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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1956-03-15 第24回国会 参議院 予算委員会 第16号

現在おそらく厚生大臣のところへもわれわれと同様に、第八回全国戦歿者遺族大会決議事項を実現するように善処してもらいたい、こういう陳情が毎日のごとく来ておると思うのですが、あの遺族大会決議の内容というものについては厚生大臣承知だと思いますが、どういう厚生大臣としては返答をされるのか、この席で一つ考えのほどを聞かしてもらいたい。

小林政夫

1955-04-30 第22回国会 衆議院 本会議 第15号

もちろん、国家財政の制約からいたしまして、当初予期したような施策をいたし得なかったのでありますが、私は、ただいま御指摘の靖国神社遺族大会でも、もし国家財政上十分の措置ができなかった場合においでも文官との不均衡是正は漸次これを実行する、その際の考え方としては下に厚く上に薄いようにすることが今日最も望ましいものであることを強調いたしまして、最低限、遺族のうち下士官、兵の公務扶助料の引き上げを言明したのでありまして

川崎秀二

1955-03-29 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第4号

私がちょうど靖国神社遺族大会に行った留守のことでありますが、これは昨日も大蔵大臣に直接話をいたしましたし、先ほど来ました主計官の上役にも話をいたしまして、大蔵省としては、今日いろいろ異論はあるように聞いてはおりますが、これは党の政調会十分連絡をとりまして、御趣旨に沿うようにいたしたいと思います。

川崎秀二

1954-04-22 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第40号

柳田委員 私は、国会議員退席を要求される――いやしくも国民の代表であり、しかもその府県におけるところの遺族大会において、当然国会においてわれわれが審議するような要求事項決議事項が掲げられておるようなこういう大会で、国会議員退席を要求されるそのこと自体に大きな問題があると思います。しかしきよう私の問わんとするのは、先ほど申しましたように、この遺家族援護に対しては超党派的にやつて来た。

柳田秀一

1954-04-22 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第40号

○中川(源)委員 京都遺族大会のことについての御発言で、私最初から承つておりませんので何でございますけれども、一言誤解のないように申し上げておく必要があると思います。  実は先般の四月十四日、五日は毎年慰霊大祭を行うということになつておりまして、私は京都府の遺族会長でございますから、私の責任において大会を開いた。大会の前に慰霊祭を行つた慰霊祭大会も私の方からお招きをしておるわけです。

中川源一郎

1954-04-22 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第40号

柳田委員 最近京都におきまして国会議員遺族大会出席をいたしましたところ、退席を命ぜられたという非常なる不祥事件が発生いたしましたにつきましては、われわれ遺家族援護の問題に対して、従来より超党派的に、真に戦争による犠牲者に対して、われわれとしてできるだけのことをして来た厚生委員会として、かくのごとき事態の発生をまことに遺憾といたしますので、大臣から所感を伺い、あわせて各党の各位からも御意見が伺えるならば

柳田秀一

1953-07-21 第16回国会 衆議院 厚生委員会 第22号

十、遺族表彰及び遺族大会の実施。遺族の福祉に関する重要事項を協議するために、年一回二日間の全国大会を実施する。なお特別の功労のあつだ者に対して記念品を贈呈し表彰を行う。  十一、その他バッジの発行、暦の委託販売等を実施する。  大体こういうことでありまして、そのあとの方に財団法人日本遺族会組織構成概要がつけてございます。

安田巖

1952-11-11 第15回国会 衆議院 厚生委員会 第2号

先般も遺族大会があり、また各県から遺族方々がお越しになつて、その衷情を承つて、まことに御同情にたえないのであります。政府はこの際できる限りの力を盡したいということで、今一番問題になつておりますのは、御承知でありましようけれども、せつかく年金をもらつても、弔慰金を出してもらつても、手続が遅れておりまするために、遺族方々の手に入らない。

山縣勝見

1952-03-24 第13回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

と申しますのは、今年の春、遺族大会で、一応政府の案と称するものが察知されましたときにも、これは暫定的な措置としてということを強く要求しておられることは、大臣御存じ通りでありまして、これが暫定的ではなく、数年にわたるのではなかろうかというふうな懸念を遺族が持つということの方が、かえつて遺族の心情に対しては、むしろ弓を引くようなかつこうとなろうということは、実際問題として大臣もお考えおきを願いたい。

岡良一

1952-03-24 第13回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

○岡(良)委員 とにかく遺児の教育というのは、遺族大会へ出かけても、非常に涙ぐましい訴えをしておることは、われわれもいつも胸を打たれておるのであります。残された母親におきましても、唯一の生活の希望でもあり、従つて子供も、進学の能力を持つ子供をして、できるだけ自由に進学させるということは、遺族援護の中でも、きわめて大きな意義を持つておるのであります。

岡良一

1952-02-12 第13回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

次に第二回遺族大会におきまして、その決議によりますと、お願いによりますと、一柱について四千円の基本年金をいただきたい。その上に老幼、職業の無能力者に対しては、おのおの一千円づつの増加年金を御配慮願いたいと申したのでありますが、今回の政府の御案によりますると、父母の遺族に対しては年金はなし。両親には十万円、片親の場合には五万円の公債を公付する。

吉信英二

1952-02-04 第13回国会 衆議院 予算委員会 第8号

早川委員 あなたはこの前の遺族大会で、もうしばらくお待ちください……。最敬礼をして、遺族諸君に、まことにお気の毒だが、もうしばらくお待ちくださいと言われた。私はその意味ポツダム勅令失効後は、ただいま遺家族が非常に不満を持つておるこの案を改めて、納得する年金なり、遺族扶助料なり、あるいは家族加給をやられるという意味だと思つておるのですが、その点はどうですか。

早川崇

1952-01-31 第13回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

大臣はみずから去る二十日の遺族大会にも御出席になつており、また自由党の幹部の議員諸公も大勢出ておいでになつて遺族の前では政府の案と議会とはまた別個なんだから、議会では十分に遺族の意思を反映して闘うということを与党みずからの多くの人が言つておられるのであります。

苅田アサノ

1952-01-29 第13回国会 参議院 本会議 第9号

私は先般の全国遺族大会に列席いたしまして、親しくその声を聞いたのでありまするが、遺族のかたがたが切々として口々に訴えられまするその要請は、政府に対し国としての補償を行えという点に要約されるのであります。元来、本問題は、昭和二十一年二月占領軍の覚書に基いて遺族に対する扶助料の全部を停止し、傷痍恩給に大幅の制限を加えましたる勅令第六十八号公布以来の極めて古い問題であります。

紅露みつ

1951-11-28 第12回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

○小西(英)委員 今の政務次官のお話から行くと、われわれ非常に喜んでおつた新聞紙上の報道とまつたくかけ離れておりまして、この間の遺族大会にも、さような一部の人の報告で遺族の者が感きわまつて非常に喜んでおつた自分子供自分の兄弟が、南の島に、あるいは北の島にそのままさらされている。

小西英雄

1951-02-26 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号

なおこの間二十三日に開かれました同胞引揚委員会には、私全国遺族大会を神田の共立講堂で開きましてその主催しておつた関係出席することができませんでしたが、現在遺族の叫びというものは相当深刻なものがございまして、何とかこれを早く国会で取上げたいという考えはもうお互いに強く抱いておると思うのであります。

長島銀藏

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