1986-03-25 第104回国会 衆議院 運輸委員会 第5号
以前、昭和四十七年の都交番の答申の際には、深川扇橋が十一号線の最終到着地点でありましたために、深川扇橋の名前が表記されておったわけでございますが、今度はそれが十一号線の延伸に伴いまして、単純な経由地となりましたために、表記上は住吉という地点を表記することになりまして、深川扇橋という地名が落ちたものでございまして、実際のルートにつきましては、何ら変更は行われておりませんので、当然、深川扇橋を経由する形
以前、昭和四十七年の都交番の答申の際には、深川扇橋が十一号線の最終到着地点でありましたために、深川扇橋の名前が表記されておったわけでございますが、今度はそれが十一号線の延伸に伴いまして、単純な経由地となりましたために、表記上は住吉という地点を表記することになりまして、深川扇橋という地名が落ちたものでございまして、実際のルートにつきましては、何ら変更は行われておりませんので、当然、深川扇橋を経由する形
その後四十七年でございますか、都交番の答申でも七号線は今後の都市交通線として必要なものとして線引きが行われております。ただ、先生御承知と思いますけれども、その免許申請路線の中で、いわゆる車庫のところの岩淵町-桐ヶ丘のところで、いろいろ住民の方々との問題がございまして、そこで非常に手間を取ったわけでございます。
それで都交番で昭和四十六年、同じく答申が出ておるわけでございますけれども、この後は要するにどういう形でやっていくのかという鉄建審に対する諮問がやはり必要になってくると思うのですけれども、これは大臣はもう当然必要であるという御意向でございますけれども、大体いつごろ鉄建審に諮問する予定なのかどうか。具体的なスケジュールが決まっておればお話しいただきたいと思います。