2019-11-20 第200回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号
まず、大臣、その場でうなずく、首を振るで構いませんが、大臣、地元の商店街ですか、那珂湊本町通り商店街、幾つか商店街はあるかと思うんですが、ふだんこの商店街でお買物をすることは。
まず、大臣、その場でうなずく、首を振るで構いませんが、大臣、地元の商店街ですか、那珂湊本町通り商店街、幾つか商店街はあるかと思うんですが、ふだんこの商店街でお買物をすることは。
茨城県の那珂湊から、栃木県、群馬県を経由して、長野県の佐久地域を通って、さらに山梨と静岡を結ぶという、太平洋と太平洋を結ぶ、東京首都圏を大きく外側に取り巻く大外環道路になっているわけです。
それから、那珂湊というのは、江戸時代から、北海道からの船がここで中継になっていくという非常に古い町でしたので栄えてはきたんですけれども、これが自動車の影響によってどんどんどんどんお客さんが減っていって、こちらもかつては三百五十万、年間いたお客さんが七十万人ぐらいまで減っちゃうということで、鉄道自体がもう立ち行かなくなってきたという状況にあったと聞いております。
○参考人(吉田千秋君) やっぱり、鉄道というものが、特にこのひたちなか市の場合は、元々、勝田市と那珂湊市という二つの町が合併してひたちなか市になっている、その二つの町同士を結ぶという意味があったんでしょうし、あとはやっぱり、いろいろ説明したけれども、鉄道がなくなったら、バスになった途端にどこでもお客さんが六割以上減ると、つまり町自体がもう流れがなくなっちゃうよということもよく分かっていただいたというところがあったと
いろいろな状況を勘案すると、予算も大してかかりませんから、ひたち海浜公園から友部ぐらいの北関東道を無料化すれば、出入り口がいっぱいふえて、一カ所の水戸インターにすべての車が殺到するということもなくなりますし、何よりも、県内で多くの被害を受けた大洗や那珂湊の皆さん方にとって非常に大きな経済効果があるという意味では、もう一度この区間の見直しをされてはいかがかと私は提案したいと思います。
そういう中で、鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜鉄道の例が出されましたけれども、現在、私ども掌握しておりますのは、鹿島臨海鉄道では新鉾田から大洋の間は七月の中旬ごろに運行を再開する目標であること、また、ひたちなか海浜鉄道については中根から那珂湊は六月二十五日運行再開予定、そして勝田から中根までは七月中旬運行再開予定、さらには那珂湊から平磯間については七月の中旬運行再開予定、さらに平磯から阿字ヶ浦までは七月末運行再開予定
日立市あるいは日立周辺の再生プランの件でございますが、今回の企業立地促進法案では、地域、既存の産業集積がどうなっているかとか、あるいは、日立を中心にこれはすばらしい技術があるというのはもう十分承知しておりますし、日立港を初め那珂湊港、いろいろな産業施設が整っております。そういう中で、我々、できるだけ支援していきたいというふうに考えております。
そういう意味では、この体制に従って、那珂湊の海上保安部から茨城県の日立港湾事務所に速やかに連絡を行ったというのが現実でございますので、今後も、あってはならないことですけれども、もし一たんある場合には、必ずこのように迅速な対応をしていきたいと思っております。
平成十二年六月でございますが、那珂湊海上保安部におきまして、倉庫の整理を実施しておりましたところ、平成四年から六年にかけて検挙されました十二件の事件の書類が発見をされました。その後、これらを調査しましたところ、この十二件は、検察庁に未送致のまま公訴時効を迎えているということが判明をいたしました。
昨年の暮れでしたか、海上保安庁の那珂湊保安部においての、いわゆる捜査事件等について時効になってしまった案件での処分について、私も理事会でかねがね、氏名も公表せずに単に二十分の一の一月の減俸処分というのはけしからぬと訴えてまいっておりました。その件についてきょうはただしてみたい、そう思っております。
そうであったとしたら、那珂湊で、海上保安庁の司法警察官としての責任、これが一体どのようになされておったか、事案の内容を、簡単で結構ですが説明いただきたいと思います。
平成六年に勝田市と那珂湊市が合併しました。ひたちなか市というのができました。これは千百八十二ヘクタールの広大なひたちなか地区開発、これを目的にした合併だったんです。合併の前から既にこれだけの開発をやるんだと。このときは東海村も含めて二市一町の合併の計画だったんです。というのは、実は開発の計画区域がその二市一町にまたがっていたからなんですよ。
なお、水戸南から東側の区間、東水戸道路十キロについても事業化しておりまして、これは那珂湊港と直接結ばれるところでございますが、既に五キロ供用中でありまして、残る五キロについて、ことしの夏ごろ供用できるのではないかということで、こちらの方はことしの夏には全線がつながるということでございます。 全線について、早期供用を目指して頑張りたいと思っています。
当時の話は、茨城県の那珂湊から福山まで行くという話で、一兆円ということを記憶しています。それがまだ表に出ないというのは、その天然ガスをどこが一体引き取るのかということで、ガス協会は全体の三割しか引き取らない、七割が電力会社だと。電力会社の方がそんなものは必要ない、自分の方はパイプラインよりか基地構想でいくんだと、かようなことからできなかったと思うんです。
茨城県のひたちなか市の場合、旧勝田市では法定定数三十六、旧那珂湊市では三十、合計六十六でありましたが、合併後特例の法定定数三十六となりまして三十議席減となったわけであります。住民を代表する議員の数が半分近く減ると代表制の後退となりかねないという厳しい指摘もあるわけで、ここは十分考慮した対応が求められていると思うわけでありますが、大臣、いかがでありますか。
○政府委員(吉田弘正君) 茨城県の勝田市と那珂湊市の合併により誕生いたしましたひたちなか市の新市建設計画におきまして、「合併の必要性」の一項目といたしまして、「常陸那珂地区開発を踏まえた一体的まちづくりへの対応」を挙げているのでございます。
昨年三月に合併協議会で決定されました茨城県の勝田市と那珂湊市の新市建設計画の中には、「合併の必要性」の中で常陸那珂地区開発計画をどのように位置づけ、「建設の目標」の中で常陸那珂地区開発計画の推進をうたっているわけでありますけれども、この点ほどういうふうに位置づけられているか、端的にお答えください。
それから、現行二区でございますけれども、北から申し上げますと、北茨城市、高萩市、多賀郡を経まして日立市までで一つ、それからその他の久慈郡、那珂郡、常陸太田市、勝田市及び那珂湊市で一つということとされたところでございます。なお、常陸太田市は元久慈郡でございまして、久慈郡と常陸太田市の関係は地域的には非常に密接なところでもございますので、このような区割りとされたところでございます。
お尋ねの北関東自動車道につきましては、高崎市を起点といたしまして、宇都宮、水戸などを経まして那珂湊市に至ります延長約百五十キロメートルの路線でございまして、昭和六十二年に国幹道の予定路線として位置づけられたものでございます。
それから茨城県那珂湊からの北関東自動車道がここを通過することになっているし、さらに首都圏を中心とした首都圏中央連絡道にもこのアクセスがかかっている。こういう鉄道と高速道路による交通アクセスの立地条件が非常にいいところはなかなかないわけでありまして、さらにまた、その土地については取得が容易である。
また、全国レベルの一つの専門家等の研修をする場所といたしまして、これは若干先になりますが、平成三年度の四月ごろから茨城県の那珂湊、勝田の中間に中央研修所を設置する段取りになっております。
そこの付設機関に中央研修所、これは茨城県の勝田市と那珂湊にまたがるところで百ヘクタールほどの土地に研修所を現在設置しております。ここの研修所は来年の春にオープンされる予定でございますが、常時氷上の運転技能訓練とでも申すべきスキッドパンを用いた運転研修所を設けます。
○三谷政府委員 北関東自動車道でございますが、これは高崎を起点といたしまして那珂湊に至る延長約百五十キロの路線でございます、国土開発幹線自動車道でございます。群馬、栃木、茨城の各県の主要都市並びに常陸那珂港を連絡するとともに、関越道、東北道、さらに常磐道、こういうものを相互に連絡をいたします重要な路線と私ども認識しております。
ただ逆にまた、例えば私の地元ですと東海村でございますが、原子力銀座などという大変にありがたいお名前をちょうだいして、これは我が県の自慢にしているわけでございますけれども、その東海村民にしてみれば、これはもう人ごとではないわけでございまして、現実に東海村に現在四万、隣の日立に二十万、隣の勝田に十万、常陸太田、那珂湊で七万、那珂町に五万ということになりますと、非常に数多くの人間が日本の場合、原子力発電所
○今泉説明員 例えば北茨城市開発公社あるいは那珂湊市開発公社、大子町開発公社、こういったような名前を私どもは伺っております。