2016-05-10 第190回国会 参議院 厚生労働委員会 第18号
したがって、昨年を若干、先ほどお話があったように本年は二・〇四%ということで、四月十四日と昨年の四月十六日の集計を比べると、昨年二・二四%でしたから若干下回っておりますけれども、全体として達観してみれば、引き続いてその高い水準と言っていた水準とそう変わらない水準だというふうに思っております。
したがって、昨年を若干、先ほどお話があったように本年は二・〇四%ということで、四月十四日と昨年の四月十六日の集計を比べると、昨年二・二四%でしたから若干下回っておりますけれども、全体として達観してみれば、引き続いてその高い水準と言っていた水準とそう変わらない水準だというふうに思っております。
予定している子供の数の平均を見てみますと、二〇〇二年では二・一三人、二〇一〇年では二・〇七人と、達観してみれば大体横ばいということでございます。 こうした理想と現実の差が生ずる背景には、若者あるいは非正規雇用労働者の経済的不安定さ、あるいは子育ての負担感とか孤立感とか、結婚あるいは子育ての希望を阻害するさまざまな要因が複雑に絡み合っているのではないか。
○小熊分科員 今の若者は欲がなくて逆に偉いなというぐらい、達観している若者が多いというのが、逆に、今までと違う、今の若者の状況だというふうに思います。
したがって、ここの三番目に書いておりますけれども、ある程度、我が国は物を持っていない国ですので、資源につきましては、エネルギー・資源ですね、持っておりませんので、昔も今もこれからも、これはもう国際的な需給で決まるものだというふうに達観しておいて、じゃ日本でどういう安全網を引いておきますかと、この原点に立ち返ったエネルギー・資源政策というか戦略というか、これは民間はもちろん、政府も行政府も立法府もそういう
お怒りはごもっともですというふうに私は言いますと、怒りは海に捨ててきたと、達観とも諦めとも取れる御意見もいただきました。
私は医師ですので、大病を患った結果、人生観が変わり、達観し、すぐれた人格者になった患者さんをたくさん見てきました。安倍総理がかつておっしゃった、命をかけて日本を再生する覚悟が本物であることは、これは私、医者から見ると、すぐわかります。 安倍総理、大病を患った後に復活されたリーダーの一人として、このような見方をどのようにお感じになりますでしょうか。
これが現在、平成二十四年度の予算では、直接税が六九%、間接税が三一%となっておりまして、達観して申し上げますと、直間比率が八対二であったものが七対三に変化をして、間接税のウエートが大きくなっております。 それから、内容について申し上げますと、六十三年度、個人所得課税がウエートとして三二%、それから資産課税が一六%、それから法人課税が三四%、それから消費課税が一八%でございました。
という、やはりどうしようもない仕組みというのもありますので、そこを達観していただきながら、そういうわけで今回は法文の中で「検討」という条項に入っているというふうに私は認識しておりますけれども、本当に、いつまでもこのままでいいのかな、もう結論を出さなければいけないのではないかという思いもありまして、ぜひとも早期の検討をお願いしたいと思っております。
私は達観すれば、日本は人口も減るし、そしてかなりの期間、四十年近く掛けて技術革新やっていけば、それはクリアはできると思うんです。世界に対する責任は果たせると、こう思っております。 しかし、それじゃつまらない。それはもうその当時の、二〇五〇年ぐらいの世界の経済規模だとか人口だとか炭酸ガスの排出量からいうと、先ほどの同僚議員の御指摘のとおり、日本なんて大したことないですよ。
この動きが、八カ月マイナスの動きが続いておりますが、ごく小幅のマイナスの動きが続いておりまして、達観して見れば、ゼロ%近傍で動いているというふうに評価してよろしいと思っております。
しかし、まず第一に我々達観しなければいけないのは、最終的に物事を決めるのは、あくまでも国権の最高機関は国会であって、最終的に法律となるものが決められるのはこの国会の場でおいて決まるということ、そして内閣提出の法律案であれば、政府の中でいろんな形で議論しますけれども、それが決まる道筋というものも当然あるわけでありまして、今お話しの規制改革会議、物によってはもちろん尊重義務というものがあって閣議決定もされるわけでありますが
指導的立場にある人にとって、私が思う大切なことは、一つは現場の声をきちっと吸い上げられるかどうか、その上で、現場に埋没せずに達観的な視点からきちっとそういった行政への指導ができる、ある意味、相反する二面をきちっとできる人がやはり指導的立場になるべきだと思っております。そういう意味では、今回の、このつくったシステムがきちっと機能するように私も応援をさせていただきたい、そのように思います。
しかし、六十を過ぎるころから、そうじゃなくて、僕の人生の、私の人生のある生き方というものを、あきらめじゃなくて達観をするんですね。家が持てなくても、貧乏人でも、こういう言い方は失礼かもしれませんけれども、たとえ貧しくても、お金があっても、六十を過ぎるころから、僕の人生はあきらめじゃなくて達観をするんです。そういうときに精神が昇華過程に入るんですね。
ですから、まあ達観的に言えば、今言われているほとんどのいじめというものは規律に反していると具体的には理解されるケースがほとんどだと思いますね。
言論をもって革新を叫ぶ者あり、文章によって革新を鼓吹する者あり、甚だしきに至っては暴力によって革新を断行せんとする者もありまするが、彼らの中において、真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、たとえ一つたりとも理論あり、根底あり、実行性あるところの革新案を提供したる者あるかというと、私は今日に至るまでこれを見いだすことができないのである。
やはり、何で隔離されているのかということを伝えることが、隔離されないように自分を律しようということを、つまり、そこで社会性を達観するというようなことにもつながっていくんだろうというふうに思いますから、その辺の受刑者に対する告知の仕方等について、何か工夫があれば教えていただきたいと思います。
それはどういうことかというと、銀行法二十七条に、これは、銀行が銀行業として公益を害する行為をしたときはその業務の全部若しくは一部の停止云々と、こう書いてあるわけですけれども、多分銀行本体にしてみたら、仲介業務を一時的に停止されたり仲介業務の免許を剥奪されることぐらいは、まあ、ある意味達観してしまえば怖くないんですよ。いやいや、そうだと思いますよ、実際始めると。
そういったところで、どこを日本銀行が直接買い入れの対象とするのが金融政策の効果がより上がりやすいかということは、やはりきちんと点検する必要がございますし、いずれにいたしましても、達観して申し上げれば、国債を買うよりは、そういったいろいろなマーケットにある債券、手形等の方がリスクが高いということが言えると思います。 日本銀行は、恐らく御想像以上に自己資本はそんなに厚くないのでございます。
というのがあるのですけれども、何となく大臣のお話を聞いていると、達観しているというか、諦観しているというか、そんな感じが見えまして、そういうので日本国民全体が巻き込まれて、日本国民全体が、まあそんなXデーが来ても仕方がないみたいなふうに諦観しなくてはいけないような事態になっては困るわけでありますから、ぜひそこは大臣、やはり責任あるお立場におられるわけですから、いや、そんな言った覚え、それで勉強したんじゃないですかなというんじゃなくて