2011-05-26 第177回国会 衆議院 本会議 第23号
二世であったお蔭で立候補の機会を得ることが出来、国会に議席を得られたばかりか今日まで活動を続けてこれたのは、何よりも期待を持ち続けて国会に送っていただいた郷土熊本の方々のお力あればこそであり、また指導していただいた先輩議員、同僚議員、選挙活動だけでなくご支援下さった方々、お一人お一人の顔を思い浮べながらただただ感謝するばかりであります。ありがとうございました。
二世であったお蔭で立候補の機会を得ることが出来、国会に議席を得られたばかりか今日まで活動を続けてこれたのは、何よりも期待を持ち続けて国会に送っていただいた郷土熊本の方々のお力あればこそであり、また指導していただいた先輩議員、同僚議員、選挙活動だけでなくご支援下さった方々、お一人お一人の顔を思い浮べながらただただ感謝するばかりであります。ありがとうございました。
私が在職二十五年の長きにわたって国政に参画し、今日このような栄誉に浴することができましたのは、ひとえに先輩、同僚議員の皆さんのご厚情と郷土熊本県の皆様方の多年にわたる温かいご支援のたまものであります。この際、衷心より感謝の意を表します。 また、この間苦労を掛けてきた妻と母にも感謝と結いの意を表します。
その際、お許しを得まして、私の郷土熊本の貴重な文化財の保護に関して質問を申し上げますことをしあわせに存じます。 このことは、かつて予算分科会におきまして前後二回にわたりまして論議されました熊本県下益城郡城南町塚原の古墳群の遺跡に関してでございます。
この長い苦難の時期を経て、昭和三十年には再び本院に復帰されましたが、かねて郷土熊本に対する愛着の人一倍強かった先生は、郷党の熱心なすすめもあって、昭和三十八年の第三十回総選挙からは選挙区を熊本県第一区に移して当選し、今日に及んでおります。 野田先生は、長い風雪に耐え抜いた真の政党政治家であり、気骨の政治家として独自の地歩を築かれ、国政の進展に大きな足跡を残されました。
(拍手) まず私は、総理もお見えになっておりまするから、訴えたいのでございまするが、松野議長は、私と同じ郷土、熊本の出身でございます。