2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
ヘリコプターについて二点お伺いしましたが、私の地元の郷土部隊であります新発田第三〇普通科連隊はヘリコプター部隊としての指定を受けておりまして、地元で意見交換する際にも、やはりヘリコプターについての議論というのが非常に多くなりますので、二点確認を申し上げました。ありがとうございます。 引き続きまして、自衛隊員の方々の処遇について、私からもお尋ねをしたいと思います。
ヘリコプターについて二点お伺いしましたが、私の地元の郷土部隊であります新発田第三〇普通科連隊はヘリコプター部隊としての指定を受けておりまして、地元で意見交換する際にも、やはりヘリコプターについての議論というのが非常に多くなりますので、二点確認を申し上げました。ありがとうございます。 引き続きまして、自衛隊員の方々の処遇について、私からもお尋ねをしたいと思います。
「満蒙開拓青少年義勇軍郷土部隊募集二関スル件」では、「過般本府主催二係ル市郡小学校長会議二於テ決定相成候標記郷土部隊編成補充募集ニ関シ一市郡平均五名送出準備ノ都合モ有之候条貴職ニ於テ夫々貴市郡小学校長会長ト緊密ナル御連絡ノ下ニ応募者氏名来ル二月十一日限本府職業課必着ヲ以テ通知相成度」、こんなふうな通達が行っているわけです。
また、それぞれにゆかりの郷土部隊の歴史を残していきたいという関係者の御希望等もございまして、そういうような資料も、自衛隊の資料等含めまして展示する資料館等を設けている場合が多うございます。 ただいま委員が御指摘になられました陸上自衛隊新発田駐屯地資料館でございますが、そこにもそのような資料館がございますが、その中には、当該駐屯地ゆかりの旧陸軍歩兵第十六連隊関係の資料が出ております。
人員の充足については、道内出身隊員及び道内定着隊員の比率を高める「郷土部隊化」を二年前から進めており、その割合は五五%まで向上しているとのことであります。 戦車、火砲、装甲車、ヘリコプター等の主要装備については重点的に配備を受け、ほぼ一〇〇%の充足であります。
まず、あらかじめ厚生省の方に事前に確認をしていただくようにお願いをして、わかりましたということになっておるわけですけれども、この湘桂作戦等の作戦で多大の犠牲で戦死者が出ております私の郷土部隊歩兵第一三三連隊(嵐六二一四部隊)の戦没者の遺族名簿というのが一三三会として出されております。
御案内のとおり、私は大東亜戦争の開始とともにフィリピンの戦線に小隊長として郷土部隊で参ったわけでございますが、台湾人元日本兵というのはフィリピンが非常に多かったわけでございます。フィリピン以外ではニューギニアが多かったと言われております。
私の郷土部隊のほかに、歩兵第一一六連隊、これは新潟県新発田市でございます。歩兵第六五連隊、これは福島県会津若松市でございます。歩兵第一〇四連隊、これは宮城県仙台市。
特にその点に触れるのは、私がということよりも、私どもの郷土部隊というのが大体中国戦線、フィリピン戦線あるいはビルマ戦線というところに関係が深いわけでありまして、そういう方々の戦友の意見の中でも、当時の中国の状態から見れば、他の南方地域と同じような取り扱いでいいのではないかといったような議論を聞いたりするわけであります。
○吉江説明員 各旧戦域にいわゆる戦友会とかあるいは遺族会、郷土部隊の方々等がそれぞれの慰霊碑をお建てになっておるということは、私どもは仄聞をいたしておりますが、その団体の方々がそれぞれの方法で土地を確保されてお建てになり、お守りになっておるというように了解をしておりまして、全体については私どもは詳細に把握しておりません。
で、一朝有事の際におきましては、たとえば北にそういう問題が起きれば支援の部隊を内地から派遣をするということでこれに対応することを考えたらどうだろうと、そこでいま申し上げましたように、まあ郷土部隊という性格を強く打ち出して、その部隊の中身について再検討をしてみたらどうかという一つの試案として、ただいま先生から御指摘がありましたように、北海道については人員の充足に非常に苦労しておるという点から考えて、それを
郷土部隊。もしほんとうに強い精神力で死をおそれず本気で守る、そうだったら、やはり香川県出身の自衛官はたとえば善通寺に集合するとか、地域地域で配置すれば、一番ねばり強い戦いができると思いますよ。ところが、いまそうなっていませんね。京都の人が必ずしも京都に行くとなってない。
日本でもおそらく単なる地方の一小部隊というようなところでないことは御承知だろうと思いますが、そういうようなところでございますし、また熊本にしても、これは広い意味における郷土部隊でございますが、そういうように、そういうところの視察をする場合、各幕僚長から専門的な意見を聞くということは、これはきわめて私は必要なことであると思うわけでありますが、それについて命令だとかあるいは自発的に単に行ったんだとかいう
私は、最初事務当局に申しましたのは、鹿屋や国分や熊本の部隊——言いかえますならば郷土部隊、どうしても北海道と九州は早目に視察したいものだし、まあ郷土部隊もひとつ見たいものだ、それと並行して県庁や県警本部や町村役場などもこの機会にひとつごあいさつをしたい、こういう点は確かにあったわけで、衆議院に伊藤委員も来てよく聞いておられたようでございますが、どうか私の心境を正直に言えといえば、これが正直な見解でございます
かつまたそれに対して何を言ったかということにつきましては、これは本来ならば長官がお帰りになってから、長官御自身がお答えになるべきでございましょうけれども、現在の長官の心境の一端を伝える電報といたしまして、ワシントンの十三日の共同特派員の電報——これはもちろん私は長官のすべての意向を伝えているとは考えられませんけれども、その中から感じとられますことは、「お国入りと鹿児島、熊本の郷土部隊初巡視とを一緒にやったので
いずれ長官帰国後に当然発言があると思いますけれども、御参考までに申し上げますると、去る十三日のワシントンにおきまするところの某通信社の特派員との一問一答の中で、私がふなれなことから云々というおことばと、私がお国入りと鹿児島、熊本の郷土部隊巡視とを一緒にやったので混同して受け、取られる点があったとしたら、いま考えてみて私としては少し配慮が足りなかったように思うというような談話が、これは私、非常に縮小された
当時山形県下の防衛のため郷土部隊が編成されますや、本人は六十四歳の老躯をひつさげ、みずから率先して国土防衛のため中隊長としてたこつぼ戦術だとか竹やりの訓練に努めたのであります。本人としては銃後の守りは当然軍人のやるべき仕事であるとしてやつたのであります。ところが満州に出征していた子供は裸で帰り、孫は病気で寝込み、何もなくなつて食うにも困る状態になつたのであります。