1984-08-06 第101回国会 参議院 内閣委員会 第22号
まさしくトンネルの中の新幹線が二百キロで走るような形の教育形態の中で子供たちはその汽車にしがみついているというような状況を見できますと、やはり私はこの臨教審の中に一朝一夕に統合というのは当然無理でありますから、やはり部分的な統合という模索をぜひ、総理の直轄するこの臨教審なら私はできるであろう、総理の英断を私は期待したい、こういうぐあいに思うんですけれども、その辺の部分的統合あるいは統合教育を目指す今後
まさしくトンネルの中の新幹線が二百キロで走るような形の教育形態の中で子供たちはその汽車にしがみついているというような状況を見できますと、やはり私はこの臨教審の中に一朝一夕に統合というのは当然無理でありますから、やはり部分的な統合という模索をぜひ、総理の直轄するこの臨教審なら私はできるであろう、総理の英断を私は期待したい、こういうぐあいに思うんですけれども、その辺の部分的統合あるいは統合教育を目指す今後
そういう意味では、一遍にすぐ統合ではなくて部分的統合、あるいは盲、聾、こういう教育と肢体不自由児、体の不自由な子供との教育のまたありようというものを、全体をひっくるめて考えるのじゃない柔軟な姿勢がこれからは大切だというふうにも思うわけですけれども、文部省が出した「交流教育の実際」という冊子が、先ほども見せましたけれども、あったんですけれども、「交流教育の意義」というタイトルで書かれた文がありまして、
そういう意味で、ぜひ部分的統合教育、統合教育という方向も、いきなり否定の立場で文部省が考えるのじゃなくて、やっぱりその向こうには、健康な子供と障害を持った子供も同じ子供なんですという視点に立ってもらいたいと思うんです。 いろいろ文部省の特殊教育学校のしおりなんかを見ますと、養護学校には普通学級よりも十倍のお金がかかっているというようなことが書いてあるんです、十倍金がかかっていますと。
この余裕をうまく統合教育の実現に生かしていくという考え方を持っていただきますと、非常に財政的負担もなくて、私はいい意味での部分的統合から統合教育という実現に向かって歯車が回っていくような考えを持つわけです。そうすれば、二重投資だとかあるいはむだだといった感覚がいかに誤っているか、明確になるはずであります。
それはすでに昨年の国会から出発させられておやりになっておることなので、そのあなたのお進めになっておる年金額は、いつごろおっしゃっているような共済の部分的統合についてその実効を上げられるのか、伺っておきたいと思います。
しかしまた、八つの制度がそれぞれ、ばらばらにやっていくということでは老齢化の波に対処できないということで、部分的統合と申しますか、基礎年金の形でいくか、あるいは財政調整の形でいくか、どちらかで考えていかなければならないという方向は出していただいておるわけでございます。