1968-04-19 第58回国会 衆議院 法務委員会 第23号
○中川(進)政府委員 前回御説明申し上げたと思いますが、御承知のごとく、昨年の十二月の初旬に郭錫麟と申します、台湾独立運動をしたと称する人をやはり同じ理由で、すなわち不法滞在のかどによりまして強制退去を命じたのでございます。そしてこの人が台湾へ帰りましたあとでいかなる処遇を受けるかということを、私どもは注意して見守っておったのでございます。
○中川(進)政府委員 前回御説明申し上げたと思いますが、御承知のごとく、昨年の十二月の初旬に郭錫麟と申します、台湾独立運動をしたと称する人をやはり同じ理由で、すなわち不法滞在のかどによりまして強制退去を命じたのでございます。そしてこの人が台湾へ帰りましたあとでいかなる処遇を受けるかということを、私どもは注意して見守っておったのでございます。
それを訂正する考えはございませんが、なぜそういうふうになったかということを一言説明させていただきますというと、先ほど大臣が申し上げましたように、昨年の十二月に郭錫麟という人を送還いたしました。これは、私どもから見ますと、いわゆる台湾独立運動の少なくとも中心人物の一人であろうと考えておったのでございます。
それから一番の生きた例といたしまして、先ほど申し上げました郭錫麟は、昨年の十二月に帰しましたが、いまは自由になって家族と一緒に住んでおると、入管に対して礼状さえよこしておる、こういう状態であります。それから問題の柳という三月二十七日に送りました人も、その日にさっそく飛行場で家族、すなわち両親に引き渡されまして、両親と一緒にとった写真まで私ども入手しております。
それから、若干ふえんいたしますが、先ほど大臣が申されました郭錫麟という男でございますが、これは最初のほうのグループに入ります一人でございまして、三十五年に日本へ参りましたときに、これもいまと同じで、二十五日に不法入国をしたのを、二十六日にさっそく船に乗せて帰したのでございます。
実は昨年の暮れに、同じ台湾の独立運動を日本でやっております郭錫麟という男がございまして、これを帰しました。これも今回とほぼ同じように退去強制として帰したのでございます。そこでこの人が一体台湾に帰りましたあとでどういうような運命にあうかということをわれわれは刮目して見ておったのでございます。