1996-06-05 第136回国会 衆議院 規制緩和に関する特別委員会 第9号
そのようなことが起こったために、十数紙あった東京の新聞紙が片っ端からつぶれ始めて、新聞統制に入った戦時には、朝日、毎日、読売、都新聞、中外商業新報、つまり現在の日経でありますが、この五紙しか残らなくなってしまった。これは、みんな安売り競争で、弱いものはつぶれていったのです。そういうことが今後起こる。
そのようなことが起こったために、十数紙あった東京の新聞紙が片っ端からつぶれ始めて、新聞統制に入った戦時には、朝日、毎日、読売、都新聞、中外商業新報、つまり現在の日経でありますが、この五紙しか残らなくなってしまった。これは、みんな安売り競争で、弱いものはつぶれていったのです。そういうことが今後起こる。
この資料は、四十六年三月二十九日、東京都新聞販売同業組合、東京都連合朝日会、東京読売会、東京都毎日会、東京会、東京サンケイ会連合会、都内日経会、あらゆる販売店主の皆さん方が、三月の二十九日に各新聞社に対して、これは東組発第六一号という文書で、この際あえて共配共集などの合理化を進めるとともに、販売の正常化を目ざしたいと考えますが、どうでしょうか――販売店みずからが、各系列販売店の皆さん方が、この六一号文書
その後、越えて昭和十一年の十二月十四日に、たまたま都新聞の通信網から、海田圧太郎が隣村にいるということがわかりました。そのときに藤田記者がおれをやらしてくれといって行きまして、わび証文をとってきたわけであります。そのわび証文をとってきましたときに、私はそのものを写真部に行って見ました。記憶は薄れましたけれども、確かに海田庄太郎が書いたものであるということに間違いありませんでした。
赤松 勇君 井伊 誠一君 委員外の出席者 参 考 人 (日本弁護士連 合会会長) 円山 田作君 参 考 人 (弁 護 士) 後藤 信夫君 参 考 人 (日本弁護士連 合会事務総長) 荻山 虎雄君 参考人 (元都新聞記
(ニ) 庄太郎の偽証自白と詫び状請求人は出所以来の必死の努力と、司法関係の新聞記者等の協力によって、ようやく庄太郎が埼玉県北葛飾郡彦成村上彦川戸六三に居住していることを探知し、昭和十一年十二月十四日都新聞の記者藤田幸男とともに右居住地に赴き庄太郎に会っているが、その時の状況について右藤田幸男(早稲田大学法科卒業後都新聞社に記者として入社現在財団法人東京新聞論説委員)は当裁判所の事実取調(前同様録音採取
○竹中勝男君 五月十九日の京都の都新聞に、京都大学の応用物理学の四手井教授が、十六日の雨に二万八千カウント以上という記録的な放射能が検出されたと十八日に発表しております。同教授によりますと、十六日の夜十二時頃十分間ほど降つた雨の中に、毎分ざつと二万八千カウント、即ち一リットルの水の中に二万八千カウントが検出された、これは恐らく世界で初めての数字であろう。
第三番目は奈良縣の教育委員会の法案改正の要望意見書、第四番目は國立博物館職員組合の意見及びその修正案、第五番目は京都府の観光連盟会長の要望書、第六は京都府の古文化保存協会の陳情書、第七は日本学術会議の意見書、第八番目は東京都の各新聞、それから京都の都新聞と京都新聞、大阪毎日新聞等の各新聞に掲載されました論説とか或いは社説、第九番目は文部省の文化財保存課の意見、第十といたしましては先般作成されました衆議院