1990-05-31 第118回国会 衆議院 社会労働委員会 第8号
ところがその中で、御遺族の中には、届けられた遺骨箱を揺すってみて音がしない、あけてみたら紙切れ一枚の位牌が入っていた、リンゴが入っていたというのも調べの中にあったようです。しかし、そのリンゴを、もしかしたら肉親のよすがか縁があるものかもしれないというので、あえて火葬してお墓に納めた、そういう御遺族もあったそうです。
ところがその中で、御遺族の中には、届けられた遺骨箱を揺すってみて音がしない、あけてみたら紙切れ一枚の位牌が入っていた、リンゴが入っていたというのも調べの中にあったようです。しかし、そのリンゴを、もしかしたら肉親のよすがか縁があるものかもしれないというので、あえて火葬してお墓に納めた、そういう御遺族もあったそうです。
それで、あの戦争をやっておっても、ラバウルで亡くなった人たちについてはみんなだびに付して、それを遺骨箱に入れて、そうして日本の国の家族のところへ送り届けるようにしておった。もちろん、戦争が激しくなって全然内地と輸送がきかなくなってからは、もうそれはどうにもなりませんから遺骨にしたまま戦争が終わるまで持っていたわけだけれども。
それから、第三点目の釜墓地の点でございますが、この点は、私どもは受け取りましてから、一体一体、個々に火葬に付しまして、個々に遺骨箱に納めたわけでございますが、そのときにどうしても拾えない残灰と申しますか、最後に残る灰のような部分、それを全部まとめまして、佐世保の近くにございます景勝の地に葬りまして、そこに供養塔を建ててお祭りした、その点がちょっと誤解を生んだのではないかというふうに私ども考えております
私の義弟の遺骨箱の中には何も入っていませんよ。あなたが国会の席上において、私の質問をかわすために十万の遺骨を持ち帰ったというようなことを言われるのならば、私はもう多くを言いません、この遺骨の問題一つを解決してくださいよ。
そこには確かに遺骨箱が飾ってあるのであります。
都下の町田地区の一警察問題に端を発しまして、石川という男が自分の家の縁の下に一ぱい遺骨箱を並べておりまして、これがいろいろ調べて行きますと、第一復員局から沖繩出身軍人軍属の遺家族に渡すべき遺骨六百余体、それから千葉の第二復員局留守業務部——これを沖繩班と称しておりますが——でも同様に五百余体、遺骨引取の給与金を二百余万円詐取している疑いがあるということが紙上に取上げられております。
そうして遺骨箱を作りましてそうして部隊長の部屋なり或いは英霊の部屋というものを設けまして、これを飾つておりました。その中には遺品があれば遺品と、それから各収容所の軍医の死亡診断書というものを入れまして、雪中に御覧にかりましたようにやはり白い布で包みまして置きました。で私が各收容所を訪れますと必ず部隊長の部屋、又は部隊長の隣りの部屋に遺骨が何十と並んでおつたのであります。