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11597件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-02-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第13号

名前を挙げられて、先に帰れるであろうというようなことを聞いたため、この中に岸さんとかいう人も来ておりますが、一緒になつて似非民主運動をやつたのでありますが、本質本質であるだけに、直ぐパージ……逮捕されましたが、私は相当の非難を受けて追放されております、併しそのカラカンダの九分所に行つたときに集会を持つて、そうして私は腹を切つた、喧嘩をしたからそこに残されたのではなくて、要するに大連におけるところの避難民救済団体中心会

久保田善藏

1950-02-14 第7回国会 衆議院 建設委員会 第8号

私はこの両方とも視察して参りましたが、あれさえよくできますれば、実は建設省に直接関係ないかもしれませんが、あそこの潟に入つて来て避難港として非常に優位な地位にあります。同時にあの突堤を出しますことは、非常に大きな問題でありますので、これは直接建設省の責任でありますから、この点を特にこの予算をお考なさる場合には、せつかくつくり上げました新しい耕地のまわりのこういう堤防だけでは用をなさない。

笹森順造

1950-02-13 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第11号

北條秀一君 これは他の委員の皆さんにも判断して頂きたいと思うのでありますが、終戰の前後らか少くとも公使館の館員としてはもとより、その他におきましても猛烈なインフレでありまして、日本人社会というものが如何に窮乏しつつあつたか、従つて終戰後のあの混乱に応じて上流から段々と平くの避難民が出て来たので、その窮乏が日を追うて激しくなつたということは容易に想像できるところであります。

北條秀一

1950-02-08 第7回国会 参議院 通商産業委員会 第7号

百年間一度も切れなかつたこの堤防昭和十七年の大風の時に一度それが切れたのでありますが、その時の様子は数字的に申上げられませんが、やはり一キロ離れました鉄道線路に及んでおりますので、西の方にあります町並は殆んど全部溝かつておるし、市役所も水浸しになり、その楼上には百余名の避難者を収容いたしております。或る農家の語るところによりますれば、馬の腹まで海水に漬かつたと言つております。

寺田佐平

1950-02-08 第7回国会 衆議院 運輸委員会 第2号

六号)  富山港開港指定並びに港域変更に関する陳情書  (第一〇九号)  浜大津を綜合駅に指定陳情書(第一一一号)  北陸線増設工事継続陳情書(第二四号)  運輸省車両予算増額等に関する陳情書(第一二二号)  国内航空路開設に関する陳情書  (第一三〇号)  観光自動車事業育成に関する陳情書(第一三六号)  船舶運営会退職金現金化に関する陳情書(第一四〇号) 昭和二十五年二月六日  遠洋漁区避難増強対策

会議録情報

1950-02-03 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第9号

で、退避するときには同勢は約一千名であつたと思いまするが、ところが十日、十一日と避難をして来る途中で、馬の優劣などによりまして約半分が相当遅れたと言います。それで四百何名かの先の部隊が麻山の山と山との間へ退避した。ところが反乱軍機関銃も射ち出すし、或いは戰車の砲撃も受ける。こういう状態で、どうしてもこれは逃げることはできないのじやないか。

藪崎順太郎

1950-02-01 第7回国会 参議院 水産委員会 第4号

そのうちに相手の艦船より発砲しまして、これは危險を感ずると思いましたから、僚船十八喜久丸に大声を以て避難するよう連絡しました。それと共に我が十七喜久丸も明りを消して、無灯にてウエストの方に航走しました。韓国船はその跡を発砲しつつ我々を追及いたしました。約十五分後に韓国海軍は、我々の左舷へ横付けしまして、三名の武装したる下士官が乗移つて来ました。

門崎進

1950-02-01 第7回国会 衆議院 水産委員会 第10号

河野政府委員 それはその災害の規模、程度等によることでありまして、私の申し上げましたような、普通の重要港湾ではそれははつきりいたしますが、地方港湾と銘を打つたもの、それから避難港というようなものは、これはほんとうの公共的施設であります。漁港については特殊ないろいろな施設がございまして、收益的施設か非常に強い面が多かろう。

河野一之

1950-01-31 第7回国会 参議院 文部委員会 第1号

日本でもこういう建築というものが少くなつてしもうのじやないかということが考えられるし、これは中野重治さんも言われましたけれども、沖縄の人々が、一時避難民が入つておりまして、中でやはり火災を起しかけたような場所も発見します。未だにその附近に沖縄避難民のような、難民と言いますか、そういうような引揚者みたいな人が住つておられた。住むに家なくおられるのでありますが、非常に火災等危險だと思うのであります。

三島通陽

1949-12-01 第6回国会 参議院 本会議 第23号

船揚修築国庫補助等に関する請願委員長報告)  第二二九 瀬崎漁港施設災害復旧に関する請願委員長報告)  第二三〇 小濱港船揚場施設工事促進に関する請願委員長報告)  第二三一 岩手県崎浜防波堤延長および物揚場築設に関する請願委員長報告)  第二三二 吉里吉里漁港修築工事継続に関する請願委員長報告)  第二三三 太田名部港船だまり工事継続に関する請願委員長報告)  第二三四 野田港に漁港および避難

会議録情報

1949-12-01 第6回国会 衆議院 運輸委員会 第16号

本港は北海道と東北地方とを結ぶ機帆船航路の難所に位し、避難港として重要であり、その防波堤の築設の必要性は十分認められるところでございますが、国庫財政の緊迫によりまして、新規事業はきわめて困難であり、なお防波堤についても研究すべき事項がございますので、今後十分調査の上、事業化したいと考えております。

中道峰夫

1949-11-29 第6回国会 衆議院 水産委員会 第17号

   君紹介)(第一一二五号)  六〇 越喜来村崎浜防波堤延長並びに物揚場     築設の請願鈴木善幸紹介)(第一一     五三号)  六一 根白漁港修築促進請願鈴木善幸君紹     介)(第一一五七号)  六二 小浜港に船揚場施設工事促進請願(鈴     木善幸紹介)(第一一五八号)  六三 磯鶏漁港修築請願鈴木善幸紹介)     (第一一五九号)  六四 野田港に漁港並びに避難

会議録情報

1949-11-29 第6回国会 衆議院 外務委員会 第6号

終戰当時北鮮におりました同胞は、満洲からの避難民を加えまして約三十三万人といわれておりますが、そのうち約一割が昭和二十一年春ごろまでに死亡したと伝えられておりまして、それから八割七分は脱出いたしまして、昭和二十一年十二月にアメリカとソ連との間にとりかわされた日本人送還協定北朝鮮に実施されたときに残つておりました同胞は、技術者及びその家族を主として約八千人だといわれております。

船田享二

1949-11-29 第6回国会 参議院 運輸委員会 第11号

請願第五号、小名浜海上保安署保安部昇格請願、この請願の要旨は小名浜港は東京、塩釜間の唯一の避難港であり、商港、漁港として、又海難救助基地として重要性を有するために現機構を拡充して保安部昇格せられたいということであります。政府当局説明によりますと、本港海上保安業務地位が頗る重要であることは認めているが、速急な昇格は困難である。

小泉秀吉

1949-11-29 第6回国会 参議院 予算委員会 第9号

一時になかなか手が着けられないのでありますけれども、保健衛生、それから教育の面を担当いたしております現在の日本官公立大学病院でございますが、公共事業の面から見まして誠に大切であると思うのでありますが、あの大学病院の中へ一歩足を踏み入れますと、御承知のようにもう病気という災害にかかつて……一時避難したような病室の状況でございます。

井上なつゑ

1949-11-28 第6回国会 参議院 本会議 第20号

グループの徹底的調査に関する請願委員長報告)  第一六 在外資産補償促進に関する請願(二件)(委員長報告)  第一七 住宅金融公庫設立および個人融資引揚者わく設定請願(二件)(委員長報告)  第一八 引揚者団体等公益質屋設営許可等請願委員長報告)  第一九 北朝鮮残留同胞の引揚促進に関する請願委員長報告)  第二〇 福岡県沖の島に漁港築造陳情委員長報告)  第二一 愛媛県高山村に避難港設置

会議録情報

1949-11-28 第6回国会 衆議院 水産委員会 第16号

吉里吉里港修築工事継続請願鈴木善幸    君紹介)(第一一五二号) 六〇 喜来村崎濱防波提並びに物揚場築設の請    願(鈴木善幸紹介)(第一一五三号) 六一 根白漁港修築促進請願鈴木善幸紹介)    (第一一五九号) 六二 小濱港船揚場施設工事促進請願鈴木    善幸紹介)(第一一五八号) 六三 磯鷄漁業修築請願鈴木善幸紹介)(    第一一五九号) 六四 野田港に漁港並びに避難

会議録情報

1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

そこへ農家の馬橇というものがこれ又沢山に、或いは屎尿の汲取であるとか塵芥の投棄であるとか或いはいろいろな物資の調達のためにやつて来るというようなわけで、この線が一番実は繁華な場所柄になつておるので、従つてこの場合道路火防の上から行きましても又将来この道路を緊急の避難所とするということを考えましても、この際四十五米に拡張するという必要はもう大多数の者が認めておるわけであります。

福島利雄

1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

たまたま戰争末期におきまして都市の防空疎開という問題から、一朝有事の際には避難道路としても扱い、又交通幹線としては非常な重大な意味を持つこの南四條線を拡幅することによりまして、これらの目的を達することができるというような見地から、この南四條線を四十五メートル程度に疎開したわけであります。

清水武夫

1949-11-28 第6回国会 参議院 建設委員会 第5号

○証人(清水武夫君) 大体防災関係につきましては本省でも非常に研究しておられるようでありまして、特に防災交通の問題もここに繋がつておりますために、人口何万以上というような土地に対しましては、最大の避難道路といいますか、こういう道路は何メートル以上というような大体標準を持つておられるようであります。

清水武夫