2020-11-19 第203回国会 衆議院 総務委員会 第3号
このことを、局で働いていて、前に労働組合の役員をやられていた方で、郵便屋さんから組合役員をやられた方なんですけれども、こんなことがあったよというお話を、感謝を伝えたところ、それが郵便屋の誇りってもんよと言っていました。
このことを、局で働いていて、前に労働組合の役員をやられていた方で、郵便屋さんから組合役員をやられた方なんですけれども、こんなことがあったよというお話を、感謝を伝えたところ、それが郵便屋の誇りってもんよと言っていました。
先ほども申し上げましたけれども、日本郵便の職場が、とりわけ田舎へ行けば行くほど、お年寄りが年金受け取るのは郵便局しかない、あるいは貯金も郵便局しかない、頼りにする、愛される、あるいは郵便屋さんがお年寄りの見回りまでやるひまわりサービス、そういうこともできていくような、そういうふうに頼りにされるような郵便局づくり、しっかりとやっていただくことを重ねて求めて、今日の質問を終わりたいと思います。
郵便だったら到達主義で、郵便屋さんがポストに入れた、到達している、官邸に到達して受理されている。官邸には申入れは届いております。 そうすると、ここから先は、じゃ、官邸が会うか会わないかの判断をされるというふうなことですよね。だって到達している、官邸としては受理をしたということですから、受理はしていただいた。だったら、会ってくださいよ。会って話をしてくださいよ。
いずれにしましても、この三つの事業がしっかりやられておればそれでいいということではなくて、先ほどからも、柘植さんからも冒頭ありましたし、大臣からもありましたが、やはり本当に独り暮らしのお年寄りだとか高齢者のところだとか、特に私なんかが住んでいる富山県なんていうのは、冬なんか、雪なんか山奥なんていうのは一晩で一メーターや一メーター五十積もるなんていうところも、こういうところなんか新聞が行かなくても郵便屋
以前は、集配に来るいわゆる郵便屋さんに貯金の引き出しや簡保の掛金を頼めばやってくれたのが駄目になった、過疎地や出歩くのが難しいお年寄りや障害者にとっては大変不便になって、私も利用者から、これは金融弱者の生活、人権問題だと、こういう訴えを随分とお聞きもしてまいりました。 大臣、これについては、先ほどもございましたが、全面的に復活をするわけですね。
例えば総合担務の話なども、当然のことながら郵便屋さんが貯金やあるいは保険の業務も一緒にやってもらえた、そういうことが本当にありがたかった、それが今回の分社化によって大きな支障を生じたということ、そういう点でも、統合の問題というのは積極的なものだということでお話を受けとめました。 あわせて、やはり金融の窓口業務。
車の入らない地域は、新聞も郵便屋さんが毎日配達しています。郵政省の時代には、郵便屋さんが貯金や年金の取り扱い、また通販の支払いの振り込みも、さらにひとり暮らしの安否確認の役割もお願いをしていました。 現在、金融機関は特定郵便局と農協の支店のみです。農協の支店につきましては、建物が老朽化して、取り壊しの際は支店が撤退することが十年前に決まっていました。
あっという間にこれがなくなってしまって、しかも、最終的に、今郵便屋さんに貯金を積むことも、おろすことも、振り込みもお願いできない状況になってしまったので、本当に山の中に住む村民は手足をもぎ取られた状態にあると思っております。ですから、ユニバーサルサービスの中で、特に郵便屋さんに保険、貯金業務ができることは私どもの最低限のお願いでございます。 以上でございます。
こういう問題がやられたり、あるいは利用者は貯金や簡保の出し入れが全く不便になって、例えば独り暮らしのお年寄りが年金を郵便屋さんに頼んで配達のときに持ってきてもらう、全部駄目になったわけでしょう、これ。禁止されてしまった。あるいは、郵政公社になって、目玉にしていたひまわりサービス、お年寄りのお宅へ一声掛けてくる、これもみんななくなってきてしまった。
その点で、一つ取り上げたいのは総合担務の問題でございますが、郵便局の方が、郵便屋さんが郵便配達時に貯金を預かったり、保険、年金を届けたりする、こういう業務、総合担務がこの郵政民営化に伴って廃止となりました。鳩山大臣も、十一月二十一日の記者会見の場で、なじみの郵便配達をされる方が私の簡保の積立金を持っていってくれる、こういうことができない、こういう話があると述べておられます。
私の出身地であります富山県を含めて全国では、山間部では文字どおり、まあ地元では親しみを込めて郵便屋さん、郵便外務員のことをそう言いますが、都会の繁栄から取り残されてひっそりと暮らしている高齢者などの目となり足となる大変な重要な役割を果たしています。
私は、現役の郵便屋さんで、郵便配達をしております。きょうは、年休をとってこの場所に来ております。労働組合を代表して、郵政民営化法案に対して反対の立場で意見を申し上げたいと思います。 私は、高校を卒業すると同時に、郵政省の試験に合格して郵便局の職員になり、以来、郵便配達の仕事を三十八年間行ってきました。地域の皆さんと日々顔を合わせながら仕事をしております。
それら、私は長く勤めていますので、結構詳しいことまで、子供時代から知っていますので、そういう住所が正確に記載されていないものを配達しますと、どうもありがとうございますということを言われますし、それから、やはり合格祝いを持っていったときに、小さいときから知っているお子さん、おめでとうございます、本当にうれしそうに、郵便屋さんありがとう、そのとき、本当にやっていてよかったなというふうに感じますね。
郵便屋さんが朝九時ごろ出発する時間に、ほかの地域に用のある集落の方々が集まって、一緒に雪の峠を越したのであります。いつも郵便夫を頼りにしておりました。 豪雪の状況を簡単に紹介いたしますと、今冬は、中越地震に追い打ちをかけて、十九年ぶりの豪雪でありました。守門村では役場の位置で計測しております。
また多くの国民についても、世界の中でも、郵便屋さんというものに対して愛着を持っている、必要だという認識も私も持っております。そういう国民の郵便局に持っている愛着、利便性を阻害しないような民営化を今考えているわけであります。 私は、今の郵便局の仕事は民間経営者に任せても十分国民に提供できる。
しかし、私が思うに、二年ほど前に見た中国の映画で、山の郵便屋さんというのがあるんですね。それを見ましたけれども、それは、一週間かけて、かばんに郵便物を持って遠くまで行って、それでまた帰りに郵便物を預かって帰ってきているという、自動車はもちろん、何も通らない、行けるならロバか何かで行くようなところなんですね。
国家試験の合格又は就職、それと、我々にとっては当選などの便りを受ける赤いポストと、またさらに、玄関まで出て手渡される便りを待っていたことも思い出すぐらいすてきな郵便屋さんは、喜びにつけ悲しみにつけ我々の日々の生活に定着していると思います。 このたびの郵政関連法案につきましては、やや議論も尽くされたように思われますが、重複するかも分かりません。
それから、郵便屋さんにも持ってもらっています。そこで、おばあちゃんに、写真を撮って、それではがきにするわけですね、おばあちゃんが写ったはがき。それにちょっと書いて、息子夫婦に、元気でやっているよとか。それを今度インターネットで郵便局が流しちゃうわけです。今度は、今大体メール持っていますから、そのメールが返ってくるわけですね、東京に行っている子供たちとか大阪。
郵便屋さんというのは、特に郵便屋さんと言いますけれども、もう全部地域を知っているわけですね。あの家には何人おばあさんがいて何人子供がいて、犬の名前まで知っています。 あるとき、本町で、私のところで火事が行ったことがあります。そうしますと、おばあさんが助かったんですけれども、郵便屋さんが、あのおばあさんはこの今燃えている何メートル先のどこの居間に寝ているはずだということまで分かるんですね。
若い人の意見がどんどん地域に出始めたということの中で、これは郵便局と直にどうかは知りませんけれども、割と郵便屋さんというのは各地区に行きますので、競争をあおる意味では、具体的にありました、あそこの村では今度こういうことをやるらしいよとか、あそこはこういうふうになったよとか、この間こうやったよとかいいますと競争になるわけですね、集落ごとに。
点字郵便物や点字図書は生活そのものである、点字を読むことのできない視力障害者は録音物に頼らざるを得ないこと、重度の障害を持つ方は外にも出られないで、郵便屋さんと点字郵便物、録音物が外の世界と触れ合う唯一の機会であること、もし有料になって届かなくなると生活の基盤が崩壊すること、切々たる訴えを聞いてきました。
家族がどこかへ行ってお土産を買って送ってきたとか、それから、このごろ書類まで、郵便屋さんじゃなくて、届いたり。 運輸部門の対策として、私はいわゆるモーダルシフト対策というものが重要だ、こういうふうに思っているわけであります。
話がぐしゃぐしゃしますけれども、今の法律だと、具体的に言うと、郵便屋さんが郵便袋を持ってポストから郵便物を回収してくる、それでトラックへ載せて郵便局へ行って、本局へ行って広げてみたらその中に虐待があった、さあどうしようかという仕事のやり方だと思うのです。
ところが、過疎地へ行きますとひまわりサービスなんというのがございまして、郵便屋さんが配達しながら過疎のひとり暮らしの老人なんかに声をかけたり健康状態を見たり、場合によっては買い物を手伝ってあげたり、いろいろなことをやっているわけであります。 これはフットワークを使った従来型のものでございますが、そこに人間関係とか安心感とか信頼関係とか、そういうものが長い間にその地域でできているわけでございます。
例えば、制服を着て災害地を歩いていますが、これはもう郵便屋さんよりかもむしろ便利屋さんですね。被災地に行って、もう焼けちゃってどこにいるかわからないと。したがって、制服を着ていれば、だれのだれべえさんはここにいたんだけれどもどこにいるんでしょうかとかもうあらゆることを、単に郵便を配るというだけじゃない役割を負っているというふうに私は判断しているんです。 そういう状態というのは一体何か。
私も郵便屋でございますから、郵便の職場を歩いて話もしたんですが、お父さんを亡くした方が一生懸命仕事をしている、区分棚をこっちへ寄せまして。そこはもう崩れている。そういう中で、窓はほとんど落ちてしまっている、シートを張って、こういう状況で、お父さんを亡くした方、家族を亡くした方、家が全壊した方、半壊した方などなど何人もおりました。 とっさにどのくらいの仮設を建てれば県内の皆さんの収容ができるかと。