1949-12-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号
先ず前職者、これは対ソ攻撃に準備されたいわゆる日本陸軍の支柱といわれた関東軍の憲兵、警察、特に警察の分室といわれた特殊情報に参加していた警察官、それから特務機関、それから防疫、給水部、特に石井中将を長といたしまするハルビンの香坊の郊外にありました石井部隊、これは大体ちよつと概要を説明申上げますと、コレラ、ペスト、発疹チブス、こういうような恐るべき細菌を培養いたしまして、これをソヴイエト、或いは中国の
先ず前職者、これは対ソ攻撃に準備されたいわゆる日本陸軍の支柱といわれた関東軍の憲兵、警察、特に警察の分室といわれた特殊情報に参加していた警察官、それから特務機関、それから防疫、給水部、特に石井中将を長といたしまするハルビンの香坊の郊外にありました石井部隊、これは大体ちよつと概要を説明申上げますと、コレラ、ペスト、発疹チブス、こういうような恐るべき細菌を培養いたしまして、これをソヴイエト、或いは中国の
十三ラーゲル、十八ラーゲル、十六ラーゲル、そのラーゲルは、分所は戰犯ラーゲルとして特に言われておりまして、憲兵、警察官、特務機関、特殊部隊、これには機動部隊或いは衣部隊、仁部隊、これは北支の方におりました部隊であります。それから元の参謀連中、それから通信情報関係の者、そういう者も大分おりました。その中におつた人間は大体まお分りと思いますので省略いたします。
○証人(山本昇君) その外に特殊ラーゲルとして十三ラーゲル、十八ラーゲル、十六ラーゲル、これは特に戰犯ラーゲルとして憲兵、警察官、特務機関、特殊部隊、これは機動部隊、衣部隊、仁部隊、そういうような名称で言われておりましたが、そういう特殊部隊或いは元の昔の参謀……。
従つてその援護をされている人の、大体一番初めどこにおつて、たとえば部隊なんかでもわかれば、ひとつついでに出していただきたいということをお願いしておきます。
吊し上げもありましたし、或いはインターナシヨナルなり、敵前上陸、或いはマルクス、レーニンの筋金入りというような問題から、最後には日の丸部隊とかいうことで、実際赤とか白とかいうことは、それは各人の勝手だと考えられる。そうした点から考えまして、これこそ委員会において真劍に取上げてやるべきではないか。
これは当時の部隊公報にも出ておるのでありますが、その戦没者の氏名について、舞鶴の援護庁の引場合帳の中には、ソ連地区の未帰還者として載つておるというふうなことが出ておる。南方の方は次第に引揚げが完了して残留者は減るが、そつちの方から実際にはまだ人が続々として帰つておる。ソ連にはたくさん残つているというふうに言われておるのであります。
これはまた当時の部隊公報にも出ておるのでありますが、この戦死した人たちの氏名が、舞鶴援護局の台帳には、ソ連地区の引揚げ未帰還者としてずらりと並べられている。
部隊の都合、あるいは編成がえ、あるいは民事部の廃止その他を勘案いたしますと、相当出ているわけです。さらに今日話題になつておりますところの講和会議の問題等が考えられますと、進駐軍関係の労務者は、大量に失業するということが予測されるわけです。
○林(百)委員 これは会計検査院の報告にもあるのですが、政府軍の直轄部隊では、解散手当のほかに三箇月以内の俸給給料を支給するように指示したけれども、政府軍直轄部隊はこの三箇月分以内を、さらに六箇月分も支給した。従つて八百七万円の過剰支拂いが生じている。
事実軍備の問題は余程注意をして、軽々に話をするというと、ドイツの例もあつて、ソヴイエトに飛行機部隊を入れて、そうしてどうとかしたというような噂もあるから、軍備の問題はさなきだに日本が再軍備をしやしないか、先方においては軍備を撤去し、そうして戰争を放棄したにも拘わらず、どこかで軍隊を隠すなり何なり、再軍備の用意をしていやしないかという、そういう疑いが各所にあるようでありますから、それで参議院のごとき国家
あるいはドイツが先年戦争のあとでソビエトに飛行将校その他を送つて、そして飛行機の研究なり、飛行機部隊をこしらえておつたというようなうわさなどがあるために、日本において同じようなことをしておるのではないか、支那あたりでやつておるのではないか、ことにオーストラリアとしては、そういう日本の再軍備について非常に神経がとがつておるから、発言は慎重にお考え願いたい、こう申しただけの話で、議論をしてはいけないとか
八月十七日除隊になりまして、大連に還るとき旅費を支給するということでありましたので、八月十八日部隊へ旅費を貰いに行つたところが、もうすでに武装を解除されてどつかへ行つてしまつた。いつまで続いたということは分りません。
その中の九師というのだけで、これだけの日本人残留部隊だと思います。
各部隊から部隊へです。そうして、さつき優待を受けたと言いましたのは、病気になりました入院した際におきましても技術者手当もちやんと頂きまして、すべての点につきまして、やはり一つの組織というものがありまして、それに自分の不満とするところの意見を出せば解決がつく、一つの困難もなかつたというところを私は申上げたのであります。
なぜそう申すかと申すと、これは始終尋ねられることでありまするが、日本は軍備をどうする、これは外国人から、或いは外国の政府と申すか、関係の人から始終尋ねられるのでありますが、(「小学校の先生みたいなことを言うな」と呼ぶ者あり)諸君国におきましては、日本が再び軍備を持つのじやないか、或いは又日本の従来の軍備と申すか、海陸軍の将校その他が地下部隊になつて、そうして在存しているのではないか、或いは又外国に、
一時戰争中陸軍あたりがこの伝貧問題に手を燒きまして、この伝貧にかかつた馬ばかり集めた中隊なり部隊でやつて見ようと、満州あたりでやりましたけれども、やはりああいうような相当の労役に服しますと、やはりどんどんと消耗して行くのであります。殊にそれが健康馬の中に混つておるような場合でありますと、健康馬に対する危險が非常に増大するわけであります。
これは各部隊がそれぞれ処理いたしまして、処理のできないものがただいま中央にまとまりまして、中央で今代金徴收を要するものがこの件数でございます。
○大須賀説明員 ただいま御質問がございますようでございますが、この陸軍、海軍におきまするところの終戰処理につきましては、部隊が日本各地に散在しておりましたので、あるいは部隊長のところで処置におきまして遺憾な点があつたか知りませんが、その点につきましては、今日におきましてなおわれわれといたしましては、地元の府県と連結いたしまして、極力究明いたしておる次第でございます。
今日まで講和條約会議が遅れたという一つの原因は、日本が再び武裝をするのではないか、地下部隊があるのではないかというような疑惑或いは恐怖が相当この講和條約の促進を妨げておるものと私は承知をいたしておるのでありますが、日本としては、無論戰争放棄に徹し、又武裝を解除し、非武裝国として立つ。これが日本の将來の安全が、これによつて国際の信用を加える。
○政府委員(剱木亨弘君) 只今御指摘になりました東京学芸大学の追分分校主事西岡氏の問題でございますが、今お話がございましたように、「令女界」でございましたか、それに白百合部隊のことが載りまして、それを契機としまして大分この問題が取上げられて参つたのであります。
沖縄戰酣の頃に、いわゆる白百合部隊と称して、この師範学校の女子部の生徒並びに第一高等女学校の生徒の篤志看護婦というのか何か、義務的ではなかつたかも知れませんけれども看護婦の部隊、いわゆる白百合部隊と称せられるものを組織して軍に協力したのであります。
内郷は平市から南へ約一里半のところにある町でありますが、ここの自治警察署長のところへ、六月二十七日に平市署に応援を出したのは不当の弾圧であるとして、同日午後八時三十分ごろ、平からの引揚部隊約八十名に、矢郷炭鉱の山元から来た四十名と計百二十名の者が抗議デモに来ました。そうして、矢郷炭鉱の労働争議を断圧したのはけしからぬから謝罪しろという要求を出して、脅迫的言辞を述べ、午後九時十分ごろ引揚げた。
また道でもつて部隊がほとんど半分になつてソ連に行つたのもいるから、何とも甘えないということを、私が国立病院の人を慰問しましたときに言つておりました。
そういうことでございますと、この九万五千さえもが帰れるかどうかということもわからないことになるのでありますが、そこで私どもといたしましては、はたしてどれだけの人間がシベリアにおるかという点について、あるいにシベリア抑留直前における部隊の集結の人数、あるいはナホトカ集結時の人数、その他各收容所における人数等を復員業務の一班として、引揚者から調査され、また向うからの便り等を参考にして、どれだけの人間が現在
と申し出があつた、日鋼工場は一部東警察署の管轄区域にあるので、私服をまじえて三名派遣した、すると午前十時三十分ごろ再び船越警察署長より「呉軍政部将校から、不法に爭議に干與はせぬが、工場は爭議團によつて占拠されている、英濠軍作戰部隊を出動せしむるから、同部隊の應援のために警察官二十五名ずつ三隊、うち一隊は待機せしめ、一隊はただちに出動するようとの電話があつた。
これをそれではその学校はどんなふうにしてその不足を補つておるかと申しますと、東部三十八部隊の兵舎跡を千十坪使いましてここに三十八の教室を造つてその不足を補つておる。この状態はたまたまその生徒の利用率を考えますと七六%に及んでおる。その学校での現在の校舎の子供の受けておる利用率は、一人について〇・二八坪しかないとうい状態であります。
それから生徒が現在二千二百六十人おりまして、それを現実には六百二十四坪では絶対に收容できませんから、とりあえず東部三七部隊の兵舎等を廣い建物を借りて、そこで現在七六%といつた程度の教室授業で不完全な授業をやつております。その学校がとりあえず現在その子供たちに校舎を提供しておる様子は一人について〇・二八坪といつた状況であります。