2020-02-26 第201回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第3号
成因は有機成因説というのが主流でございまして、そのもとになった根源物質は、地質時代の生物遺骸、プランクトンとか、植物プランクトンとかあと陸上の高等植物とか、そういったものの体をつくっている有機物であるというふうに考えられております。 生物遺骸が海底等の地層の中に濃集して保存される場合がございまして、そうした地層を根源岩というふうに申します。
成因は有機成因説というのが主流でございまして、そのもとになった根源物質は、地質時代の生物遺骸、プランクトンとか、植物プランクトンとかあと陸上の高等植物とか、そういったものの体をつくっている有機物であるというふうに考えられております。 生物遺骸が海底等の地層の中に濃集して保存される場合がございまして、そうした地層を根源岩というふうに申します。
しかし、結局は安楽死処分というのがなかなかされておらず、放置され、そして餓死し、遺骸も放置されるという痛ましい事態になったわけです。生存する家畜も餓死を待つ状態であったということで、昨年八月二十六日、我が党は急遽、日本獣医師会とともに農水省に伺いまして、提言を申し入れいたしました。
このような炭素を含有成分とする植物の遺骸が長年にわたって地殻の中に封じ込められて、千万年、億年単位で変質したものが石油、石炭、天然ガスでございまして、これを人類はこの百年、二百年でもってエネルギーとしてぼうぼうと燃やして炭酸ガスを大気中にもとに戻して、要するに、太古の時代に今急速に戻りつつあるわけでございます。
○政府参考人(齋木昭隆君) めぐみさんのものとされる遺骨のその所在、扱いにつきましては、その夫と言われている人物、キム・チョルジュンさんとの面談をやる中で、そのキム・チョルジュンさんの方から、どういう経緯で元々土葬で埋葬してあったその御遺骸を自分の手でそれを運び出して、今こういう形で保存しているという、そういう辺の説明は確かにございましたけれども、どういう手法でどういうふうに扱ったかということについての
この結果、沈降した多量の生物遺骸などが分解して、底層が貧酸素化するわけです。 その状況は、図七の溶存酸素の分布を見てください。そうすると、潮受け堤防の前面がどれだけ貧酸素になっているかが分かると思います。生物が生存するには三以下ぐらい必要だと思うわけですが、その範囲は諫早湾を越えて有明海の方の中央部まで広がっておると、こういうことを見てください。
地殻の一番外側にあって、風雨にさらされて、動植物の遺骸が倒れ込んでできた特殊な地層であると。動植物が根の張る範囲であります。ですから、そこの田んぼの土が正に土壌です。これが汚染されたから土壌汚染なんです。ですから、僕は土壌汚染という言葉は行政用語だというふうに理解をしております。 学問的にも土壌学というのがございまして、土壌学をやっておられる方は一番頭しかやっていません。
○岩佐恵美君 自然保護協会の分析によりますと、潮受け堤防の外の底泥、底の泥に含まれている珪藻の遺骸は淡水性のものではなくて、海水性のものがほとんどだといいます。このことについて自然保護協会は、湾内の流速が低下したために湾外から運ばれたものが湾内に堆積している可能性があると指摘をしています。
そこで遺骸に泣きすがる人もいるでしょうし、泣き叫ぶ人もいるでしょうし、もしかしたら生き返るんじゃないかといって揺さぶる人もいるでしょう。そういった営みが人間である。そういうものを全くカットしていくということが、いかに人のために役に立つからといって果たして許されるんだろうか。
これは日本人の死生観とか遺骸観ということになると先生の方がむしろはるかに御専門なわけですけれども、あえて私から若干そこを申し上げますと、やっぱり日本人は亡くなられた方、あるいはその遺骸については尊崇の念を抱いているように私は思います。そしてそういう意味では、そういうものを余り傷つけるようなことをすべきではないというのがまた日本人一般の心情でもあろうかと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 先ほど申し上げましたように、陵墓の土地とかあるいは建物、工作物、こういったものは皇室の用に供する国有財産であるわけでございますが、そこに埋葬されております御遺骸とかあるいは副葬品などにつきましては、これは当然皇室のものであると、こういうふうに考えております。
それから、いわゆる御喪儀の関係でございますが、これは二十九もあると申しましたけれども、いわば御遺骸を平素お使いのような場所に御安置申し上げる、そして、その後正式の、いわば私どもの家庭でも、もしそういうことが起こりました場合には、床の間つきの部屋にそれを安置申し上げるというような意味におきまして残宮というところに、これは名前ですが、そういう場所にこれをお移しをする、そうして、その後は十日後あるいは二十日後
(拍手) ただ一つの救いとも申すべきは、先生の御遺骸を前にされた奥様がきっぱりと、「坪川は議員の皆様の温かい御援助のもとに、予算委員長の重責を果たさせていただき、さぞかし政治家として最後の御奉公ができたと喜んでいることと思います。」と語られたことであります。
また終戦愴惶の際に市内外各所に假埋葬されたものも数多く、ことに東・西・北部より南下した同胞たちの集結地点であった哈爾濱には夥しい遺骸が数えられたのであります。 想うに墓参のための訪問旅行は、國家間交渉の錯雑の中にあっては簡單に実現するものでないことは夙に承知いたしておりますが、凡ゆる懸案を超越して人道上の問題として最優先に解決さる可きことかと思われます。
○富田(朝)政府委員 陵墓につきましては、天皇、皇族の御遺骸を安置いたしまして、これを私どもが普通言ういわゆる生きたお墓として静安にお眠りをいただき、また追慕の情をあらわしていろいろお参りをしたり、かどあるときにはお慰めする意味のお祭りをするというような考えで維持をいたしておりますが、また一面、これは非常に自然の保護といいますか、いわゆる自然環境としても一つの意味を持っておると考えられますし、また中
同じようにプランクトンの遺骸がやはりバクテリアによって分解されてそういう窒素が出てまいりまして、それがさらにまたプランクトンに利用されるということであります。考えてみますと、プランクトンのようなものは、瀬戸内海のような浅い海ですと、遺骸ができましてもわりあいに早く沈降してしまいまして、全部分解するわけではありません。それでかなりの部分が底泥には有機物として残っているわけであります。
○政府委員(柳瀬孝吉君) 私も八月の七日、広島に原爆が落ちた翌日広島に行ったのでございますが、やはりおっしゃられるように、たくさんの遺骸を山に積みまして石油やなんかをかけて遺体の処理をしておりましたんですが、名前もよくわからない、確認のできないというような死体がたくさんございまして、死体の処理、埋葬した場所なんかにつきましても、当時と現在、——なかなか場所の確認等が非常にあの当時の状況からいきますと
科学する心で現在の陵墓を発掘してはどうか、また公開してはどうかという御意見でありますが、何にいたしましても、御存じのとおり参考地、陪塚はともかくといたしまして、陵墓と申し上げれば、歴代の天皇、皇后様、皇族のお墓でありまして、皇室にとっては先祖の墓でありまして、そこに御遺骸を静安してお祭りをし、国民尊崇の対象として現在まで宮内庁で予算を使って維持管理しているわけでございまして、文化財に指定されたものは
○並木説明員 それは一般の方も同じでありますが、陛下の祖先の墓であるという考え方のもとに、先祖の御遺骸がそこに安置してあるという考え方からして、発掘することは——しかもお祭りはきちんとやっておりますし、式年祭もやっておりますし、それは皇室の先祖のお墓である、一般民墓も同じでございますけれども、そういうことで尊崇の対象として現在きているわけでありまして、それを発掘するということは精神的にもできないということを
○和田(耕)委員 先ほどアメリカ局長にお話を申し上げておったのですけれども、沖繩の基地とベトナム戦争というのは非常に密接な関係を持っておると思うのですけれども、私は三年ほど前に沖繩へ参りましたときに、沖繩の那覇軍港にはベトナムの戦死者の遺骸を氷詰めにしたものが何百もあったことを記憶しておるのです。
要するに、御遺骸を納め、御冥福を祈り、そうして後世の人が御祖先を祭るという精神のものでございまして、非常に精神的な意味が強いものであると私は思います。したがって、普通の史跡やなにかのように、公開し、調査し、発掘しという考えはとうてい考えられません。
そこで、たしか昭和四十二年にこの席で佐藤さんに私は要望したわけでありますが、大陸とか南海の島々に朽ち果てておる遺骸あるいは遺骨、百万以上あるわけでありますが、これはやはり徹底的にあらゆる手を尽くしてそしてこれを調査して弔ってあげる、これはぜひやらなきゃならぬ問題だというので、その当時要望しておいたわけでございますが、その後もこの事業は続いておるわけでありますが、こういうことから考えましても、やはりもう