1985-08-16 第102回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第3号
羽田から遭難地点付近までの状況を申し上げますと、羽田から伊豆の大島の間では、七千メーターぐらいの高度でございますが、弱い積雲、夏によく出る積雲でございますが、積雲が点在しておりました。一部に中層雲あるいは上層雲がございました。しかし、風は南寄りの風でございまして、毎秒五メーター前後の弱い風でございました。
羽田から遭難地点付近までの状況を申し上げますと、羽田から伊豆の大島の間では、七千メーターぐらいの高度でございますが、弱い積雲、夏によく出る積雲でございますが、積雲が点在しておりました。一部に中層雲あるいは上層雲がございました。しかし、風は南寄りの風でございまして、毎秒五メーター前後の弱い風でございました。
○野村政府委員 私のほうは、延べ船艇にしまして、海上保安庁の船艇で十九隻、それから海上保安庁の航空機で四機を動員いたしまして、その遭難地点と目される付近の海面を中心に海空で立体的な捜索を開始して、そして今日に及んでおるわけでございます。
こういう漁業はもちろん続けてまいりますし、現在私のほうで考えておりますのはジュリアナ号の遭難地点より南約十キロあたりから粟島を結んだ線より以東の部分を調査いたすことを検討いたしております。それより沖合いにつきましてはまず影響がないと考えておりますので、漁業も底びきにつきましては続けて、魚族についても影響がないのではないかというふうに考えられます。
○河毛政府委員 このときは、先ほども申し上げましたように、本船の遭難地点が二百五十マイルの洋上にあった。したがって、二百五十マイルの洋上にあった地点に対しましてビーチクラフトを、当時の気象、海象条件のもとに十分な捜索時間を持って効果的に飛ばし得るかどうかという検討をいたしました。結果論といたしましては、現地へ着きまして約四十五分現地海面を捜索いたしております。
ぼりばあ丸の遭難地点、これが横浜の地方海難審判庁の管轄に入るものですから、ただいま横浜地方海難審判庁の理事所において、その原因究明のための取り調べをやっております。これは、まず最初に一月の七日から始めまして、いま私のところに参っておるのは、三月の六日までの取り調べの状況が参っております。
○早川政府委員 このぼりばあ丸遭難地点の管轄は、横浜地方海難審判庁の管轄になりますので、横浜地方海難審判理事所においていま取り調べを行なっております。——ことしの一月の七日から取り調べの活動をやっておりまして、いまのところ、三月六日までの取り調べの状況について報告を受けております。
○国務大臣(中曽根康弘君) 私は先般、現地にまいりましたところ、遭難地点に御遺族の皆さんがたすきをかけて立っていらっしゃって、黙々として、われわれが現場を視察しているのをごらんになっておりましたが、別にそう騒ぎ立て強い陳情をされるのでもなく、静かに悲しみを込めて立っておられるのを見まして、非常に胸を打たれました。
○柴田説明員 ただいまのところ、私のほうであのバス遭難地点には観測所がございませんので、現場の雨というわけにはまいりませんが、それから少し南に下りまして、久田見というところの雨、それから一つ山を越えまして向こうになりますが美並というところ、それからずっと北のほうになりますが、萩原と申しますところ、それから加子母、そこの四カ所の毎時間雨量が手元にございますが、これはどこが現地の状況を一番よくあらわすかということになりますけれども
まず、松山航空保安事務所において航空局技術部長から事故の状況を聴取いたしました後、第六管区海上保安本部長から捜索救難状況の説明を受けましたが、全日空機遭難地点である伊予灘海域は、水深はおおむね二十メートル前後で透明度は相当良好でありますが、最高九キロに及ぶ複雑な潮流があるため、広い範囲にわたり遺体が流散する可能性もあると思われ、捜索はなかなか容易なものではないものと懸念されるとのことでありました。
○猪口説明員 私たち過去二年ばかりの間に、本格的な遭難ラジオブイによって端緒をつかんで遭難地点に行った実例は、私の記憶では三件くらいあります。
その後救援本部は、遭難者救援のため種々検討した結果、三月十九日、第一巻卸の深部地区を完全密閉の上、左斜卸地区のガスを排除しつつ、救護隊を遭難地点に送り込む基地前進法という作戦をとり、迂回してコンプレッサー室に近づく作業を行なったところ、これが成功し、十九日午後より、第一基地、第二基地、第三基地の設定が成功し、二十一日午後七時四十分、二十六名全員の遺体収容を見たのであります。
○片岡文重君 一の島灯台を出た所が、五メート元以上の水深を干潮時において維持しているというお話でしたが、最近の状態では、まあ始終風向きや潮流関係によって動いているのですから、いつの時点をとらえておっしゃっているのかわかりませんけれども、またその灯台の中に入ってからの地点等も問題になりますし、どこをとっておられるかわかりませんが、五メートル以上の水深があるということは、もら遭難地点を通り過ぎてからの地点
○島居説明員 捜索の範囲は、こういうふうに刷りましてお手元に配付いたしております通りでございますが、何しろ遭難機の最後の通信が途中で切れたような関係で、航空局におかれましても、どこが一体遭難地点のはっきりしたところかということがなかなか発見に困難をされているような状況で、私の方といたしましては、航空局からいただいたその資料に基きまして、この地方におきます海流の状況、それから時間の経過その他いろいろな
三番目には遭難地点は鳴門海峡と紀伊水道の潮流関係が果してどうなっておるか。その次に私の非常に疑問になって参りました点は、遭難のほんとうの原因は突風による三角波が原因ではなかったのか。その次に、私の疑問になって参りました点は、南海丸の検査は一体定期的に行われておったのかどうか。行われておったとしても、その検査それ自身に今回の遭難と大きな関係があったのではないか。
この機会に、当局としては早急に大英断をもってこの重要なる隧道の開さくに着手すべきであると思うが、さらにこの際、予定線を変更して、遭難地点である宇野、高松間に隧道を開さくする気はあるかどうか、もし当局にその決意ありとすれば、われわれはきん然協力を惜しまないものであります。運輸大臣の御所見を承わりたいのでございます。 第六にお尋ねいたしたいことは、遺族に対する弔慰金のことでございます。
経過はいろいろな資料並びに船員の供述によつて大体のことはわかりましたが、最後に問題となります遭難地点の正確なる位置の決定につきまして、引続き調査をいたして、昨日の正午に大体これで間違いないという最後の断定を出し得るようなことになつたわけであります。
○国務大臣(石井光次郎君) 本船の遭難地点が昨日のお昼頃まではつきりいたさなかつたのでございまして、それは船長と漁撈長の言うところが少し違つておりまして、海図がありませんものですからはつきりいたしませんでしたが、本船のほうから海図等を取寄せまして、精密に海上保安庁で昨日検討いたしました結果、本船が閃光を認めました午前四時十二分頃の位置は、危険海面の東方十九マイルということで、これの票の方法等は、いろいろお
遭難地点の最終決定をみたのは、昨日私のほうで計算ができてきまつたので、その報告を本日午前中に外務省に送り込みましたので、恐らく遭難地点については、今日現在はもうきまつておりまするが、外務大臣はその資料をまだ御覧になつておらなかつたのかと思います。私の想像では、地点はかようにわかりましても、なおその他のいろいろな事情をお調べになることを含めておつしやつたのじやないかと想像いたします。
なおその日の二十一時三十分頃、船主の西川氏の代理飯田氏から遭難地点その他について報告があつたのでありまして、それによりまして第五福龍丸の遭難当時の位置がいわゆる危険区域の外にあるということを認められたのであります。