運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
12件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

2020-05-21 第201回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号

その中で私が一番印象に残っているのは、二〇〇四年のスマトラ沖大地震の後に復興庁長官初代に就任されましたクントロ・マンクスブロトさん、インドネシア人ですけれども、その方に、当時、玄葉光郎内閣特命担当大臣と一緒にお会いして、復興庁をつくるとしたらどんなイメージなのかということを伺ったことがあります。そうしたら、言下にミニ政府をつくればいいんだと言うんですね。

阿久津幸彦

2018-06-14 第196回国会 衆議院 本会議 第37号

塩川鉄也君 私は、日本共産党を代表して、ただいま議題となりました山際大志郎内閣委員長解任決議案賛成の討論を行います。(拍手)  賛成理由の第一は、カジノ法案強行採決を図ろうとしているからであります。  国民多数はカジノ解禁に反対です。それは、ギャンブル依存症多重債務者が増加をし、生活破綻治安悪化が懸念されるからです。

塩川鉄也

2017-03-31 第193回国会 参議院 本会議 第12号

安倍内閣は、限定的な集団的自衛権行使なるものが合憲である唯一の論拠として、七・一閣議決定において、限定的な集団的自衛権行使を許容する憲法九条解釈の基本的な論理がいわゆる昭和四十七年政府見解の中に明確に示されていると明記した上で、同見解が作られた当時から、その作成者である吉國郎内閣法制局長官らの手によってこの基本的な論理が書き込まれていたとの旨を主張しています。  

小西洋之

2016-11-16 第192回国会 参議院 憲法審査会 第2号

つまり、安倍内閣は、解釈変更唯一合憲の根拠として、昭和四十七年政府見解の中に限定的な集団的自衛権行使を容認する憲法九条解釈の基本的な論理が明確に示されていると主張していますが、この見解作成者である吉國郎内閣法制局長官による、作成契機となった僅か三週間前の、憲法九条の下では個別的自衛権しか行使できず、集団的自衛権行使は違憲との国会答弁などからは、どこをどう読んでも安倍内閣の読替えは正当化し得ないのであります

白眞勲

2014-03-13 第186回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

まず、戦力解釈でありますけれども、昭和二十六年の、大橋武夫法務総裁は、憲法九条に申し上げまする戦力というのは、陸海空軍、これに匹敵するような戦争遂行手段としての力を意味するのでございます、下線の部分を中心に申し上げたいと思います、このように解釈をしていたのでありますけれども、その後、実は必要な限度だとか必要相当な限度というような解釈も言われているわけでありますけれども、吉國郎内閣法制局長官は、昭和四十七年

西修

2001-12-03 第153回国会 衆議院 予算委員会 第6号

特に、買い取った資産をどういう形でこれから流動化させていくのかとか、あるいは今RCCの中に企業再生本部が設置をされた、これはかなりアサヒビールの樋口広太郎内閣特別顧問が積極的に言っておられたのを覚えておりますけれども、そういう意味で、いわゆる企業の再建の専門家というのが今のRCCの中にきちっと充実をし、あるいは土地の流動化ということも含めて、これをうまくRCCが機能化させていくことができるような状態

七条明

1980-09-25 第92回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

昭和十二年に林銑郎内閣がやって、十七年に東条内閣がやりまして、戦後一回か二回ぐらいありましたけれども、それは諸改革一つとして取り上げられておるんです。これを本格的に一つの単独の閣議決定にしたというのは今回初めてでございますが、それぐらいわれわれは意気込んで、成果を上げようと思っておることでございまして、そのことも大いに強調いたしました。    

中曽根康弘

1979-03-16 第87回国会 衆議院 本会議 第15号

十年の政治記者生活の後、保利君は、昭和九年、岡田内閣農林大臣であった山崎達之輔氏の秘書官となられたのですが、山崎氏がさらに昭和十二年、林銑郎内閣の農相、昭和十六年、東條内閣農商相となられたのに伴い、三代の内閣の閣僚に仕えて政治の裏表を学ばれたこととなり、保利君がやがて大きく飛躍されるための貴重な礎となったことは明らかであります。  

三宅正一

1971-03-03 第65回国会 参議院 予算委員会 第6号

吉田忠三郎君 有志会のことについて、関連して私は総理大臣にひとつ伺っておきますが、四十四年の十一月の十二日、要望書ということで、東京地区FM放送設立有志会——つまり、鈴木委員がいま質問いたしております有志会代表足立正、同じく植村甲午郎、内閣総理大臣佐藤榮作殿ということで要望書を出している。これ、ごらんになっているかどうか。

吉田忠三郎

1965-05-12 第48回国会 衆議院 内閣委員会大蔵委員会農林水産委員会連合審査会 第1号

昭和三十七年五月二十二日      農地買収者問題調査会会長              工 藤 昭 四 郎  内閣総理大臣 池田 勇人殿  本調査会は、昭和三十五年十二月二十二日第一回会議を開き、その際内閣総理大臣の諮問を受けてから、昭和三十七年五月二十二日に至るまで十三回にわたり審議を重ねた。本調査会は、先ず始めに、農地改革により農地を買収された者に関する社会的な問題の本質の究明を行った。

八塚陽介

1948-11-15 第3回国会 衆議院 本会議 第12号

拍手)  吉田総理は、ややもすれば、あたかも平清盛のごとく、衣の陰から解散刀をちらつかせながら、國会審議権に対してかれこれ言うのでありますけれども、それはあたかも、林銑郎内閣がかつて食い逃げ解散をなしたるがごとく、国家公務員法を議会をして通過せしめたる後におきまして、吉田内閣食い逃げ解散をなさんとする卑怯なる覚悟があると私は思うのであります。

圖司安正

  • 1