさえも配属将校権力をほしいままにしていたのであります。総長といえどもそれに対して一指も触れることができない。そういう状態になつたのは決して一朝一夕ではございません。明日からそうすると言うのならあなたも妨げることができるでしよう。併し数年に亘つてそうした情勢ができたことに対しては何びとといえども阻止することはできない。

羽仁五郎

1952-02-25 第13回国会 参議院 法務委員会 第8号

配属将校が校長に命令を下すというようなことが、決してそういうことが復活しないと言うことができるか、我々は安心するわけに行かない。そういう国家の止むなくてし、一言で言えば必要止むを得ずして置いてあるような悪、学者によつてはそれをネセサリー・イーヴルというふうにも言う。

羽仁五郎

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